2009/7/10

神経地図がつくられるメカニズムの解明

- 神経地図は軸索同士の相互作用によってつくられる -

発表者

  • 今井 猛(東京大学大学院理学系研究科生物化学専攻 特任助教)
  • 坂野 仁(東京大学大学院理学系研究科生物化学専攻 教授)

概要

われわれ哺乳類の脳において、五感を介して入力された外界の情報は2次元の「神経地図(注1)」として表現されています。東京大学の今井猛特任助教、坂野仁教授らは、脳内に匂い情報の「神経地図」が作られるメカニズムを解明し、米科学誌Scienceに発表しました(オンライン版(Science Express)7月9日付先行掲載)。脳内に「神経地図」が作られる分子機構については、1963年に提唱された「化学親和性仮説」が長く信じられてきましたが、今回の発見はその定説を大幅に修正するものです。

図1

図1:視覚情報の神経地図と軸索の配線様式

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図2

図2:嗅覚情報の神経地図と軸索の配線様式

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図3

図3:「鍵と鍵穴」モデル(Sperry)vs.「背比べ」モデル(本研究)

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図4

図4:嗅神経細胞の軸索配線を可視化したマウス

2種類の嗅神経細胞の軸索を蛍光タンパク質でそれぞれ黄色と青色に標識した遺伝子改変マウス。このようなマウスを用いて軸索の配線の様子を研究した。嗅上皮(図の上)から伸びてきた軸索が嗅球(図の下)の特定の番地へと配線する様子が観察できる。

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発表内容

我々哺乳類は、五感を介して外界の情報を受け取っており、その情報が脳へと伝えられることによって認識されます。脳ではそれら外界の情報は、「神経地図」として2次元的に表現されています。例えば、網膜に映し出された視覚情報は、脳の視覚を司る領域に2次元的に表示されます(図1)。一方、匂いの情報は鼻腔内の嗅上皮において約1000種類の匂いセンサー(嗅覚受容体と呼ばれる)によって検出されており、その情報は脳の嗅球と呼ばれる領域において、それぞれのセンサーに対応した1000番地の神経地図によって表現されます(図2)。従って、脳は、「匂い」というものを「1000画素の神経地図に表現されるパターン」として認識しています。このように、神経地図は、脳が様々な外界の情報を認識し、情報処理する上で極めて重要な役割を担っています。

この神経地図はどのようにして作られるのでしょうか?我々の脳は無数の神経細胞が「軸索(注2)」や「樹状突起」と呼ばれるケーブルを配線して神経回路を作ることで成り立っていますが、正しい神経地図が作られるためには、個々の神経細胞が秩序だった配線をすることが必要です。網膜の視神経細胞(網膜神経節細胞)の場合、網膜上の「位置」に応じて、軸索の配線先が決まっています(図1)。嗅上皮で匂い分子を検出している嗅神経細胞(注3)の場合は、センサーの種類に応じて、軸索を脳の特定の位置へと配線しています(図2)。こうした神経地図形成の際に軸索の配線位置がどのように決まるのか、という問題は、古くから多くの神経科学者たちを虜にしてきました。

20世紀を代表する偉大な神経科学者の一人、ロジャー・スペリー(1981年にノーベル賞を受賞)は、1963年に化学親和性仮説という説を提唱しました。彼は、配線先である脳には何らかの目印がついていて、軸索はその目印を識別することで正しく配線しているのであろう、と考えました(図3左)。例えて言えば、軸索と配線先には「鍵と鍵穴」のような対応関係があり、そのマッチングによって軸索の配線位置が決まる、というモデルです。1990年代、「鍵」や「鍵穴」に相当する分子が数多く同定され、スペリーのモデルは神経配線のいくつかの局面においては正しいことが既に証明されていますが、脳内に外界情報を映し出す「神経地図」も同様の機構で作られているのかについては分かっていませんでした。

そこで、今井特任助教・坂野教授らは、嗅神経細胞の軸索配線のメカニズムを詳細に解析することで「神経地図」形成のメカニズムに迫ろうと考えました。まず、配線先となる嗅球がまったく形成されない変異マウスを解析したところ、軸索は配線できずに本来嗅球があるはずの場所に留まったのですが、その際、軸索は本来の「神経地図」の位置関係の通りに正しく整列していることが分かりました。また、神経地図の位置関係は、軸索が配線先にたどり着くよりもはるかに手前の軸索束の中ですでにプロトタイプとしてできあがっていることも判明しました。これらの結果は、スペリーの説に反し、配線先の目印に頼らなくても神経地図の正しい配置が形成され得るということを意味しています。さらに、軸索自身に異なる軸索を区別するための目印となる分子(ニューロピリン1およびセマフォリン3A)が提示されており、これらの分子の量に応じて軸索が整列されていること、遺伝子操作によって軸索でのみこれらの分子を無くしてしまうと正しい神経地図が出来なくなることが判明しました。つまり、軸索は、配線先の目印を使って神経地図を作っているのではなく、軸索表面に提示されている目印分子を使って互いに認識し、いわば軸索同士で「背比べ」をして整列することで神経地図を作り上げているのです(図3右、この模式図では、ニューロピリン1が多い軸索ほど右側に、セマフォリン3Aが多い軸索ほど左側に整列。この整列は配線先である嗅球が無くても生じる)。

本研究は、神経回路形成の中でも「神経地図」形成という古くからの重要な問題に対して明快な解答を与えました。これまで神経地図は、あらかじめ準備された地図に軸索を配線するものだと思われてきましたが、むしろ、軸索同士の相互作用によって軸索を整列し、配線した結果として地図が作られる、と発想を転換するべきでしょう。今回の知見は、今後、ヒトのような高等動物の知性を生み出す複雑な神経回路形成の分子基盤を理解していく上で、重要な足がかりになると期待されます。

なお、本研究は熊本大学、理化学研究所発生再生科学総合研究センターとの共同研究により行われました。また、本研究は文部科学省の科学研究費補助金、三菱財団、グローバルCOEプログラムなどの支援を受けて行われました。

発表雑誌

Science誌にResearch Articleとして掲載予定(オンライン版(Science Express)7月9日付先行掲載)

論文タイトル:
"Pre-Target Axon Sorting Establishes the Neural Map Topography"
著者:
今井猛*、山崎崇裕*、小早川令子、小早川高、阿部高也、鈴木操、坂野仁(*同等貢献)

用語解説

注1 神経地図
トポグラフィックマップ(地勢図)とも呼ばれる。脳内では感覚情報が2次元的に配置されており、それが外界の認識およびさらなる情報処理の基盤となっている。例えば、網膜に映し出された画像は脳内にもほぼそのまま画像情報として表示される(図1)。匂い情報は嗅球で匂いセンサーの種類毎に配置されており(図2)、脳はその神経地図を元に匂い識別や情動といった情報処理を行う。 
注2 軸索
神経細胞から伸びるケーブルのうち、出力用のケーブル。ちなみに、神経細胞から伸びるケーブルのうち、入力用のケーブルは樹状突起と呼ばれる。図4のように、特定の嗅神経細胞の軸索を蛍光タンパク質で標識することで、軸索の配線の様子を観察した。 
注3 嗅神経細胞
匂い分子は鼻腔の奥に存在する嗅上皮というところで検出される。嗅上皮に存在する嗅神経細胞は、嗅覚受容体と呼ばれる匂いセンサーを用いて匂い分子を検出する。嗅神経細胞は匂い分子を検出するとその情報を電気信号に変換し、軸索を通してその信号を脳の嗅球へと送る。