「不可解な遠隔作用」の検証に成功
発表者
- 酒井 英行(東京大学大学院理学系研究科物理学専攻 教授)
- 矢向謙太郎(東京大学大学院理学系研究科物理学専攻 助手)
概要
量子力学的に絡み合った陽子対を人工的に生成し、そのスピン相関測定により、ベルの不等式を実験的に検証した。測定結果は量子力学を支持するものであり、アインシュタインらが「不可解な遠隔作用」と忌み嫌い、量子力学を批判する根拠とした「非局所相関」が、陽子対において初めて確認された。この結果は、アインシュタインらの主張が間違っていることを示すとともに、量子力学の基本的概念を確認するものである。
解説
(1)研究の背景

量子力学では2つ以上の粒子が相互作用できないほど十分に遠く離れても、一方の粒子に対するある物理量の測定が他方の粒子に対する測定結果に影響を及ぼすことがある。これを量子力学の「非局所相関」(注1)という。アインシュタイン、ポドルスキー、ローゼンはこの非局所相関を「不可解な遠隔作用」*1と呼んで量子力学を批判する根拠とし、1935年に「量子力学の記述は不完全である」という論文を発表した。それはEPRパラドックスと呼ばれている*2。
右図に示す思考実験は量子力学とアインシュタインらの立場の違いを端的に表したものである。いま、スピンを持った粒子のペアーがあり、スピンが互いに逆向きに組んでいるとする(スピン1重項状態(注2)と呼ぶ)。この粒子対が左右に分裂し、それぞれのスピンの向きを左右に配置した偏極度計で測定するとしよう。偏極度計はスピンの上下方向に感受性があり、左・右の偏極度計での測定結果を順に<上・下>などと表す(スピン相関と呼ぶ)。量子力学では、測定が行われるまでスピン状態が確定せず、いわば「<上・下>かつ<下・上>」とでも表現すべき「絡み合った」状態(注3)にあると考える。そして、一方のスピンの向きが測定された瞬間にどちらかの組み合わせが選択され他方のスピンの向きも確定すると考える。
これに対し、アインシュタインらは、粒子のスピンの上下は測定前から確定しているという決定論的な立場をとっている。すなわち、図でのスピンの組は、「<上・下>または<下・上>」と記述される。さらに、一方の粒子についての測定が、遠く離れた地点での他方の測定に影響を与えることはないとする。これを局所実在論(注4)と呼んでいる。アインシュタインらが主張したこの局所実在論からの予言と量子力学の予言について優劣を実験的につけることは約30年にわたり不可能だと考えられてきた。しかし、1964年にベルは局所実在論が不等式の形で表現できることを発見した(ベルの不等式(注5))。そして、このベルの不等式による予言と量子力学による予言が異なる結果になる場合があることを示した。このベルの発見により、EPRパラドックスは実験的に検証可能となったのである。
絡み合った光子対を用いてベルの不等式の検証実験が多数行なわれた。その結果、光子対では非局所相関が確かめられ、量子力学を支持する結果となった。しかし、質量をもつ粒子系では、その実験的困難さから高精度検証実験が行われてこなかった。我々は、このような非局所相関が、陽子対においても存在するかを明らかにするために、絡み合った陽子対のスピン相関を測定し、量子力学と「ベルの不等式」による予言値と比較した。
(2)実験の概要
エネルギー270メガ電子ボルトに加速した重陽子(注6)ビームを液体水素標的に入射し、1H(d,2He(注7))n反応(注8)によって、量子力学的に絡み合ったスピン1重項状態の陽子対(2He)をほぼ100%の純度で生成した。これを磁気スペクトロメータSMARTで運動量分析し、空間的に離れた2陽子がスピン1重項状態(2He)にあることを事象ごとに確認した。その後、2陽子のスピンの向きを偏極度計EPOL(注9)で測定し、スピン相関関数の値を得た。EPOLはこの実験のために開発され、2Heを構成する2陽子のスピンの向きを同時に且つ任意の方位角に関して観測できるという特長を持つ。これにより、実験終了後のデータ解析時に、2陽子のスピン基準軸をそれぞれ任意の方向に設定できる(事後選択(注10))のも大きな特長である。実験は理化学研究所の加速器を使い行われた。
(3)結果とその意義

測定された2陽子のスピン相関関数の45度での値は、S=2.83±0.28であり量子力学の予言値S=2.84と非常によく一致した。その一方で、ベルの不等式(CHSH型)からは最大極限値はS=2であるが、測定値は3標準偏差(99.3%の信頼度)でベルの不等式を破ることが示された。この結果は、量子力学の非局所相関が、陽子対においても存在することを明らかにするとともに、その基本的概念を確認するものである。
