2008/5/8

生殖と性行動の協調に鍵を握るキスペプチンニューロン

- 脊椎動物に共通するしくみをメダカの脳から知る -

発表者

  • 神田 真司(東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻 博士課程1年)
  • 赤染 康久(東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻 助教)
  • 岡 良隆(東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻 教授)

概要

動物の生殖においては、生殖腺(注1)の状態と性行動がうまく協調して調節されることが必要だが、その脳内メカニズムは不明であった。今回、私たちは脊椎動物に共通するそのような仕組みをメダカの脳を使って知るための第一歩を踏み出した。

発表内容

図1

図1 A:メダカ脳の組織切片においてkiss1を発現するニューロンがNVTおよびNPPvと呼ばれる脳部位に見つかった。左図はメダカ脳を横から見た面で、左側が脳の前方。それぞれの部位でキスペプチンニューロン数を数えたところ、NVTだけでオス>>メスという明瞭な性差が見つかり、NPPvでは全く見られなかった。

B:上の2つのグラフは、それぞれの部位において、開腹しただけの偽手術(Sham)、卵巣摘出手術(OVX)、卵巣摘出メスにエストロゲン(E2)を投与したもの、の各群におけるキスペプチンニューロン数を数えたもの。エストロゲンは卵巣で作られるので、血中のエストロゲン量は卵巣摘出により減少し、エストロゲン投与により回復する。左のグラフの結果より、NVTキスペプチンニューロン数は血中エストロゲン量によって調節されていることがわかる。一方、右のグラフに見られるようにNPPvキスペプチンニューロン数はそうした処理にはほとんど影響を受けない。下の写真は各処理群のNVTにおける実際の写真を示す。

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図2

図2:脳内には、本文に示すように、形態と機能の異なる(1)~(3)の3つのGnRH神経系が存在している。これらすべてのGnRHニューロンにキスペプチン受容体の発現が示唆されている(ただし、まだ厳密な証明はない)。このことから、私たちは、キスペプチンニューロンは生殖腺の調節を行うGnRH神経系と性行動などの動機付けの調節を行うGnRH神経系を協調的に調節する鍵を握る重要なニューロンとしてはたらいているという作業仮説を提唱している。今後、今回の成果を元に遺伝子改変メダカを用いた実験などからこの作業仮説を証明していく予定である。

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春の訪れとともに動物が生殖に向けて動き出すようなとき、動物は外界の環境変化をまず感覚系で受け取り、これをもとにして神経系や内分泌系に長期的な生理状態の変化を引き起こしている。私たちは、環境変化の受容と行動・内分泌的適応の仲介をする重要な役割を担うもののひとつが脳内のペプチドニューロン(注2)であるという考えの下に、特に、GnRH(注3)と呼ばれるペプチドを産生するニューロン(GnRHニューロン)に焦点を当て、関連する神経系や内分泌系のはたらきについて研究してきた。この過程で、GnRHニューロンを調節する別のペプチドニューロン(キスペプチンニューロン)を非哺乳類で初めて発見した。生殖は生物にとっては不可欠な機能であり、それを調節する機構は脊椎動物を通じて極めてよく保存されているため、実験に適する動物をうまく用いて解析すると、脊椎動物一般に共通する普遍的な仕組みを知ることが可能である。魚の脳ではGnRH神経系がよく発達していることから、GnRHペプチドやGnRH神経系に関して多くの研究がなされている。とりわけ、メダカは豊富なゲノム(遺伝子)データベースが利用可能であり、トランスジェニック技術をはじめとする分子遺伝学的解析ツールの応用が哺乳類に比べて容易であるほか実験動物として多くの特徴をもち、各種の基礎生物学分野の研究においてモデル動物として大きく貢献している。

今回私たちは、このように実験系として多くの利点をもつメダカを用いて、まずキスペプスチン遺伝子(kiss1 と呼ばれる)の配列を決定した。この配列を元にkiss1遺伝子を発現するニューロンの脳内分布を形態学的に解析した結果、NVTおよびNPPv(ともに脳部位の略称)と呼ばれる視床下部(注4)の部位に2群のキスペプチンニューロン(kiss1 を発現するニューロンをこう呼ぶこととする)を見いだした。それぞれの脳部位におけるキスペプチンニューロン数を数えたところ、NPPvではなくNVTだけでオスのニューロン数がメスよりも圧倒的に多い、という明瞭な性差が見つかった(図1A)。さらに、NVTキスペプチンニューロン数のみが血中の性ホルモン(この場合には卵巣から分泌される雌の発情ホルモンであるエストロゲン)の量により調節され、NPPvキスペプチンニューロン数はそうした処理に影響を受けない(図1B)ということがわかった。また、長日条件(注5)におかれて産卵を毎日行う「生殖状態メダカ」と短日条件におかれて産卵を全く行わない「非生殖状態メダカ」では、NVTキスペプチンニューロン数のみ生殖状態>>非生殖状態であった。これらの結果は、NVTキスペプチンニューロンが生殖の調節にきわめて重要なはたらきをする一方、NPPvキスペプチンニューロンは雌雄差や性ホルモン環境・生殖状態などに関係しない別の機能を持つ、という可能性を示唆しており、ほ乳類においては生殖に関連するキスペプチンニューロンのみが知られていることを考え合わせると、進化的にも大変興味深い。

