分子を整列させ"電子の波"の干渉効果を観測
発表者
- 金井 恒人(物理学専攻 博士課程)
- 峰本 紳一郎(物理学専攻 助手)
- 酒井 広文(物理学専攻 助教授)
概要
通常ランダムな向きを向いている気体分子に超短パルスレーザー光(ポンプ光)を照射すると、分子が周期的に整列する状態を実現できる。ポンプ光を照射後、別の高強度超短パルスレーザー光(プローブ光)を照射して発生する高次高調波(解説図1、波長がプローブ光の数十分の1で、レーザー光と同じ性質を持つ波長が非常に短い紫外光)と、同じくプローブ光の照射により生成されるイオンを同時に観測する独自の実験手法を開発した(解説図2)。ポンプ光を当ててからプローブ光を照射するまでの時間を変えながら、高調波とイオンを観測すると、分子によって高調波の強さと発生するイオンの量の間の関係が異なる。今回、二酸化炭素分子(CO2)を試料として用いたところ、分子の向きによって高調波の強度が強められたり弱められたりするばかりでなく、イオン量の増減との関係が逆になることを発見した(解説図3)。これは、最近の理論研究で予言されていた"電子の波"の干渉効果によるものである(解説図4)。本研究では、この干渉効果を世界で初めて観測することに成功した。この成果は、分子構造を極限的短時間(10-15秒)精度で撮影する手法につながる画期的なものである。
この成果は英国科学誌 Nature 5月26日号に掲載され、同じ号の news and views 欄で注目すべき成果として紹介された。
解説

図1:高次高調波の発生メカニズムを説明する2ステップモデルの図。第1ステップでトンネルイオン化した電子は、レーザー電場中で駆動される間に高い運動エネルギーを得る。第2ステップで親イオンと再結合する際、この運動エネルギーとイオン化ポテンシャルの和に相当する、エネルギーの高い(波長の短い)光を高調波として発生する。

図2:開発した独自の手法を説明する実験系の図。左から、分子を整列させるためのポンプ光を入射した後、高調波発生用のプローブ光を入射する。試料分子は超音速分子線として供給される。発生した高調波は右側の斜入射分光器で波長選別(高調波の次数を選別)され、電子増倍管(検出器の一種で図は省略)で検出される。プローブ光の照射により発生したイオンは、分子線の下流に設置された円筒形(図は断面図)のイオン検出器で検出される。

図3:二酸化炭素分子を試料とし、ポンプ光を当ててからプローブ光を照射するまでの時間を変えながら観測したイオン信号と高調波信号(青色)と理論計算の結果(灰色)。イオン信号と高調波信号の変化の仕方が逆になっていることが分かる。実験と理論は良く一致している。高調波信号の後半で見られるずれは測定中に実験条件(主にレーザー光の微妙な特性)が変化したことによるもの。二酸化炭素分子のおおよその向きを上部に示した。なお、窒素分子や酸素分子を試料とした場合には、イオン信号と高調波信号の変化の仕方は同様となった。

図4:二酸化炭素分子中で起こっている電子の波が強く打ち消し合う干渉効果を説明する模式図。強く打ち消し合う干渉条件は、電子の波の波長λ(電子のド・ブロイ波長)、二酸化炭素分子中の2つの酸素(O)原子間の距離R 、再結合する電子の波と二酸化炭素分子の分子軸とのなす角θによって決まる。θは、プローブ光の偏光方向と分子軸とのなす角に対応する。今回観測された電子の波の干渉効果は、高校の物理で学習するヤングの干渉実験(右下図参照)のミクロ版と考えることができる。今回の実験では、二酸化炭素分子中の2つの酸素(O)原子がサブナノスケール(0.23ナノメートル)間隔の2つのピンホールを形成し、光の代わりに電子の波が干渉していると考えれば良い。
(1) これまでの研究で分かっていた点
高強度超短パルスレーザー光(注1)を気体原子や分子に照射して発生する高次高調波(注2)は、波長が非常に短い紫外領域の、レーザー光と同じ性質を持つ超短パルス極短波長光源としての有用性から、長年にわたり多くの研究がなされて来た。ランダムな向きを向いている分子を使用した場合、分子に特有の現象は観測されにくく、高次高調波の発生特性は、イオン化ポテンシャル(注3)がほぼ等しい原子と同様であることが知られていた。
