2008/9/9

ヒトのライフヒストリー(生活史)の進化を解明

- ネアンデルタール新生児の脳サイズから考える -

発表者

  • 近藤 修(東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻 准教授)
  • クリストフ・ツォリコファー(Christoph P.E. Zollikofer)(チューリッヒ大学 教授) 他

概要

スイスのチューリッヒ大クリストフ・ツォリコファー(Christoph P.E. Zollikofer)らの研究チームはネアンデルタール人(注1)の新生児、幼児の頭蓋と成人女性の骨盤の復元をおこない、ネアンデルタール人の出産、脳の成長パターンを調べ、ヒトに特有なライフヒストリー(注2)がネアンデルタール人にすでに見られる事を示した。

発表内容

図1

図1:ネアンデルタール人の出産の仮想復元。メツマイスカヤ1(新生児)とタブン1(成人女性)骨盤骨格にもとづく。
(提供 クリストフ・ツォリコファー教授)

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図2

図2:ネアンデルタール幼児骨格の仮想復元。左:メツマイスカヤ新生児(生後1週目) 右:デデリエ1号幼児(19ヶ月)
(提供 クリストフ・ツォリコファー教授)

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スイスのチューリッヒ大クリストフ・ツォリコファー(Christoph P.E. Zollikofer)、マルシア・ポンスドゥレオン(Marcia Ponce de Léon)と日本(高知工科大学、東京大学、琉球大学)、ロシアの国際共同チームの成果である。

チンパンジーと比べて我々ヒトは特徴的な発達・成長パターンを示す。ヒトの新生児は例外的に大きな脳(400cc、チンパンジーの成体に近い)を持つため、産道サイズとの兼ね合いにより困難な出産となる。さらに出産後もヒトの脳は非常に早く成長し小児段階(約6歳)で成人サイズ(平均1350cc)の90%に到達する。

このヒトに特徴的な成長パターンはいかに進化したのだろうか? 化石人類について出生時の脳とその初期発達はほぼ何も知られてこなかった。これは主に若年個体の化石人類が非常にまれであること、若年個体の骨格は骨化が不完全であるために復元が困難であることによるものであった。

今回この論文で我々は、ヒトに最も近縁な化石種、ネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス)の脳の出生と初期成長を調べた。コンピューターによる復元技術を用い、3個体の若いネアンデルタール人の骨格を復元した。1個体はロシア、クリミア半島のメツマイスカヤ(Mezmaiskaya)洞窟出土の新生児、他の2個体はシリアのデデリエ(Dederiyeh)洞窟出土の生後19ヶ月と24ヶ月の個体である。さらに、我々はイスラエル、タブン(Tabun)洞窟出土の女性ネアンデルタールの骨盤を復元した。これらの個体をもとに、「ネアンデルタール人の産科学」、ネアンデルタール人の脳の成長パターンを導き出し、ヒト特有のライフヒストリーの進化を考えた。

なぜ、メツマイスカヤ、デデリエ、タブン洞窟のこれらネアンデルタール化石が重要なのか?

メツマイスカヤのネアンデルタールは知られる限り唯一の保存の良い新生児化石である。デデリエの2個体は幼児段階でもっとも保存の良い個体である。「タブン女性」は唯一の保存の良い女性ネアンデルタール骨格である。

この研究によって新たに明らかになったこと

ネアンデルタール人は新生児段階ですでに現代人とは異なっていた。
このことは種特異的な特徴のほとんどが初期発生から胎児の段階で発達することを意味する。
ネアンデルタール人の出生時の脳サイズは現代人のそれとほぼ同じ、400ccであった。
大きな新生児の脳サイズはホモ・サピエンスとホモ・ネアンデルタレンシスの共通祖先段階で獲得された特長であったと考えられる。この共通祖先が何者かは確かでないが、ホモ・エレクトス(およそ150万年前)はすでに大きな脳の新生児であったかもしれない。このヒト的な特徴は進化的に古くから獲得されたようだ。
生後、ネアンデルタール人の脳は現代人よりもより早く成長したが、彼らは成人段階でより大きな脳を持たなければならなかった。
したがって脳の早い成長は成長の早期停止を意味するものではない。
ネアンデルタール人は早く成長したが、ゆっくりしたライフヒストリーを持っていた。
大きな脳を早く成長させるにはエネルギーの集中投与が必要であり、大きな、ゆっくり成熟する母親によってのみ可能である。したがってネアンデルタール人は現代人に比べて幾分ゆっくりしたライフヒストリーを持っていた可能性が高い。この考えはこれまでの常識-ネアンデルタール人が「早く生き、若く死ぬ」という考え-にはそぐわない。ネアンデルタール人は「早く成長し大きく育ち、ゆっくり死ぬ」とするのが適当かもしれない。
ヒトの脳サイズ:小さいほうがすばらしい?
 ネアンデルタール人のゆっくりしたライフヒストリーは更新世の現代人(更新世のホモ・サピエンス)と共有していた特長かもしれない。これら早期の現代人は今日の我々よりも脳が大きかったという事実がある。過去4万年にわたって現代人は脳サイズを減少させてきたのである。この現代人の小さく成長するが効果は衰えない脳はエネルギーコストの面から有利であり、その結果現代人が更新世時代より高い繁殖率を持つにいたったと想像できる。したがって現代人の脳サイズの減少は進化的有利を示すものかもしれない。

用語解説

ネアンデルタール人
約10万年前から3万8千年前にかけて主としてヨーロッパを中心に生息した化石人類。分類学的にはホモ・サピエンスの亜種とする考えもあるが、著者らは別種としてホモ・ネアンデルターレンシスとの立場をとっている。
ライフヒストリー(生活史)
個体が誕生してから死ぬまで成長するに伴って経験する主要な出来事の時期やその期間を用いて成長パターンや繁殖サイクルを特徴付けることができる。妊娠期間、初潮、閉経、死亡年齢などが用いられる。

発表雑誌

米国科学アカデミー紀要(Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America:PNAS), 9月8 - 12日の週にオンライン掲載予定。

Marcia Ponce de León , Lubov Golovanova , Vladimir Doronichev , Galina Romanova , Takeru Akazawa , Osamu Kondo , Hajime Ishida , Christoph Zollikofer. Neanderthal brain size at birth provides insights into the evolution of human life history.