2008/6/20

気体分子の向きを揃える新手法を開発

- 特殊なレーザーパルスを整形し、レーザー電場なしで分子配向が実現! -

発表者

  • 酒井 広文(東京大学大学院理学系研究科物理学専攻 准教授)
  • 碁盤 晃久(東京大学大学院理学系研究科物理学専攻 修士課程大学院生)
  • 峰本 紳一郎(東京大学大学院理学系研究科物理学専攻 助教)

概要

通常はランダムな向きを向いている気体分子の向きを、レーザー電場の存在しない条件下で、頭と尻尾の向きを区別しつつ向きを揃えること(分子の配向制御)に世界で初めて成功した。

発表内容

図1

図1:プラズマシャッター法で整形されたレーザーパルスの時間波形。(a)は高速フォトダイオードで測定したもの。(b)はパルスの遮断時の時間波形を詳しく調べるため、相互相関法と呼ばれる手法で測定したもの。立下り200 fs程度の超高速で遮断されていることが分かる。

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図2

図2:(a)分子の配列は、2次元イオン画像化法で調べる。配列用のレーザー光とプローブ用のレーザー光の偏光方向は、それぞれ検出器面に平行および垂直である。

(b)2次元イオン画像化法を用いて測定したCO+イオンの2次元イメージ。このイメージを用いて配列度を評価する。

(c)分子が配向している様子は、飛行時間型(TOF)質量分析装置を用いて調べる。

(d)S3+イオンのTOFスペクトル。配向用のレーザー光を照射すると赤色で示したように、信号のピークが非対称になる。非対称性の度合いから配向度を評価する。

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図3

図3:2次元イオン画像化装置を用い、レーザー光が遮断されるところ、Trot/2及びTrot付近でCO+イオン(上)、S+イオン(中)を用いて観測した分子の配列度の時間発展。理論計算の時間発展(下)とほぼ対応していることが確認できる。

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図4

図4:S3+イオンのTOFスペクトルから、フラグメントイオンの総量に対する前方フラグメントと後方フラグメントの差を配向度の指標とし、レーザー光が遮断されるところとTrot付近でその時間発展を観測した(上)。理論計算の時間発展(下)とほぼ対応していることが確認できる。

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気体分子中の個々の分子は激しく回転しており、そのような分子試料を用いて実験を行っても、分子の向きに依存する効果については空間的に平均された結果しか得られない。したがって、気体分子の向きを揃えることは、レーザー光と分子の相互作用や化学反応ダイナミクスの研究を始め、分子構造の異方性に由来するさまざまな効果を研究する上で本質的に重要であり、世界の研究グループが分子の配向を制御する新しい技術の開発とその高度化に鎬を削っている。今回、静電場とピーク強度付近で急峻に遮断されるように整形された特殊なレーザーパルスを併用し、レーザー電場の存在しない条件下で分子を配向させることに世界で初めて成功した。本成果は、米国物理学会発行のPhysical Review Letters誌に掲載予定であり、物理学の学問分野が細分化された現在、他分野の研究者にも閲読が推奨されるEditors’ Suggestionの対象論文にも選定されている。

注:Physical Review Letters誌の2008年7月4日号に掲載された。詳細は下記の発表雑誌を参照のこと。

(1)これまでの研究で分かっていた点

近年、汎用性の高い気体分子の操作技術として、高強度レーザー電場とそれによって分子中に誘起された双極子モーメント(注1)との相互作用、すなわち、分子軸がレーザーの偏光方向を向くように働くトルクを利用する手法が主流となっている。特に、分子の頭と尻尾を区別する配向の実現には、レーザー電場と誘起双極子モーメントの相互作用に加え、静電場と永久双極子モーメントの相互作用を併用して分子の向きを決める必要がある。酒井広文研究室では既に1次元的および3次元的な分子配向制御(注2)に世界で初めて成功していた。これらの実験では、レーザー光のパルス幅が分子の回転周期よりも十分に長く、分子配向はレーザー光のピーク強度付近で効果的に実現する(断熱的な分子の配向制御と呼ぶ)。この場合、典型的にナノ秒オーダーの比較的長い時間分子配向を実現できる大きなメリットがある。

(2)この研究が明らかにしようとした点

上述したように、断熱的な分子の配向制御では、高強度レーザー電場中で分子配向が実現する。この場合、高強度レーザー電場の存在が、配向した分子試料を用いた応用実験における物理的あるいは化学的な現象に影響を及ぼす可能性がある。特に、精密な分光測定では、観測結果に影響しうるし、レーザー光と分子の相互作用に関する情報を担う光電子の観測が困難になるなど、高強度レーザー電場の存在が直接的な障害となる場合もある。そこで、本研究では、高強度レーザー電場の存在しない条件下での分子配向を世界に先駆けて実現することを目標とした。

(3)そのために新しく開発した手法

過去10年ほどの間にさまざまな理論提案があったが、実験的に困難なものばかりであり、全く実現していなかった。本研究では、静電場とレーザー電場を併用する手法が断熱領域で有効なことに着目し、分子の回転周期Trotに比べて立ち上がりのゆっくりしたパルスをピーク強度付近で急峻に遮断することにより、断熱領域での配向度と同等の配向度を高強度レーザー電場が存在しない状況下で実現する全く新しい手法を提案した(下記の論文参照)。後述するように、立ち上がりのゆっくりした高強度レーザーパルスをピーク強度付近で急峻に遮断されるように整形する高度な実験技術も独自に新たに開発した。

