2007/9/4

水を通さない「細胞膜」

- 熱水で「硬くなる」新しい膜材料 -

発表者

  • 中村 栄一(東京大学大学院理学系研究科化学専攻 教授)
  • 磯部 寛之(東北大学教授/元東京大学大学院理学系研究科化学専攻 准教授)

概要

細胞膜の基本構造である「分子二重膜」をフラーレン(注1)から作ると,最大で通常の細胞膜の一万倍水を通しにくい膜ができることが見つかった。世界で最も薄い分子二重膜であるフラーレンの分子膜が,世界で最も水を通しにくいという予想外の発見となった。さらに不思議なことに,この膜は加熱することで,より水を通さなくなる。世界最薄の分子二重膜から見つかったこの特性は,新しい材料開発につながると期待される。

発表内容

図1

図1:5つのフェニル基(黄色)を持って陰イオン(青色)となっているフラーレン二分子膜ベシクル(注4)の水溶液(2001年Science誌上に発表)。

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図2

図2:脂質二重膜の模式図(赤い粒が水分子の中の酸素原子,黄色が飽和炭化水素からなる脂質分子の疎水性部分:Dr. E. Tajkhorshid,Univ. Illinois, Urbana-Champaignによる)。

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図3

図3:フラーレン二分子膜ベシクルの模式図。緑の球がフラーレン,赤と白はそれぞれ水分子の酸素と水素原子を示す。

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図4

図4:フラーレン陰イオン(灰色で示した炭素からなる球状の模型)に囲まれた水(赤と白の粒はそれぞれ水分子の酸素と水素原子を示す;上方の紫色の玉は,対カチオンとして水中に溶けているカリウムイオン)。炭素で囲まれた水は「糊」のように働き,膜の強度を上げる。

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図5

図5:フラーレン二重膜の水透過性。10度から30度までは透過性が増すが,40度以降は大きく減少する。(参考:右側の図は脂質二重膜の水透過特性,温度が高くなると透過性が増加する)

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図6

図6:フラーレン二重膜と脂質二重膜の水透過の熱力学測定結果。

a:25度と80度におけるフラーレン二重膜の水透過特性。

b:脂質二重膜の水透過特性。

c:フラーレン二重膜を水分子が透過する様子の模式図。

d:脂質二重膜を水分子が透過する様子の模式図。フラーレン二重膜内では水分子が結晶性の膜の隙間にとらわれるため,流動性の高い脂質二重膜に比べて水を通しにくいことがわかる。また,フラーレン二重膜の中に取り込まれた水が糊のように働き,熱を加えたときに膜を硬くするために,80度ではより水を通しにくくなる。

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東京大学大学院理学系研究科化学専攻および科学技術振興機構 戦略的創造研究推進事業 総括実施型研究(ERATO)中村活性炭素クラスタープロジェクト研究総括である中村栄一教授と東京大学の磯部寛之元准教授(現東北大学教授)らの研究グループは,2001年に,フラーレン誘導体の陰イオンを水に溶かすと,黄色い均質な溶液が生じ,この中に二枚の分子膜(分子二重膜)からできたベシクル(小胞)ができることを報告した(図1)。イオン化した両親媒性分子を水に溶かしてできるベシクル(注2)としては脂質二重膜(注3)からなる「細胞」が最もよく知られているが,この細胞とフラーレンベシクルの性質の差には大変興味のもたれる所である。今回,ベシクルを形成するフラーレン二重膜の性質を精査した所,この膜は細胞膜の千倍から一万倍水を通しにくいこと,また熱水中ではばらばらに壊れてしまう細胞膜とは違って高温(80度まで)で壊れないばかりか,かえってより堅固になり水を通しにくくなる事を明らかにした(図5)。この異常な性質は,分子二重膜の中に取り込まれた水が糊のように働き,熱を加えたときに膜を硬くするためであると考えられる。これまで細胞などの脂質分子から成る分子二重膜で知られていた常識からは考えられない特性であり,今後の新しい膜材料の開発につながると期待される。

