脳の神経回路形成のしくみ解明に大きな一歩!
発表者
- 能瀬 聡直(物理学専攻 助教授)
- 新座(亀田) 麻記子(生物化学専攻 元大学院生)

概要
私たちが秩序だった行動をとれるのは、神経のネットワークが、特定のパターンで脳や体内において配線されているからである。このような神経の配線は、発生過程において、神経細胞が決まった道筋に沿って突起を伸ばし、正しい相手と結合することにより形成されるが、そのしくみはよく分かっていない。特に無数の細胞が密集している脳内において、神経細胞がどのようにして特定の相手を探し出すのかは大きな謎であった。
われわれは、理化学研究所と共同で、カプリシャスという分子が、脳内の特定の領域に存在する「目印」として働き、神経細胞どうしが、多数の細胞のなかからお互いを見つけだし、結びつくのを手助けする役割を果たしていることを見いだした。この結果は、脳内の神経回路形成のしくみの理解に大きく貢献するとともに、神経再生治療の開発にも役立つかもしれない。
解説
脳神経系を構成する多数の神経細胞は、それぞれ正確な配線を通じて決まった相手と結合することにより、機能的な神経回路を形づくる。例えば、われわれがものを見ることができるのは、光を感知する神経細胞(光受容細胞)が、脳内の視覚処理に関わる領域に正しく配線しているからである。神経間の配線は発生過程において、神経細胞が軸索とよばれる突起を伸ばし、標的の細胞と結合することにより形成される。しかし、その詳しいしくみはよく分かっていない。特に、無数の神経細胞が複雑にからまりあう脳内において、神経細胞がいかにして自分の結合相手を間違いなく探し出すのかは、大きな謎であった。
脳の大部分は、多数の神経細胞などが何層も積み重なったような「層構造」からなっている。このことから、神経細胞は特定の層を見分けることにより、正しい神経結合を形成すると考えられているが、この機構は不明であった。これまでに、特定の層に存在し、目印として働く可能性がある分子は少数であるが見つかっていた。しかしながら、実際に生体内において、これらの分子が「層特異的結合」に関与することが示された例はなかった。
本研究では、脳内の神経結合のしくみを明らかにするための簡単なモデルとして、ショウジョウバエの視覚系を用い、光受容細胞が、脳内の特定の層に配線する過程を調べた。ショウジョウバエの視覚系においては、特定の光受容細胞を可視化し、脳内の多数の神経細胞のなかで、その配線のパターンを追跡することができる。また、遺伝子操作により、特定の分子の働きをなくしたり、本来その分子をもっていない神経細胞に強制発現させたりできる。このような利点を生かし、ほ乳類の脳では困難な実験を行った。能瀬助教授らは以前に、体の末梢において運動神経が特定の筋肉を見つけ出し結合する際に標識の機能を果たす分子としてカプリシャスという細胞接着分子(注1)を発見していた。本研究では、カプリシャスが脳内においても、神経結合を介する「目印」の役割を果たすことを見いだした。視覚系においてカプリシャスは、8種ある光受容細胞のうち1種(R8とよばれる)のみと、その投射先である脳内の特定の層に限局し存在していた。遺伝学的にカプリシャスを失わせると、R8は本来の標的層とうまく結びつくことができなくなった。逆に、本来カプリシャスを持たない光受容細胞R7に強制的にこの分子を発現させると、その投射先が変わり、カプリシャスが存在しているR8の標的層に結合するようになった。以上の結果から、カプリシャスを持つ神経細胞は同じくカプリシャスをもつ神経細胞層と結合する、という層特異的神経結合のしくみが明らかにされた。生体内でこのような脳の神経配線のしくみが確認されたのは初めてのことである。
本研究で明らかになった「目印」を介した層特異的結合のメカニズムは、ヒトを含めた他の動物にも同様に存在すると考えられる。したがって、本研究は、いかにして複雑な脳神経回路が形成されるのかを解明するにあたって、大きな一歩となるだろう。また、将来的には、交通事故などにより損傷した神経を再生治療する方法の開発にも役立つ可能性がある。各々の神経がどの細胞と結合すべきかを「目印」によって調節、決定することができれば、損傷した神経を、脳の正しい領域に導くことが可能となるかもしれない。
用語解説
- 細胞接着分子:
- 細胞の表面に存在して細胞間の接着を介在する分子のこと。カドヘリンなどがよく知られる。今回、解析したカプリシャスはロイシン・リッチ・リピートとよばれる構造をもつ細胞接着分子のファミリーの一員である。カプリシャスを発現する細胞同士はくっつくようになることから、分子間の結合を介して、特定の神経間の結合を促進する働きをしていると考えられる。↑
論文情報
Makiko Shinza-Kameda, Etsuko Takasu, Kayoko Sakurai, Shigeo Hayashi, and Akinao Nose, "Regulation of Layer Specific Targeting by Reciprocal Expression of a Cell Adhesion Molecule, Capricious", Neuron, 49, 205-213, 2006.