(4)この研究で得られた結果および知見

上記の提案に基づいて、レーザー電場の存在しない条件下で分子配向を実現することに初めて成功した。ピーク強度付近で急峻に遮断されるようなパルスは、プラズマシャッターと呼ばれる手法を用いて整形した。その概略は以下のとおりである。ナノ秒Nd:YAGレーザーの基本波(波長λ=1064 nm)のピークとフェムト秒チタンサファイアレーザー光(波長λ~800 nm)のタイミングを合わせ、同軸上でエチレングリコールのジェットシートに集光する。チタンサファイアレーザー光のピーク強度が1013 W/cm2程度以上になると、エチレングリコールがプラズマ化する。いったんプラズマが形成されるとNd:YAGレーザー光のピーク強度以降の光は吸収されてプラズマ形成を維持するとともに、吸収あるいは反射によりYAGレーザー光は透過できず急峻に遮断されたパルスが得られる(図1)。

試料として断熱領域での実験でも用いたOCS分子を用い、実証実験を行った(図2)。まず、2次元イオン画像化装置を用い、レーザー光が遮断されるところ、Trot/2及びTrot付近で分子の配列度の時間発展を観測したところ、理論計算の時間発展とほぼ対応していることが確認できた(図3)。つぎに、飛行時間(TOF)型質量分析装置を用い、TOF軸方向に偏光したプローブパルスを照射して観測される前方フラグメントと後方フラグメントのイオン量を調べた。フラグメントイオンの総量に対する前方フラグメントと後方フラグメントの差を配向度の指標とし、レーザー光が遮断されるところとTrot付近でその時間発展を観測したところ、理論計算の時間発展とほぼ対応していることが確認できた(図4)。これらの観測結果は、分子配向がレーザー電場の存在しない状況下で実現していることの確実な証拠と解釈できる。

(5)研究の波及効果

この成果は、化学反応ダイナミクス、分子内電子の立体ダイナミクス、アト秒科学、表面物理学などの応用研究において、レーザー電場の存在しない条件下で頭と尻尾も区別して向きの揃った状態にある分子試料が新しい研究対象となったことを意味する。長年にわたり未到技術であったレーザー電場の存在しない条件下での分子配向の実現は分子科学分野およびその関連分野における画期的な成果である。実際、物理学分野で最も権威のあるPhysical Review Letters誌の査読者のコメントにも、This paper is an important milestone in the development of tools for the field-free alignment and orientation of molecules.などの最大級の賛辞が含まれており、物理学の学問分野が細分化された現在、他分野の研究者にも閲読が推奨されるEditors’ Suggestionの対象論文にも選定される所以となっている。

(6)今後の課題

本研究では、直線偏光した(注3)レーザーパルスを用い、1次元的な分子配向に成功した。今後の課題の一つは、楕円偏光したレーザーパルスを用い、レーザーパルスの遮断直後にレーザー電場の存在しない条件下で3次元的な分子配向を実現することである。また、1次元的および3次元的な分子配向の配向度を上げるとともに、配向した分子試料を用い、トンネルイオン化、高次高調波発生、超高速分子イメージングを始めとし、化学反応ダイナミクス、分子内電子の立体ダイナミクス、アト秒科学、表面物理学などの応用研究を展開し、配向した分子試料の有効性を実証していくことが課題となる。

本研究のもととなった新手法を提案した論文は、以下のとおり。

Yu Sugawara, Akihisa Goban, Shinichirou Minemoto, and Hirofumi Sakai, “Laser-field-free molecular orientation with combined electrostatic and rapidly-turned-off laser fields,” Phys. Rev. A 77, 031403(R) (2008).

用語解説

双極子と双極子モーメント
有限の距離だけ離れた正負の電荷の一対を一般に双極子と呼ぶ。OCS分子やNO分子のように、非対称な分子は結合の性質に起因する固有の双極子をもち、これを永久双極子と呼ぶ。また、強いレーザー電場によって分子中に生じた電荷の偏りに起因するものを誘起双極子と呼ぶ。双極子モーメントは、双極子の大きさと向きを表すベクトル量である。
1次元的および3次元的制御
3次元空間に固定した座標系から、分子に固定した座標系がどのように回転したかを表すために用いられる3つの角度をオイラー角と呼ぶ。このオイラー角の一つを制御することを1次元的制御と呼び、三つとも制御することを3次元的制御と呼ぶ。
偏光
レーザー光の進行方向に垂直な面内で、電場が直線運動および楕円運動をするとき、その光をそれぞれ直線偏光および楕円偏光と呼ぶ。

発表雑誌

本成果は、米国物理学会が発行するPhysical Review Letters誌の2008年7月4日号に掲載されるとともに、他分野の研究者にも閲読が推奨されるEditors' Suggestionの対象論文にも選定された。

Akihisa Goban, Shinichirou Minemoto, and Hirofumi Sakai, "Laser-Field-Free Molecular Orientation," Phys. Rev. Lett. 101, 013001 (2008).

さらに、上記の論文は、Nature誌のRESEARCH HIGHLIGHTSでも取り上げられた。

Nature (London) 454, 257 (2008).