研究の具体的な内容:細胞膜とフラーレン膜の違いを,核磁気共鳴装置を使った熱力学測定により精査した所,その違いが膜を構成する分子と水分子の相互作用の違いによることがわかった。すなわち,脂質二重膜の内部では,高い運動自由度を持った炭化水素の鎖が膜に対して垂直に並んでおり,水分子はこの柔軟な炭化水素鎖の隙間をぬうようにして通り抜けていく(図2)。一方で,フラーレン二重膜の内部は剛直なフラーレンが密に詰まった,いわば結晶のような状態をとっている(図3,4)。このため,膜を透過するために膜外部から侵入した水分子は結晶性の膜の隙間に挟まって自由度が減少し(エントロピー減少)膜を通り抜けることが困難になっていると考えられる(図5,6)。

生体膜の最も重要な役割は外界から必要な物質のみを取り込み,生命活動に必要な物質が外に漏れ出さないようにすること,つまり「物質のふるい分け」である。例えば,脂質二重膜では,酸素や窒素のような非極性小分子や,水やエタノールのような中性小分子は透過することが可能だが,より大きなアミノ酸や糖といった分子や,イオン性分子は通り抜けることができない。これは透過する分子と脂質二重膜内部の炭化水素鎖との相互作用の違いによって生じる選択性である。

今回の発見は,フラーレンの膜がこれまで知られている膜とは全く異なる物質選択性を持つということに要約できる。近年,エネルギーや環境問題に関連して膜によるガス分離が最近脚光を浴びている。現在用いられてきたガス分離膜は高分子や多孔質無機物質からできたものであり,それぞれ特徴を持った分離性能を持っている。今回見つかった新しい性質を活用してフラーレンを含む薄膜を設計すれば,これまでにない物質分離の選択性を持つ新しいタイプの膜として利用することができると期待される。例えば,メタンハイドレートからのメタンガスを分離するためのガス分離膜,また近年バイオ燃料として注目されているエタノールを精製する過程で必要とされる水とエタノールの分離のための膜の開発など,環境問題やエネルギー科学における鍵物質の分離という観点から,将来の工業的応用が期待される新材料である。

この研究成果は,東京大学大学院理学系研究科の中村栄一教授,磯部寛之元准教授(現東北大学教授)の研究グループと,科学技術振興機構 戦略的創造研究推進事業 総括実施型研究(ERATO)中村活性炭素クラスタープロジェクトとの共同研究によって得られたもので,米国科学アカデミー紀要(PNAS, Proceedings of the National Academy of Science of the United States of America)のオンライン版で公開される。

用語解説

フラーレン:
1985年にCurl, Kroto, Smalleyによって発見された炭素同素体の一つで,炭素原子がサッカーボール状につながった分子。1970年に大澤映二博士(当時京都大学)により初めて提唱された。世界に先駆け日本で工業生産が開始されており次世代材料の基盤物質として期待されている。(参考:フラーレン
ベシクル:
分子二重膜からできた膜がつくる小胞。内部の空間にイオン,薬剤,タンパク質などを取り込ませることが可能であり,薬物運搬剤などとして注目されている。
脂質二重膜:
脂質分子が二層にならんで膜状の構造をとったもの。脂質分子は疎水性(水をはじく性質)の部位と親水性(水となじむ性質)の部位からなり,水中では疎水性部位を内側に,親水性部位を外側に向けるようにして二重の膜を形成する。細胞膜をはじめとするあらゆる生体膜の基本構造である。(参考:脂質二重層
フラーレン二分子膜ベシクル:
2000年に,中村栄一教授(東京大),B. Chu教授(NY州立大)らの共同研究により見つかった細胞様の二分子膜小胞。脂質とはまったくことなる分子構造をもつフラーレンを素材とするため,特異な性質をもつものと期待されていた。(参考:Fullerene bilayer vesicle

論文情報

9月3日の週に米国科学アカデミー紀要(PNAS, Proceedings of the National Academy of Science of the United States of America)オンライン版で公開。その後,印刷体で公開。

Hiroyuki Isobe, Tatsuya Homma, Eiichi Nakamura
"Energetics of water permeation through fullerene membrane"
(フラーレン膜を透過する水のエネルギー変化)
http://dx.doi.org/10.1073/pnas.0705010104(予定)