(2) この研究が明らかにしようとした点
本研究室が世界をリードするレーザー光による分子操作技術を駆使し、気体分子の向きが揃った試料を用いることにより、分子に特有の効果を観測することを目標とした。
(3) そのために新しく開発した手法
高次高調波の発生メカニズムは次の2つの過程を考えることにより理解できる(解説図1参照)。第1ステップ(トンネルイオン化過程):高強度レーザー電場で電子がトンネルイオン化(注4)する。第2ステップ(再結合過程):トンネルイオン化した電子が高強度レーザー電場中で駆動される。この間に高い運動エネルギーを得た電子が親イオンと再衝突する際、高い運動エネルギー(+イオン化ポテンシャル)に相当するエネルギーの高い(波長の短い)光、すなわち高次高調波を発生する。今回独自に開発した手法は、この高次高調波だけでなく、プローブ光を照射した際に、不可避的に発生するイオンを同時に検出するというものである(解説図2参照、イオン信号強度は、トンネルイオン化のしやすさを判断する指標となるが、検出された分子イオン自身は、電子と再結合することはできず、高調波発生には寄与しないことに注意されたい。)。この手法により、第1ステップと第2ステップの寄与を明確に識別することが可能となった。
(4) この研究で得られた結果および知見
試料として窒素分子(N2)や酸素分子(O2)を用いた場合には、ポンプ光を当ててからプローブ光を照射するまでの時間を変えながら観測したイオン信号強度と高調波信号強度の変化の仕方が同様であることを確認した。このことは、再結合過程(第2ステップ)がトンネルイオン化過程(第1ステップ)の効率を打ち消すような効果を及ぼしていないことを意味する。ところが、二酸化炭素分子(CO2)を試料として実験を行ったところ、イオン信号強度と高調波信号強度の変化の仕方が逆になることを初めて発見した(解説図3参照)。すなわち、イオン信号が大きい時、高調波信号が小さくなり、イオン信号が小さい時、高調波信号が大きくなった。このことは、二酸化炭素分子中の2つの酸素(O)原子近傍のフロンティア軌道からトンネルイオン化した電子が、再結合過程で"電子の波"(注5)として振る舞い、強く打ち消し合う干渉効果が起こっていると考えることにより理解できる(解説図4参照)。このような再結合過程における電子の波の干渉効果は、最近の理論研究によって、その観測が期待されていた分子中で起こる量子力学的現象の最も顕著な効果の一つであり、今回の成果の鍵は、整列させた分子を試料とし、高調波とイオンを同時に観測するという独自の実験手法の採用にあった。なお、電子を粒子と考える限り、今回観測された現象を説明することはできない。
今回観測された電子の波の干渉効果は、高校の物理で学習するヤングの干渉実験のミクロ版と考えることができる。ヤングの干渉実験は、約200年前に光の波動性を実証するための実験の一環として行われたものであり、2つのピンホールから出た初期位相差ゼロの2光束間の光路差が、特定の条件を満たす時に明暗の縞模様が観測される。今回の実験では、二酸化炭素分子中の2つの酸素原子がサブナノスケール(0.23ナノメートル)間隔の2つのピンホールを形成し、光の代わりに電子の波が干渉していると考えれば良い(解説図4参照)。なお、今回、打ち消し合う干渉効果が二酸化炭素分子で観測され、分子の性質が似ている酸素分子で観測されない理由は、分子中の2つの酸素原子の間の距離が異なるためである。
(5) 研究の波及効果
