2008/9/15

ナノサイズの穴を通過する分子を観察

- 細孔を通過する有機分子の構造を観察:分子の動きを解明 -

発表者

  • 中村 栄一(東京大学大学院理学系研究科化学専攻 教授/科学技術振興機構 戦略的創造研究推進事業 総括実施型研究 ERATO中村活性炭素クラスタープロジェクト 研究総括)
  • 越野 雅至(科学技術振興機構 戦略的創造研究推進事業 総括実施型研究 ERATO中村活性炭素クラスタープロジェクト ナノ構造解析グループ グループリーダー)

概要

薄膜に開いている穴を分子が通過する過程は、物質分離や吸着、細胞膜透過など、様々な物理、化学、生物学現象を理解する上で極めて基本的な現象である。しかし、分子がどのような形で穴を透過するのか、分子と穴の化学的相互作用などのようなものなのか、などの根本問題を研究する手法はこれまで全く知られていなかった。今回、一つの有機分子が形を変化させながら、カーボンナノチューブ(注1)の壁にあいた小さな孔を内側から外側に向かって通過する様子を、高分解能透過型電子顕微鏡(注2)(TEM)によって動画として観察することに成功した。実験を室温および極低温(零下269度)で行うことにより、ここで見られた分子運動のエネルギー源が観察に用いた電子線のエネルギーである事がわかると同時に、ナノチューブの内側のみならず外側の真空空間に位置している有機分子も安定に観察できることが分かった。今後、ナノ空間を利用した「動く分子の構造解析」への新しい研究の展開が期待される。

発表内容

図1

図1:二種類の直鎖状炭化水素分子をサッカーボール型C60分子に結合させて、カーボンナノチューブに閉じ込めた。左はアルケニルC60分子(二重結合を持つ炭化水素鎖)、右はアルキルC60分子(単結合の炭化水素鎖)。

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図2

図2:バーの長さは1ナノメートル。左がカーボンナノチューブに入った分子の電子顕微鏡観察像(a,d)、真ん中がシミュレーション図(b,e)、右側がモデル図(c,f)。2.1秒ごとに映像を記録して、連続した3枚を重ねて表示したもの。左上は観察後2.1~6.3秒、左下は観察後8.4~12.6秒で、ひものように伸びたアルケニル分子はゆっくりとチューブの中で約70度回転している。室温(20度)の電子顕微鏡で観察。

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図3

図3:バーの長さは1ナノメートル。約1.4ナノメートルの直径のカーボンナノチューブに入れたアルケニルC60分子(a)とアルキルC60分子(b-e)。(aとc-e)は室温(20度)の観察で2.1秒ごとに映像を記録して、そのうちの1枚を表示したもの。

(a)の上図はアルケニルC60分子が25.4秒間に渡って変化する顕微鏡画像で、下図がそのモデル。赤い矢印がカーボンナノチューブ上の壁に開いた穴を示す。

(b)は零下269度で観察したアルキルC60分子で、1秒ごとに映像を記録して、そのうちの連続した5枚を重ねて表示したもの。左図は23.0~27.0秒で5枚の写真を重ね合わせた像でカーボンナノチューブの中にアルキルC60分子が3つ並んでいる。真ん中の58.0~62.0秒の写真では一番右側の分子の炭素鎖がチューブから突き出している。この結果から、周りの温度の影響が小さい極低温でも、観察に使う電子ビームによって分子がゆっくりと動くことが証明された。逆に、室温での分子のゆっくりとした動きから、外部の熱による影響は小さいものと推測される。

(cとd)は室温で観察された炭素鎖が外に出ているアルキルC60分子で、真空状態においてもその動きがゆっくりとしていることが分かる。またこの炭化水素鎖は、観察の間に短くなったりすることはなく、カーボンナノチューブの内部でも外部でも電子線によって切れたり飛んでいったりしないことが示された。

(e)はアルキルC60分子が完全にチューブの外に出た画像。これまで、室温にある分子はその熱エネルギーにより非常に高速に動くため、その動きの観察は困難だと考えられていたが、単分子を孤立して観察するこの電子顕微鏡手法は、室温から極低温までの分子の動きを直接観察するのに有効な手段であることが示された。

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図4

図4:ERATO中村活性炭素クラスタープロジェクトで開発された最新鋭電子顕微鏡(日本電子社製、産業技術総合研究所に設置)。「分子を見る」ために特化した世界初の顕微鏡。より精度良く観察するために、観察対象を零下269度(液体ヘリウム温度)まで冷却できること、顕微鏡のレンズのボケをコンピュータで補正できることなどさまざまな工夫がなされている。今後、この電子顕微鏡を用いて、分子の新しい世界が見えてくるものと期待される。

