分子モーターのメカニズムを解明
発表者
- 広瀬 恵子(産業技術総合研究所セルエンジニアリング研究部門 主任研究員)
- 上野 裕則(産業技術総合研究所セルエンジニアリング研究部門 産総研特別研究員)
- 真行寺 千佳子(東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻 准教授)
- 安永 卓生(九州工業大学大学院情報工学研究院 教授)
概要
独立行政法人産業技術総合研究所 広瀬恵子 主任研究員、上野裕則 産総研特別研究員は、東京大学 真行寺千佳子 准教授らと共に、繊毛・鞭毛運動(注1)を駆動する分子モーター ダイニン(注2)の構造を、独自に開発した低温電子顕微鏡法(注3)のための試料作成法「クライオポジティブ染色法」をもちいて高コントラスト・高分解能で観察し、運動を説明する新モデルを提唱した。
これまでダイニンの運動については、ダイニンが、分子本体から腕のように突き出したストークと呼ばれる構造で微小管(注4)に結合し、これをオールのように回転させて微小管を押し動かすと考えられていた。しかし、ストークは太さ約2ナノメートルの微細な構造であるため、実際に観察して確かめることはできなかった。
今回の研究では、「クライオポジティブ染色法」の開発により、微小管に結合した状態でのストークを低温電子顕微鏡法で観察することに成功したために、初めてその真相が確かめられた。広瀬らは、観察された構造変化から、ダイニンが、これまで信じられてきたモデルのようにストークを回転させるのではなく、モーター部位から伸びている「尾部」を繰り出したり繰り込んだりすることによって動くという新たな運動モデルを提唱した。
発表内容
「動き」は生命を特徴づける根源的な性質である。私たちが歩くときの動き、体内の心臓の動き、細胞の動き、細胞内の分子の動きなど、様々なレベルでの運動があり、生命を支えている。その動きを担う重要な素子が、ミオシン、キネシン、ダイニンなどの「動く蛋白質」、いわゆる、生体分子モーターである。これらは大きさ10ナノメートル程度の分子でありながら、機関車の役割をもち、レールとなるタンパク質繊維との結合・解離を繰り返しながら、定められた方向に動く。
分子モーターはどのようにレールと結合し、形を変えて動くのか。本研究では、ダイニンと呼ばれる分子モーターについて、その動きのしくみを解き明かす重要な鍵となる構造変化を検出した。ダイニンは、レールとなる微小管に沿って動くことにより、細胞内で物質を運んだり、精子の鞭毛の運動を駆動する。ダイニン分子は、頭部と呼ばれるリング状の部分から、尾部とストークという2つの構造が突き出した特徴的な形をしている(図1参照)。尾部は、足場となる構造や、ダイニンが運ぶ荷物に結合する。ストークは太さ約2ナノメートルの棒状構造で、ダイニンはこの「腕」の先端で微小管をつかんだり放したりしながら移動する。ダイニンの運動を説明する最も一般的なモデルは、ダイニンが、微小管をつかんだストークをオールのように回転させることで微小管を押し動かすという「船漕ぎモデル」であった(図1)。このモデルは、単離したダイニン分子の尾部に対するストークの角度が、運動中の異なるステップに対応すると考えられる2つの状態で、大きく異なるという電子顕微鏡観察結果に基づいていた(Burgessら、Nature 2003)。しかし、微小管に結合した状態でのストークは観察が難しく、微小管に対してストークが回転するという証拠は得られていなかった。
そこで本研究では、低温電子顕微鏡法をもちいて、微小管に結合したダイニンの構造を観察した。従来の低温電子顕微鏡法では無染色で試料を観察するためコントラストが低く、ストーク構造は検出できなかった。そこで、少量の染色剤を加えて試料を凍結する新方法(クライオポジティブ染色電顕法と名付けた)によって観察した。その結果、微小管に結合したストークの構造をはっきりと観察することに成功した(図2)。
