視細胞Gタンパク質に結合している特殊な脂質が眼の光感度を調節していることを発見
発表者
- 深田 吉孝(生物化学専攻 教授)
- 葛西 秀俊(生物化学専攻 大学院生)
- 岡野 俊行(生物化学専攻 講師)
概要
我々の眼は、星降る夜から真夏の炎天下まで、10億倍も違う強さの光環境において、物を見ることができる。これは、周囲の光強度に応じて視覚の感度を変えることができるためであるが、これほど幅広いダイナミックレンジをもつ生体シグナルの変換システムは他に例をみない。今回、このような高度な順応を示す視覚の特性が、光シグナルを視覚情報へと変換する、いわゆるシグナル伝達タンパク質に結合している脂質のわずかな違いに基づく事を明らかにした。
生体膜でのシグナル伝達に欠かせないGTP結合タンパク質(以下、Gタンパク質と略)には、イソプレノイドと呼ばれる脂質が共有結合しており、この脂質が結合していないGタンパク質は生体シグナルを正常に伝達することができない。Gタンパク質に結合しているイソプレノイドには、多数派のゲラニルゲラニルと少数派のファルネシルの2種類があり、いずれか一方がGタンパク質の種類に応じて選択的に結合している。眼の視細胞(注1)において光シグナルを伝達するのはトランスデューシンというGタンパク質で、ファルネシルが結合しているが、視細胞のGタンパク質に少数派のファルネシルが結合している生理的意義は、これまで謎であった。(東京大学大学院理学系研究科)生物化学専攻の葛西秀俊(大学院生)および深田吉孝教授らは、トランスデューシンに結合するファルネシルをゲラニルゲラニルに置き換えた変異マウスを作り、その視覚機能を測定した。その結果、光を受けたときに起こるトランスデューシンの細胞内移動が変異マウスでは不完全になっており、周囲の光強度に対する馴れ(明順応(注2))の効率が非常に悪くなることがわかった。これまでGタンパク質に結合している脂質は、Gタンパク質をシグナル伝達の「場」である細胞膜につなぎとめる「静的なアンカー(いかり)の役割」を持つと考えられてきたが、網膜の光センサーである視細胞においては、ダイナミックにGタンパク質の存在場所を変化させて視感度の調節をつかさどる「動的な調節の役割」も担うことが明らかになった。
解説

図:視細胞のGタンパク質であるトランスデューシン(T)は,視細胞が光刺激を受けて明順応すると外節から内節に移動し,外節での光シグナル伝達が起こりにくくなる(図の左)。ところが変異マウスでは,この細胞内移動が妨げられ,外節での光シグナルの伝達効率が高い状態に保たれるため,明順応しにくい(図の右)。
神経伝達物質や外来性の化学物質(匂いや味の分子など)は細胞の外側からやって来るので、それらに対するレセプター分子は細胞膜上に存在する。これらのレセプターがキャッチした生体シグナルを細胞の内側へと伝達するのがGタンパク質であり、この分子は細胞膜の内側につなぎ留められていると機能を発揮する。数多くのGタンパク質には、ファルネシルまたはゲラニルゲラニルとよばれるイソプレノイド脂質のいずれか一方が共有結合しており、これらの脂質は、Gタンパク質を細胞膜に繋ぎとめる「アンカー」の役割を果たしていると考えられてきた。しかし、Gタンパク質の種類によって異なるイソプレノイドが使い分けられていることの生理的な意味は、両者の役割の違いが分からなかったため、長いあいだ謎に包まれていた。2種類のイソプレノイドは互いに構造が似ているが、その化学的な性質の違いにより、ファルネシルはゲラニルゲラニルよりもタンパク質を細胞膜に繋ぎとめる力が弱い。脳をはじめ多くの組織に存在するGタンパク質にはゲラニルゲラニルが結合しているが、興味深いことに、視覚を担う視細胞に存在するGタンパク質であるトランスデューシンにはファルネシルが結合している。この両者の使い分けの生理的意義を明らかにするため、我々のグループは遺伝子改変マウスを用いてこの問題にアプローチした。
本研究では、遺伝子改変技術を駆使し、光シグナルを伝達するトランスデューシンに本来結合しているファルネシルをゲラニルゲラニルに置換したマウスを作製した。このマウスに、さまざまな強さの光刺激を与えて視細胞から電気応答を記録し、視細胞の光感度を測定した。さらに、周囲の環境の光強度を変えて同じように光感度を測定し、光環境に対する馴れ(明順応)の効率を解析した。その結果、暗闇で順応させた場合の光感度は正常であったが、明るい場所に移した時の電気応答に異常が見られ、光感度が低下しにくいことが分かった。この異常の原因を調べたところ、周囲の環境の光強度に応じて起こるはずのトランスデューシンの細胞内移動に異常が見られた。正常なマウスにおいては、連続して光刺激を受けると(つまり明るい環境では)、光シグナル伝達が起こる視細胞の外節から細胞体へとトランスデューシンが移動する結果、光シグナルが伝達されにくくなって感度が低下する。これが明順応の一つの分子メカニズムである。我々が作製した変異マウスでは、この細胞内移動が起こりにくくなっていた。この違いは、ファルネシルよりも膜結合力の強いゲラニルゲラニルにより、刺激に応答してGタンパク質が細胞膜から離れる(逃げる)ことができず、光シグナル伝達を弱められなかったことによると推測される。
我々が、暗い夜空の星を数えたり夏の炎天下で蝉を捕まえられるのは、10億倍も違う光環境に応じて視感度を適切に切り替えられるからである。神経伝達物質のシグナル伝達や化学物質の受容など他の感覚と比べて、これほど幅広いダイナミックレンジをもつ生体シグナルの変換システムは他にない。このようなシグナル伝達の特性が、Gタンパク質のアミノ酸配列だけでなく、結合脂質のわずかな違いによって達成されているという事は驚くべきことであり、タンパク質に結合したイソプレノイドが動的な調節的役割を果たす事を初めて示した研究成果と言える。癌遺伝子産物として有名なRasタンパク質もファルネシルが結合している少数派のGタンパク質である。ファルネシルは細胞分化・増殖・発癌など多様なシグナル伝達の調節に絡んでいる可能性も考えられ、このような観点からも今後の研究が期待される。
用語解説
- 視細胞:
- 光を受容する細胞。明暗を識別する桿体と、色覚に関わる錐体と呼ばれる2種類の細胞が眼の網膜に存在する。視細胞は外節および内節という2つのコンパートメントに分かれており、外節は光受容体やトランスデューシンが存在する光情報伝達のメインステージである。↑
- 順応:
- 眼の光感度は周囲の光環境に「慣れる」ことができる。たとえば、明るい外から暗い映画館に入ると初めは何も見えないが、しばらくすると周りの物が良く見えてくる。これが暗順応であり、光感度が充分に上がるまでに時間を要する。逆に、映画館から明るい外に出ると非常にまぶしく感じるが、すぐに慣れてくる。これが明順応であり、光感度が下がることに対応している。↑