分子中での高次高調波発生を始めとし、分子と高強度レーザー電場との相互作用の詳細を明らかにするための実験的・理論的研究の急速な発展のきっかけとなる成果である。特に、今回観測された強く打ち消し合う干渉効果の著しい特徴は、この打ち消し合う干渉効果が1分子中で光の1周期以内で起こっていることであり、この干渉効果を利用することにより、分子の瞬間的な構造(直線分子の場合は核間距離)を1フェムト秒 (=10-15 秒)以下の極限的時間精度で調べるための全く新しい手法となりうる。さらに、整列させた分子を試料とし、高調波とイオンを同時に観測するという実験手法は、今後当該分野の標準的実験手法となるであろう。
(6) 今後の課題
今回の一連の実験では、二酸化炭素分子の他、窒素分子や酸素分子のように、頭と尾の区別のない無極性分子を対象とした。今後の課題の一つは、硫化カルボニル分子(OCS)のような有極性分子の頭と尾を区別して整列させ、高次高調波発生実験を行い、その詳細なメカニズムを明らかにすることを始めとし、有極性分子と高強度レーザー電場との相互作用の詳細を明らかにすることである。また、高強度レーザー光(プローブ光)のピーク強度付近でのみ直線偏光となるようなパルスを分子に照射すれば、この瞬間だけ電子が親イオンに再衝突でき、高次高調波のパルス幅を、照射したレーザー光よりも短縮できると期待される。この手法を用いて、1フェムト秒以下のアト秒領域の極超短パルスを発生させることも今後の課題の一つである。この場合にも整列した分子を使用すれば、分子軸と直線偏光の方向の相対的な関係により、電子が親イオンに再結合する確率が異なることから、高次高調波のパルス幅を制御するための新しいアプローチとなりうる。
用語解説
- 超短パルスレーザー光:
- 人類の発生できる最も短いパルスはレーザー光によってのみ実現できる。最近では、10フェムト秒(10-14秒)以下のパルスも発生できるようになって来た。ちなみに、1秒間に地球の7周半分の距離を進むことのできる光でも、10フェムト秒の間には、3ミクロン(1ミクロン=10-6メートル)しか進むことができない。↑
- 高次高調波:
- 強度1013〜1014 W/cm2程度以上の、超短パルス高強度レーザー光(基本波と呼ぶ)を原子や分子に照射すると波長が基本波のn分の1(n は反転対称性のある媒質の場合は奇数)の短波長光が発生する。n は容易に数十に達し、n 次の高調波と呼ばれる。高次高調波発生は、摂動論の範囲では説明できない、高強度レーザー物理に特有の現象の一つである。実験条件により、nが数百に達することも知られている。したがって、基本波として可視〜近赤外領域の光を用いても、高調波の波長は極端紫外〜軟X線領域に達する。これらの高調波はレーザー光と同様の性質を持つ光であり、極短波長領域の超短パルスコヒーレント光源としての有用性から、長年にわたり多くの研究が行われている↑
- イオン化ポテンシャル:
- 気体中の基底状態にある原子または分子から1個の電子を無限遠に引き離して、1個の陽イオンと自由電子とに解離させるために要するエネルギー(イオン化エネルギー)のこと。このエネルギーを、電子ボルト(eV)単位で表した数値をイオン化ポテンシャルと呼ぶことがある。↑
- トンネルイオン化:
- 量子力学系で見られるトンネル効果の一つ。ポテンシャル障壁よりも低いエネルギー状態からある確率でイオン化する現象をトンネルイオン化と呼ぶ。↑
- 電子(の)波:
- 物質波またはド・ブロイ波と呼ばれるものの一つ。ミクロの世界では、物質は粒子と波の2重性を持つことが知られている。電子の波動性を強調したい時、電子波と呼ぶ。1924年にL. de Broglieが導入した。↑
論文情報
Tsuneto Kanai, Shinichirou Minemoto, and Hirofumi Sakai, "Quantum interference during high-order harmonic generation from aligned molecules," Nature 435, 470-474 (2005).
Jonathan P. Marangos, "Molecular structure in an instant," Nature 435, 435 (2005).