上に述べた2つの状態でダイニンの構造を比較したところ、驚くべきことに「船漕ぎモデル」の予想に反して、ストークの微小管に対する角度は変化していなかった。一方、尾部の構造には変化があり、足場への結合部位と頭部との間の距離が2つの状態で変わることがわかった。観察された結果に基づいて広瀬らが提唱した新モデル(図3)では、ダイニンは、頭部と尾部の相互作用の変化によって、散歩中の犬の引き綱を伸ばすように尾部を伸ばして頭部とストークを遠くまで送り出す。ストークが微小管に結合すると頭部と尾部の相互作用が元の状態に戻り、ダイニンは引き綱(尾部)を繰り込んで短くすることにより、微小管を引っ張るようにして動く。
分子モーターの運動メカニズムについては、ミオシン、キネシンなど、異なるモーターで共通点、相違点が議論されている。ミオシン分子モーターに関しては、分子の中のレバーアームと呼ばれる部分がレールであるアクチンに対して回転し、その「船漕ぎ」運動がミオシンの動きに重要であることが知られている。本研究結果は、ダイニンがこれとは全く異なるメカニズムで動くことを示唆する。
ダイニンは、男性不妊、排卵障害、内臓逆位など数多くの疾患に関連すると考えられており、その運動機構の解明はこれらの疾患の治療法開発の基礎となる。今後は、分子の構造変化を立体的に明らかにすることで、四半世紀の間、謎であったダイニン分子モーターの動きのしくみが解明されることが期待されている。
用語解説
- 繊毛・鞭毛運動
- 繊毛と鞭毛は、真核生物(動物・植物・菌類・原生生物などの細胞内に核を有する生物)にみられる細胞小器官の一つである。繊毛・鞭毛の示す周期的な波打ち運動により、原生生物の移動運動、精子が卵に向かう遊泳運動、気管支における異物や粘液の排出作用、輸卵管における卵の輸送、脳室におけるある種の因子の輸送などが可能となる。繊毛・鞭毛運動の原動力は、繊毛・鞭毛内に存在する9本の複合の微小管間に、ダイニンの働きによって起こされるずり(滑り)運動であり、この滑りが時空間的に制御される結果、規則的運動となる。 ↑
- ダイニン
- 動くタンパク質分子(生体分子モーター)の一つ。繊毛・鞭毛で発見され、後に、細胞全般に存在することが明らかとなった。ATPを加水分解する酵素としての機能と、加水分解のエネルギーを力学エネルギーに変換し、微小管との相互作用により力を出しながら微小管上を動く機能とを持つ。分子構造が最近少しずつ明らかにされ、頭部(ATP分解とエネルギー変換)、尾部(微小管や輸送物質との結合)、ストーク(移動する微小管との相互作用)の働きが注目されている。 ↑
- 低温電子顕微鏡法
- 生体分子を電子顕微鏡で観察する場合、電子顕微鏡内は真空であるため、通常、試料を化学固定・染色・乾燥する必要がある。しかし、その際に生じるアーティファクトのため、得られた情報が細胞の真の姿を反映しているという保証はない。このため、無固定・無染色の試料を急速凍結し、凍ったまま透過電子顕微鏡で観察する方法が、低温電子顕微鏡法である。より生体内に近い状態での試料の観察が可能であるが、像のコントラストが低いため、二次元結晶などを用いて多数の画像から高分解能構造を計算することが多い。 ↑
- 微小管
- チューブリンと呼ばれるタンパク質分子から構成される直径約25ナノメートルの管状繊維構造。単管のほかに、複合(二重と三重)管が知られている。細胞に広く分布し、様々な物質の輸送のルートを決めるレールとして、細胞分裂の際の染色体分配に重要なスピンドルや中心体の構成要素として、繊毛・鞭毛の骨格を構成する要素として、重要な役割を果たしている。微小管上を移動する分子モーターには、ダイニンとキネシンが知られている。 ↑
発表雑誌
米国科学アカデミー紀要 (Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America:PNAS)
Hironori Ueno, Takuo Yasunaga, Chikako Shingyoji, and Keiko Hirose
Dynein pulls microtubules without rotating its stalk
PNAS 2008 105:19702-19707; published online before print December 8, 2008, doi:10.1073 / pnas.0808194105