(4)研究の波及効果
現在では、絡み合い状態にある粒子対は、EPRペアーと呼ばれており、量子情報という新しい研究分野において、量子テレポーテーションや、量子コンピュータなどの最先端技術に利用されている。多くの場合EPRペアーとして光子対が研究に使われ、量子光学という重要な分野を形成している。
我々の測定から、1)陽子EPRペアーが強い相互作用の到達距離(10−15m)に比べて十分に遠く離れ、また、2)多くの物質を通過しても、絡み合い状態が頑丈に維持されることが明らかになった。この絡み合い状態の頑丈さは、量子テレポーテーションや、量子コンピュータなどへの応用に相応しい性質であり、将来の発展が期待される。
(5)詳しい説明
もう少し詳しい説明が以下のページにあるので、参照されたい。
http://nucl.phys.s.u-tokyo.ac.jp/sakai_g/epr/
なお、本研究は三菱財団ならびに科学研究費補助金・基盤研究(B)「陽子対スピン相関測定によるEPRパラドックスの検証」(研究代表者・酒井英行)によって得られた成果である。
(*1)アインシュタインの言葉。
(*2)論文の著者の頭文字をとった呼び名であるが、著者アインシュタインらはパラドックスという言葉を用いていない。
用語解説
- 非局所相関:
- 空間的に離れた場所に置かれた装置間で、一方の測定が他方の測定に影響を与えること。↑
- スピン1重項状態:
- 2粒子のスピンが互いに逆向きに組み、全スピン角運動量がゼロの状態。1S0と表現する。↑
- 絡み合った状態:
- 2つ以上の粒子が直接相互作用できないほど遠く離れていても、系全体としてはつながっていて相互に切り離すことができないような状態。非局所相関の原因となる。↑
- 局所実在論:
- 物理的事象の観測量は観測する・しないに関わらず確定していて(実在性)、空間的に遠くはなれた場所の測定同士が影響を及ぼしあうことはない(局所性)とする理論。↑
- ベルの不等式:
- 局所実在論を仮定したとき、遠く離れた2地点で行われる測定間に成り立つ不等式。↑
- 重陽子:
- 重水素の原子核。陽子1つ、中性子1つから成る。↑
- 2He:
- 通常のヘリウムは4Heで、陽子2つ、中性子2つでできている。2Heは陽子2つから成るヘリウムであり、スピン1重項状態にある。陽子間に働く電気的反発力のために短時間(10−21秒程度)で分裂する。↑
- 1H(d,2He)n反応:
- 重陽子(d)ビームを水素(1H)標的に当て、核反応により2Heが作られ中性子(n)が残る核反応。酒井グループでは1980年代からこの特殊な反応(d,2He)を使い、原子核を研究している。↑
- 偏極度計EPOL:
- スピンの向きを測定する装置を偏極度計と呼ぶ。陽子と炭素標的との散乱過程が、スピン・軌道力により、左右の非対称を生じることを利用してスピンの向きを測定する。EPOLはアインシュタイン偏極度計(Einstein POLarimeter)の略称で、2陽子のスピンの向きを同時に測定できるように設計されている。↑
- スピン基準軸の事後選択:
- スピンの向きは空間に固定された座標系を基準に定義(測定)される。一般には偏極度計の持つ固有座標軸で測定できるスピンの向きは決まってしまう。EPOLは2πアクセプタンスという際立った特長をもつため、空間座標軸に制限されずに、2陽子のスピンの向きをそれぞれ測定できる。実際は、測定時に散乱データを取得して、コンピュータに蓄積し、後日データ解析時に解析者が任意の座標軸を設定して、その軸に関してスピンの向きを求める。↑
論文情報
- 雑誌:
- 米国物理学会のPhysical Review Letters 誌の10月13日号(オンライン版)、10月13日号(印刷版)に掲載予定
- 著者:
- H. Sakai, T. Saito, T. Ikeda, K. Itoh, T. Kawabata, H. Kuboki, Y. Maeda, N. Matsui, C. Rangacharyulu, M. Sasano, Y. Satou, K. Sekiguchi, K. Suda, A. Tamii, T. Uesaka, and K. Yako
- タイトル:
- “Spin correlations of strongly interacting massive Fermion pairs as a test of Bell’s inequality.”
(強い相互作用する質量を持ったフェルミ粒子ペアーのスピン相関測定によるベルの不等式の検証)