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図5

図5:ビオチン分子を持ったアミド側鎖を化学結合させたカーボンナノチューブ(カーボンナノホーン)の構造変化。

(a)数字は観察開始からの秒数。情報の黒い棒は1ナノメートルを表す。

(b)105.0秒の映像に対応する分子の分子模型。

(c)その分子模型からつくりだした電子顕微鏡シミュレーション像。

(Imaging of Conformational Change of Biotinylated Triamide Molecules Covalently Bonded to Carbon Nanotube Surface, E. Nakamura, M. Koshino, Y. Niimi, K. Harano, Y. Nakamura and H. Isobe, J. Am. Chem. Soc., 130, 7808-7809 (2008)より)

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東京大学大学院理学系研究科化学専攻および科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業 総括実施型研究(ERATO)中村活性炭素クラスタープロジェクト研究総括である中村栄一教授ならびに同グループリーダーの越野雅至博士と、東京大学の磯部寛之元准教授(現東北大学教授)らの研究グループは、ナノメートル(10億分の1メートル)サイズの細孔を通過する分子1個の形の変化および空間を移動する様子をTEMにより直接観察することに世界で初めて成功した。

薄膜や生体膜にある穴を分子が通過する過程は、様々な物理、化学、生物学現象を理解する上で極めて基本的な現象である。例えば、多孔質の固体への分子の吸蔵(たとえば水素やメタンの吸蔵)、膜による物質分離(たとえばメタンハイドレートからメタンの分離)、また細胞膜を通しての分子の移動といった細胞の基本的な振る舞いの中には、必ず「分子が穴を透過する」という過程が含まれている。しかしながら、これまでに知られていた研究手法は、多数(たとえば10の23乗個)の分子の挙動統計的平均を研究する手法のみであり、一分子一分子と穴の相互作用を実験的に研究する手法はこれまで存在していなかった。すなわち、分子がどのような形で穴を透過するのか、分子と穴の化学的相互作用などのようなものなのか、などを研究する手法は全く知られていなかった。

昨年、当グループは、カーボンナノチューブの中にホウ素原子で標識を付けた有機分子を閉じこめて透過型電子顕微鏡(TEM)で観察すると、一分子一分子の構造や、チューブの中を前後に動く様子を動画として捉えられることを報告した(Science 2007)。今回、フラーレンでラベルした炭化水素の長い鎖が、ナノチューブの壁に開いたナノメートルサイズの小さな穴をまるで生きているがごとくにして通過する様子を捉えることに成功した。

細長い炭化水素分子の鎖に注目し、鎖状部分が自由に動き回れるよう、分子のサイズよりも少し大きいサッカーボール型分子(C60フラーレン)を目印として結合させ(図1)、ナノチューブ内に閉じ込めた。すると、ナノチューブの空間内で分子が色々な形に折れ曲がっている様子や、紐状の分子が動く様子が撮影された(図2)。

さらに詳しく分子1個1個を観察していると、紐状の分子がナノチューブの壁に開いた穴を通過する現象を捉えることに成功した(図3a)。約1.4ナノメートルの直径のカーボンナノチューブに入れた炭化水素側鎖を持つC60分子が、赤い矢印で示したカーボンナノチューブ上の壁の穴を真っ直ぐに変形して通過してゆく様子が室温で観察された。分子が環境に応じて構造を変えながら、孔の中を移動して行く瞬間の映像が初めて捉えられた。

以上の映像は室温下においた顕微鏡によって得られたものである。ここで見られた分子の動きのエネルギー源は何なのだろうか。外部の熱だろうか、電子線のエネルギーだろうか。この疑問に答えるために、当ERATOプロジェクトで開発された零下269度での分子の観察ができる最新鋭電子顕微鏡による実験を行った。その結果、零下269度でも同様の動きを観測することができた。図3bは飽和炭化水素側鎖を持ったC60分子の画像で、3個並んだうちの一番右側の分子の棒状の炭素鎖がチューブから突き出す様子が捉えられている。分子運動の速さは、室温でも極低温でも余り変らないことが分かった。

また紐状の炭化水素鎖は、カーボンナノチューブの内側にある場合でも外側に付いた場合でも、その動く速さは余り変らないばかりか、(電子線の作用によって)切れたり飛んでいったりすることはなかった(図3c-e)。