一方で私たちは、これまでの研究により、GnRHペプチド神経系が構造と機能の異なる3つの神経系からなることを示し、この原則(注6)が脊椎動物を通じて当てはまるのではないかと提唱してきた(図2参照)。図2(1)のPOA-GnRHニューロン(注7)は生殖腺刺激ホルモン放出を促進するはたらきをもつペプチドGnRHを脳下垂体(注8)に放出する。その結果脳下垂体から生殖腺刺激ホルモンが放出され、これが生殖腺からの性ホルモン放出を促す。これは脳にも到達してフィードバック作用する(図2緑色の点線)ことが知られており、キスペプチンニューロンが性ホルモンの直接の標的として注目を浴びている。このほかにも、図2(2)の中脳GnRHニューロンや(3)終神経GnRHニューロンと呼ばれるGnRH系が視床下部外の脳部位に存在しているが、これらは脳下垂体機能の調節に直接関与しないことがわかっており、私たちは、電気的活動も(1)と(2)(3)では全く異なることを世界に先駆けて発見している(図2「電気活動パターン」参照:未発表データ)。また、(2)(3)の作るGnRHペプチドはホルモンとしてはたらかず、脳内で性行動の動機付け(モチベーション)の調節などにはたらくと言う説を私たちは提唱している。

上で述べたように、今回の発見で、脊椎動物を通じてキスペプチン神経系がGnRH神経系を介して生殖の中枢制御をおこなう重要な機能を担っているらしいことがわかった。そこで、私たちは、このことを明確に証明するために、今回得られたキスペプチンの遺伝子情報を元に各種遺伝子改変メダカの作成を開始している。GnRHニューロンだけに蛍光タンパク質を発現する遺伝子改変メダカは既に作成している。図2に示すような、キスペプチンニューロンが、構造と機能の異なる3つのGnRH神経系すべてを介してはたらくことにより環境の変化に応じて生殖と性行動を協調的に調節する、という作業仮説を実証すべく、このような遺伝子改変メダカに対して生理学や行動学の手法を応用した研究を開始している。今回の研究成果によりキスペプチンニューロンをめぐる統合的な研究が本格化し、メダカをモデル生物として用いる研究が脊椎動物の生殖神経生物学の研究全体に今後大きな影響を及ぼすことが期待される。

用語解説

生殖腺
雄の精巣、雌の卵巣を総称する用語。
ペプチドニューロン
ペプチドは、複数のアミノ酸よりなる分子で、ホルモンや脳内生理活性物質としてはたらく。ペプチドニューロンは、それらを作り分泌する神経細胞。
GnRH
元来、生殖腺刺激ホルモン放出ホルモンgonadotropin-releasing hormoneと呼ばれるペプチドの頭文字を取った略称で、現在ではホルモン以外に脳内で各種の生理活性をもつと考えられている。
視床下部
自律神経やホルモンの調節を司る脳部位。
長日条件
春以降の日の長い気候を模した条件、逆に冬の日の短い気候を模した条件を短日条件と呼ぶ。ただし、本実験では日長以外の温度などの条件は同一にしてある。
3つのGnRH神経系
2種類のGnRH神経系しか存在しないような動物分類群も報告されているが、脊椎動物を通じて解剖学的・機能的な見地からみると、むしろ、3種類の形態・機能的に異なる神経系をもつのがより一般的ではないかと著者らは考えている。
POA
preoptic area(視索前野)の略で、視床下部と呼ばれる脳領域の一部。
脳下垂体
脳の視床下部の腹側にぶら下がるような形で存在している、神経系と内分泌系をつなぐ重要な内分泌器官。視床下部ニューロンの作るホルモンを受容して様々な下垂体ホルモンを血液中に放出することにより、末梢のホルモン標的器官に作用する。

発表雑誌

Endocrinology 149(5):2467–2476 doi: 10.1210/en.2007-1503
Identification of KiSS-1 Product Kisspeptin and Steroid-Sensitive Sexually Dimorphic Kisspeptin Neurons in Medaka (Oryzias latipes)
Shinji Kanda, Yasuhisa Akazome, Takuya Matsunaga, Naoyuki Yamamoto, Shunji Yamada, Hiroko Tsukamura, Kei-ichiro Maeda, and Yoshitaka Oka