2008/11/18

精子走化性運動におけるカルシウムの役割

- 精子はどのようにして卵に導かれるのか -

発表者

  • 吉田 学(東京大学大学院理学系研究科附属臨海実験所 講師)
  • 柴 小菊(東京大学大学院理学系研究科附属臨海実験所 特任研究員)

概要

生命の始まりである受精において、精子は卵へと確実にたどりつくために卵に対して走化性(注1)を示します。今回私たちは、この精子走化性のメカニズムの一端を解明しました。

発表内容

図1

図1:精子走化性モデル
卵に対して走化性を示す精子は、卵から遠ざかるときに遊泳方向が大きく変化する。今回の研究では、このときの運動変化と遊泳方向を制御するしくみを明らかにするために誘引物質濃度勾配中での鞭毛運動(注2)の波形と鞭毛内カルシウムの変化を調べた。その結果、精子は誘引物質濃度が極小になる点(矢印)を検出し、鞭毛内カルシウムの上昇(カルシウムバースト)が生じ方向転換のための鞭毛波形変化が連続的に誘導されることが明らかとなった。

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図2

図2:走化性運動時の精子鞭毛内カルシウムの挙動
発光ダイオード(LED)を用いたストロボ照明装置を蛍光顕微鏡に組み込んだ高速度イメージングシステムにより、カルシウム感受性蛍光色素を導入した精子鞭毛内の微小なカルシウム変化を捉えることが可能になった。

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図3

図3:精子の遊泳パターン、鞭毛波形、細胞内カルシウムイオン濃度との関係
精子の遊泳パターンは鞭毛波形の両側の屈曲によって決まり、二つの屈曲が対称になるとき精子は直進し、非対称になるにつれて遊泳軌跡の円が小さくなる。通常精子はやや非対称な波形を示し、精子は円を描くように遊泳している。界面活性剤により精子の細胞膜を除去した実験により、細胞内カルシウム濃度と鞭毛波形の対称性は比例していると考えられてきた(図左)。しかし今回の研究により、方向転換のために鞭毛波形の対称性が非対称から対称へと急激に変化する走化性運動時(図右)には、カルシウムの一過的な上昇(カルシウムバースト)が起こり、カルシウムの絶対濃度と対称性が必ずしも比例関係にはないことがわかった。

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ヒトをはじめ多くの動物は性を持ち、雄由来の精子と雌由来の卵とが受精という融合をおこすことによって新しい世代を生み出します。その過程で精子は卵を探して遊泳しますが、この際に卵または雌性器官が精子を誘引する現象(精子走化性)が、特に海水中に放卵・放精を行う海産動物で顕著に見られます。精子は走化性運動時、誘引源から遠ざかると遊泳方向が急激に変化し、引き続いて誘引源方向へと直進するという特徴的な方向転換(ターン)を行いますが(図1)、このターンは精子鞭毛の波形が一過的に変化することで引き起こされています。この精子の遊泳方向を決定する鞭毛波形は、これまでの細胞膜を除去した精子での実験などから、細胞内カルシウム濃度によって一律的に決まっていると考えられてきました。しかし、精子誘引物質が同定されている動物がきわめて少ないこと、精子は小さい上に高速で運動をするため顕微鏡下での運動解析等が困難であったこと等の理由で、精子が走化性を示すときの鞭毛波形制御のメカニズムは長い間謎でした。

私たちは2002年に尾索動物カタユウレイボヤの精子誘引物質が新奇の硫酸化ステロイドSAAFであることを同定し、この誘引物質SAAFによる精子運動制御のメカニズムの解明にあたってきました。今回、私たちは高速運動している精子の鞭毛波形を正確に捉えるため、発光ダイオード(LED)を用いたストロボ照明装置を蛍光顕微鏡に組み込んだ高速度イメージングシステムを開発し、走化性運動時の微小な精子鞭毛内カルシウム変化を捉えることに世界で初めて成功しました(図2)。

その結果、走化性運動時の精子では、鞭毛波形の変化が見られる直前に細胞内カルシウムの一過的な上昇(カルシウムバースト)が開始することが明らかとなりました。また、このときの鞭毛波形変化と細胞内カルシウム濃度について詳しく解析したところ、これまで考えられてきたカルシウム濃度による一律的な調節機構だけでは説明できない、新しい波形制御のメカニズムが存在することがわかりました(図3参照)。さらに私たちは精子走化性の最大の謎である、精子がどのように誘引物質を感知しているのかを明らかにするために、誘引物質濃度勾配中においてカルシウムバーストがどこで起こるかを調べました。すると精子は誘引源に向かって泳いでいるときではなく、常に誘引源から最も離れたときに反応していることが明らかとなりました。以上のことから、精子は誘引物質濃度が減少から上昇に変わる点(濃度変化の極小値)を検出し、カルシウムバーストが生じることで鞭毛波形を瞬時に変化させ、遊泳方向の転換を行っているのではないかと思われます(図1参照)。

クラゲやホヤ等の海産無脊椎動物からマウスやヒトにいたる脊椎動物まで、多くの動物でこの精子走化性現象は報告されています。また、鞭毛や繊毛の運動は、精子の運動だけでなく、発生の際の左右軸の決定や気管における細菌感染の防止など、多くの生理現象に重要な役割を担っています。本研究によって得られた結果および鞭毛のイメージングシステムは、これらの研究を進める上で大きく役立つと思われ、さらに臨床・農学分野においても不妊治療や家畜繁殖技術の開発・改善に寄与するシーズとして注目されています。また私たちの研究結果は、カルシウムと鞭毛波形の関係が、従来考えられていた制御システムとは異なることを示しており、今後の鞭毛繊毛運動研究の推進に大きなインパクトを与えると考えられます。

本研究により、精子走化性におけるカルシウムの役割の一端が明らかとなりました。また、精子が誘引物質の極小値という負の濃度変化を感知しているという興味深い結果を得ています。今後は誘引物質の感知機構やカルシウムによる鞭毛波形の制御機構を明らかにすることで、長年の謎であった精子運動の制御システムが解明されることが期待されます。

用語解説

(正の)走化性
細胞または生物が化学物質(誘引物質)の濃度勾配に対して濃度の高い方へと移動する性質 
精子鞭毛運動
精子は遺伝情報である核からなる頭部、エネルギー源であるミトコンドリアを含む中片、鞭毛からなる尾部からなる。鞭毛運動は鞭毛の頭部側で作り出される屈曲が先端に伝播することで周期的に生じる鞭打ち運動である。鞭毛内部に構成される9対の微小管上をモータータンパク質が滑ることによって屈曲が作り出され、二次元または三次元的な屈曲の対称性が変化することによって精子の遊泳行動が決定される。しかし、周期的な鞭打ち運動がどのような仕組みで制御されているのかはまだよくわかっていない。バクテリアの鞭毛とは内部構造も運動も全く異なる。 

発表雑誌

米国科学アカデミー紀要 (Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America:PNAS)

Kogiku Shiba, Shoji A. Baba, Takafumi Inoue, and Manabu Yoshida
Ca2+ bursts occur around a local minimal concentration of attractant and trigger sperm chemotactic response.

11月17〜21日の週にオンライン掲載予定。