これまで、室温下に置いた分子は熱エネルギーで高速に動く(10の12乗分の1秒以下の時間スケール)ためその観察は非常に困難だと考えられていたが、昨年発表した結果および今回の結果から、室温に置いた顕微鏡で観察した分子の運動は予期したよりはるかに遅いことが分かった(秒単位の動き)。なぜであろうか? 今回の研究では重要な発見があった。(1)室温に置いた顕微鏡でも、極低温下でも分子運動の速度が余り変らないことから、分子運動のエネルギー源は観察に使う電子ビームのエネルギーであることが明らかである。(2)カーボンナノチューブの内側、外側に関わらず、観察された分子の動く速度や寿命に大きな差がないことがわかった。

この後者の結論は、我々が報告した最近の成果、すなわちカーボンナノチューブの外部に結合したペプチド結合を持つ生体分子が安定に観察されるという事実(中村ら、Journal of American Chemical Society, 2008, 130, 7808;図5)とも一致する。この論文及び今回の論文に報告した、チューブの外側に置いた分子の構造変化が研究できるという事実は、チューブ内に閉じこめるという先に報告した手法の根本的問題、すなわち観察対象の分子のサイズと種類が限られてしまう、という問題点を解決するものである。即ち、ナノチューブの外側に付けた様々な分子、例えば蛋白質やDNAなどの分子構造の動きを、一分子ごとに自在に観察できる日が遠くないと感じさせるものである。

今後、ナノチューブの内側や外側の空間を利用した「有機分子の動的構造解析」が、化学反応、生体分子の相互作用などに関する学術研究における新しい手段として発展するものと期待される。また日本の産業を支えるナノテクノロジー分野や新薬開発といった医療分野での応用も期待されるところである。

この研究成果は、東京大学大学院理学系研究科(中村栄一教授、磯部寛之元准教授)の研究グループ(研究の一部は、文部科学省科研費補助金(萌芽研究:課題番号18655012)を用いて行われた)と、科学技術振興機構戦略的創造研究推進事業総括実施型研究(ERATO)中村活性炭素クラスタープロジェクト(研究総括:中村栄一)との共同研究によって得られたものであり、ネイチャー出版グループ発行のネイチャーナノテクノロジー(Nature Nanotechnology)誌のウェブサイトおよび印刷版で公開される。

ネイチャーナノテクノロジー誌

また研究成果の一部は、産業技術総合研究所の電子顕微鏡設備を借用して得られたものであり、本研究の遂行にご協力頂いた独立行政法人産業技術総合研究所に厚く感謝申し上げます。

用語解説

カーボンナノチューブ
飯島澄男教授(現名城大学)が1991年に発見した、ダイヤモンド、非晶質、グラファイト、フラーレンに次ぐ5番目の炭素材料。グラファイトシートが直径数ナノ(10億分の1)メートルに丸まった極細チューブ状構造を有している。カーボンナノチューブはその丸まり方、太さ、端の状態などによって、電気的、機械的、化学的特性などに多様性を示し、次世代産業に不可欠なナノテクノロジー材料として、現在、世界中で最も注目されている材料である。カーボンナノチューブ 
電子顕微鏡
観察対象に電子をあてて拡大像を得る顕微鏡。1931年にベルリン工科大学のマックス・クノールとエルンスト・ルスカ(1986年ノーベル物理学賞)により初めて開発された。観察対象を透過してきた電子を利用して観察する透過型電子顕微鏡(TEM)や、反射した電子を利用する走査型電子顕微鏡(SEM)などがある。昨年から相次いで有機小分子の動きを直接観察する研究成果が発表されている。電子顕微鏡 

発表雑誌

ネイチャー出版グループ(NPG)発行のネイチャーナノテクノロジー(Nature Nanotechnology)誌で公開される(日本時間2008年9月15日 月曜日午前2時)。

著者名:
Masanori Koshino, Niclas Solin, Takatsugu Tanaka, Hiroyuki Isobe, Eiichi Nakamura
論文名:
Imaging the passage of a single hydrocarbon chain through a nanopore(単一の炭化水素鎖がナノメートルの穴を通過するところのイメージング)
この論文はネイチャーナノテクノロジー誌のホームページのハイライト記事としてトップページに掲載されました。
http://www.nature.com/nnano/index.html
DOI番号:
10,1038/nnano.2008.263
http://dx.doi.org/10.1038/nnano.2008.263

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