重い原子を含む新しいたんぱく質をつくる酵素の原子構造を決定
概要
東京大学は,理化学研究所および万有製薬つくば研究所と共同で,ヨウ素という重い原子を含む人工的なアミノ酸を組み込んだ「超たんぱく質」を合成する鍵となる酵素の原子分解能での立体構造を,大型放射光施設SPring-8を利用してX線結晶構造解析によって決定しました。これに基づいて,超たんぱく質の合成法を飛躍的に進歩させることができると期待されます。この研究は,我が国で推進している「タンパク3000プロジェクト」の成果の1つです。
地球上のあらゆる生物は,DNA(注1)のもつ遺伝情報に基づいて,細胞の中でたんぱく質(注2)を合成しています。実際に生物を形作り,生命活動をコントロールしているのは,たんぱく質であり,わずか20種類のアミノ酸(グルタミン酸やシステインなど)からできています。DNAの遺伝情報を正しくたんぱく質のアミノ酸配列に反映するために,遺伝暗号の翻訳(注3) が転移RNA(注4)(tRNA)を介して行われます。翻訳が規則正しく行われるには,特定のアミノ酸が,正しいtRNAと結びついていなければなりません。その両者を選び出して,「暗号解読表」の通りに結合させるのが,アミノアシルtRNA合成酵素(注5)と呼ばれる酵素群です(以下,合成酵素と略)。
合成酵素を遺伝子工学的に改変すると,暗号解読表を人為的に書き換えることができます。例えば,天然で使われる20種類のアミノ酸以外の,全く新しいアミノ酸と新しいtRNAを結びつける合成酵素を作れば,新しいアミノ酸を特定の塩基配列に結びつけることができます(図1)。2002年に,我々のグループは,遺伝子工学によって作り出した合成酵素 (変異TyrRSと呼ぶ) を用いて,ヨウ素という重い原子を含む非天然のアミノ酸を,たんぱく質に自由に導入することに成功しました。これまで天然のアミノ酸の組成で最も重い原子は硫黄でしたが,ヨウ素は鉄や銅,銀よりも重く,硫黄のおよそ4倍もの大きさを持っています。このような非常に重い原子は,アミノ酸の主成分の軽い原子 (酸素,水素,窒素,炭素,硫黄) などとは性質が異なってきます。特に,電磁波(注6)に対する性質が違うので,たんぱく質,さらには生きた細胞を壊すことなく観察するための標識として有効です。現在のところ,たんぱく質の原子構造の決定にこのヨウ素を含む「超」たんぱく質が用いられようとしています。しかし,変異TyrRSがどのようにしてヨウ素のような重い原子を含むアミノ酸を認識して,tRNAに結合させるのかについては,これまでわかっていませんでした。それは,変異TyrRSの原子構造が決定されていなかったためです。そこで,我々のグループは,実際に変異TyrRSのアミノ酸とtRNAの認識の様子を,原子レベルの分解能で明らかにすることを試みました。
東京大学(理学系研究科生物化学専攻横山茂之教授,小林隆嗣 (大学院生))と理化学研究所,万有製薬の共同研究グループは,このたびヨウ素を含む超たんぱく質の作製に用いられた変異TyrRSと,tRNA,およびヨウ素を含むアミノ酸の一種であるヨードチロシンとの複合体の立体構造を,大型放射光施設SPring-8の共用ビームラインを利用して,0.2 ナノメートル (ナノは10億分の1) という,原子レベルでの観測に成功しました(図2)。
その結果,変異TyrRSは,鍵穴のようなポケット状のくぼみをもっていて,ヨードチロシンが,ちょうど鍵のようにその中にちょうどぴったりはまることで,tRNAとヨードチロシンの結合ができることが明らかとなりました。ヨウ素原子という大きな原子を受け入れるために,鍵穴がちょうどその大きさに合わせて広げられていて,しかもヨウ素の特有の性質に基づいて認識している様子が観察できました(図2)。一方,変異TyrRSは,チロシンという,ヨードチロシンと比べてヨウ素がないという違いしかなく,よく似た天然のアミノ酸を認識しません。この機構もまた,鍵と鍵穴のように,ヨウ素がない分だけチロシンは変異TyrRSの鍵穴にはぴったりはまらず,余ったスペースができるために認識ができないということが明らかとなりました。このように,人工的に作られたたんぱく質が巧みにヨードチロシンのような非天然の基質を認識する様子を捉えたのは世界でもほとんど類を見ない成果です。
