遺伝子プログラムの安定性を保証するメカニズムの一端を解明
発表者
- 武田 洋幸(生物科学専攻 教授)
- 堀川 一樹(生物科学専攻 助手)
概要
複雑な構造を持つ私たちのからだを正しく作るためには、多くの遺伝子が正確に発現することが必須である。今回我々は名古屋大学との共同研究により、背骨等の繰り返しパターンを作る時計機構の一端を明らかにした。特に、時計として機能する細胞が集団を作ることで遺伝子発現のノイズを吸収し、からだの中で正確に時を刻んでいることを見いだした。この研究成果は2006年6月8日発行のNatureに掲載された。
解説

図1:私たちのからだの節をつくる時計細胞節をつくる時計細胞の働き方は、視覚を介したホタル集団の同調振動(発光)とよく似ている。(ホタルの絵は「動物のフリー素材 いきもの道具箱」より許可を得て転載)

図2:周期的に遺伝子発現のON/OFF繰り返す時計細胞は、細胞表面のノッチ・デルタタンパク質を用いて細胞集団として同調する。この時計細胞の集団としてのON/OFFリズムが節パターンを作り出す。
私たちのからだには、心臓の拍動や概日リズムなど多くの "リズム" を見いだすことができるが、こうした "リズム" は完成したからだだけではなく、からだ作りの過程(発生過程)でも機能している。例えば、背骨に代表される体幹部の繰り返し構造は、"分節時計" が刻む遺伝子発現のON/OFFリズムをもとに作られると考えられている。今回我々は、実験とコンピューターシミュレーションの両方を組み合わせることで、分節時計の働き方やその特徴の一端を、明らかにすることに成功した。
分節時計とは、小さな時計細胞(注1)の集合体である。個々の時計細胞内では、ある遺伝子が一定のリズムで発現のON/OFFを繰り返すが、そのリズムは時計細胞の集団内で適切に調節されており、同調してON/OFFを繰り返す。この全体としてのリズムの規則正しさはとても重要で、その正確さが同じサイズの節を規則正しく配置することにつながっていると考えられている。たとえばリズムが消失すると節を作れなくなり、脊椎骨癒合症となる。
これまでの研究により、単一の時計細胞のリズムを生み出すメカニズムが明らかになりつつある一方で、多数の時計細胞が統一的なリズムを生むメカニズムは不明であった。今回私たちは分節時計の最小単位である時計細胞がノッチ・デルタという細胞表面で機能するタンパク質を使って互いに手を取り合うことで一つの集団をつくり、同調して振動すること(注2)を明らかにした。特に遺伝子改変技術と胚操作技術を利用し、外部から刺激を与えることで分節時計のリズムを変調させ、節の大きさを人為的に変えることにも成功した。
体節時計では、一つ一つの細胞をみると、細胞分裂などによって生じた "遺伝子発現のばらつき"(ノイズ)が存在する。しかし、このようなノイズによる影響もノッチ・デルタを介した細胞間の相互作用によって緩和され、体節時計の同調性が維持されていた。一個の受精卵に端を発する発生過程では、1)細胞増殖による個体のサイズの増大と、2)遺伝子の秩序だった転写・翻訳に基づく美しいかたち作り、を両立させなくてはならない。本研究は "生きた" 遺伝子プログラムがノイズの影響を緩和する機構を初めて示したものである。
本研究で明らかになったようなノイズの最小化機構は、ほとんどの遺伝子プログラムにもともと備わっていると考えられる。病気に代表されるような、遺伝子システムが示す特殊な状態は、必ずしも遺伝子=部品の欠損という単純な変化だけで引き起こされるのではなく、プログラムに備わっている高次な機能が影響を受けた結果生じている可能性がある。今後の生命科学研究の新しい方向性を示した研究成果と考えている。
用語解説
- 時計細胞:
- 時計細胞の中ではヘアリとよばれる(抑制性)転写制御因子が周期的な発現変動を示している。(1)転写がONになる。(2)転写因子が一定の量に達すると自身の遺伝子の転写をOFFにする。(3)転写が止まり、自己分解により転写因子の濃度が低下する。(1)→(2)→(3)→(1)…を一定周期で繰り返す。↑
- ノッチ・デルタによる同期メカニズム:
- ノッチとデルタタンパク質は細胞表面に存在し、結合することで細胞間の情報交換を可能にしている。結合した細胞間で位相が異なった場合は、同期するように働く。↑
論文情報
Kazuki Horikawa, Kana Ishimatsu, Eiichi Yoshimoto, Shigeru Kondo and Hiroyuki Takeda, "Noise-resistant and synchronized oscillation of the segmentation clock", Nature 441, 719-723 (8 June 2006)