母性遺伝のしくみを1細胞で解明
発表者
- 西村 芳樹(元生物科学専攻 博士研究員)
- 成瀬 清(生物科学専攻 講師)
概要
多くの動植物において、母親のみから子孫に伝えられる一群の遺伝子がある。単細胞緑藻クラミドモナスや細胞性粘菌では、生殖に際して片親の遺伝子が積極的に分解される事により、このような母性遺伝が引き起こされることが明らかになってきた。今回我々は、赤外線レーザーにより1匹の精子を操ることが出来る「光ピンセット法(注1)」と日本でモデル生物(注2)化が進められてきた「メダカ」を材料として駆使することにより、脊椎動物においてもミトコンドリアDNAの分解が母性遺伝の基盤であり、また進化的には大きく隔たるはずの粘菌から脊椎動物まで、広く共通した母性遺伝の原理が存在する可能性を明らかにした。今後さらに分解を担う酵素群や、分解の引き金を引く分子機構の解析を進めていく事で、動物や植物に広く共通する母性遺伝機構の精巧さが明らかになっていくと思われる。
解説
多くの動植物において、母親のみから子孫に伝えられる一群の遺伝子がある。ミトコンドリアや葉緑体の遺伝子がその典型である。とりわけミトコンドリア遺伝子は、母性遺伝するという特徴により、人類の進化と起源(ミトコンドリア・イヴ)の探索から、親子鑑定や犯罪捜査にまで広く利用されてきた(横田めぐみさんの遺骨問題についてミトコンドリアDNA鑑定が用いられたことは記憶に新しい)。しかしこれら遺伝子がどのようなしくみで母性遺伝するかについては、これまで単純な説明があるのみだった。すなわち、受精に際し母親の卵は大きく多数のミトコンドリアを含むのに対し、精子は小さくわずかな量しか持たないため、あるいは受精の際に精子ミトコンドリアが卵に侵入できないため、結果として母性遺伝が引き起こされるというものである。
この説明に対する大きな矛盾として、数十年に渡って単細胞緑藻クラミドモナスや細胞性粘菌が注目されてきた。クラミドモナスや粘菌は、全く同じ大きさのオスとメスの配偶子で生殖するが、ミトコンドリアや葉緑体遺伝子は片親遺伝してしまう。様々な角度からの研究の結果、これらの生物では生殖に際して片親の遺伝子が積極的に分解されてしまう事が明らかになってきた。今回の研究では更に、脊椎動物(メダカ)におけるミトコンドリア母性遺伝機構を検討した。
我々はまず、これまで観察が難しかった精子のミトコンドリアDNAを、高感度なDNA特異的色素 SYBR Green I を用いて可視化することに成功した。この手法で精子ミトコンドリアを観察したところ、成熟過程で精子のミトコンドリアDNAは5分の1程度に減少し、受精後は全く見えなくなった。更に、赤外線レーザーにより1匹の精子を操ることが出来る「光ピンセット法」により、個々の精子を受精後に回収し、精子に由来するミトコンドリアDNAの状態(有無)をPCR法により解析した。その結果、精子ミトコンドリアDNAがやはり受精後に積極的に分解されてしまうことが明らかになった。このDNA分解はミトコンドリア自体の崩壊よりも早く観察された。精子ミトコンドリアDNAは、精巣で酸化ストレスにさらされダメージを受けていると考えられることから、この現象が損傷した雄DNAを速やかに分解し、子孫に遺伝することを防ぐのに役立っている可能性がある。
以上の結果より、脊椎動物においてもミトコンドリアDNAの分解が母性遺伝の基盤であり、また進化的には大きく隔たるはずの粘菌から脊椎動物まで、広く共通した母性遺伝の原理が存在する可能性が明らかにされた。今後更に分解を担う酵素群や、分解の引き金を引く分子機構の解析を進めていく事で、動物や植物に広く共通する母性遺伝機構の精巧さが明らかになっていくと思われる。
用語解説
- 光ピンセット:
- 赤外線レーザビームのもつ放射圧を利用して,微小な粒子や細胞を非接触で捕捉する技術。レーザー光を開口数の大きい高倍率の顕微鏡対物レンズで集光すると,その焦点付近に微粒子(直径1μm程度のプラスチックビーズなど)を捕捉することができる.動いている精子を捕捉したり、アクチンやDNAの弾性を測定したりすることができる。↑
- モデル生物:
- 飼育が容易で世代交代が早い。遺伝子の人為的な改変が出来る。ゲノムDNAの塩基配列が分かっているなど条件を備えた実験材料の総称。動物ではショウジョウバエ マウス センチュウ ゼブラフィッシュ メダカなど 植物では シロイヌナズナ イネなどがある↑
論文情報
Y. Nishimura et al., "Active digestion of sperm mitochondrial DNA in single living sperm revealed by optical tweezers", Proceedings of the National Academy of Sciences, 103, 5, pp.1382-1387