観測された原子構造をもとにして,変異TyrRSのアミノ酸結合ポケットをさらに人工的にデザインすることが可能になり,より新しいアミノ酸をうまく認識させることができると期待されます。こうして作られた人工的なTyrRSは,工業や医薬,癌などの診断に役立つ超たんぱく質の生産という応用性を飛躍的に高めることができると考えられます。具体的には,TyrRSの詳細な原子構造が明らかとなったことで,現在医薬品の設計に用いられている,コンピュータを用いた分子設計の方法によって,今までよりずっと高い確度で新しいアミノ酸をtRNAに結合させることが可能となります。それはあらゆる新しいアミノ酸をたんぱく質の材料として用いることができる,ということにつながります。そのような新しいアミノ酸を構成要素として持つたんぱく質は,ダイオキシンなどの有害物質の分解や医薬品となる有機分子の合成を行う酵素のように工業的に有用な酵素や,生体内で働く制がんたんぱく質などの医薬品として働くような超たんぱく質の開発に大いに役立つと期待されます。医学においても,重い原子の特性を生かして,生きた細胞,さらには生体を細かく観察することができるので,癌の診断などの応用が可能になるかもしれません。今後は,今回決定された原子構造をもとにして,それらの応用を目指して研究を進めていきます。
用語解説
- DNA:
- デオキシリボ核酸の略語。糖とリン酸からなる二本の鎖がらせん状になり,その間をアデニン (A),グアニン (G),シトシン (C),チミン (T)の四種類の塩基がはしご状に並んだ構造を持つ。この塩基の並び方が遺伝情報として,「生命の設計図」を記述している。つまり,その塩基の並び方に基づいて特定のアミノ酸配列をもったたんぱく質が作り出される。↑
- たんぱく質:
- DNAのもつ遺伝情報を反映して生体機能を実際に制御したり,生体を形作ったりする主要な高分子。基本材料は20種類のアミノ酸であり,それらがDNAの持つ情報に基づいて,規則正しく鎖状につながり,折り畳まってできる。↑
- 翻訳,転移RNA(tRNA):
- 伝令RNAに伝えられた情報は,塩基配列として存在する。それをアミノ酸配列の形に直し,たんぱく質を合成する生命現象が翻訳と呼ばれる。伝令RNA上の塩基配列は,暗号のようなもので,3塩基ごとに区切ることができる。それぞれの三つ組塩基の配列がひとつのアミノ酸を規定しているが,その対応関係を与えるアダプターが転移RNA(tRNA)である。ひとつのtRNAはひとつの特定のアミノ酸を結合でき,特定の三つ組塩基にしか結合することができない。細胞の中では,リボソームと呼ばれる大きな高分子複合体の上で伝令RNAとtRNAが結びついてたんぱく質が合成されるが,それによって塩基配列からアミノ酸配列への情報の変換が厳密に行われる。↑
- RNA:
- リボ核酸の略語。DNAと同じく糖,リン酸,塩基からなるが,糖と塩基の種類が異なる。大きく分けて,伝令RNA (mRNA),転移RNA (tRNA),リボソームRNA (rRNA) の3種類がある。いずれも,たんぱく質の生体内での合成に関わる分子である。DNAに記録されている塩基配列としての遺伝情報は,いったん同じ塩基配列の形でmRNAに伝えられる。これを遺伝情報の転写という。後者二つは遺伝情報の翻訳に関わる。↑
- アミノアシルtRNA合成酵素,チロシルtRNA合成酵素(TyrRS):
- アミノアシルtRNA合成酵素は,ほとんど全ての生物で20種類のアミノ酸それぞれに対応して,20種類存在し,特定の転移tRNAと特定のアミノ酸を結びつける酵素。それによって,翻訳のための「暗号解読表」が形成される。TyrRSは,20種類存在する合成酵素のうちのひとつであり,アミノ酸のひとつであるチロシンを認識して,特定のtRNAに結合する酵素である。↑
- 電磁波:
- 振動電場が磁場を伴って波動として空間を伝搬する現象。我々が光として感じる可視光線も電磁波の一種である。波長によって,X線,紫外線,赤外線,マイクロ波などがある。ものに触れることなく物質を観察するのに用いられるのは電磁波である。↑
論文情報
Kobayashi T. et al., Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 102(5), 1366-1371 (2005)