2005/1/25

鞭毛はなぜ振動するか

発表者

  • 神谷 律(生物科学専攻 教授)

概要

図1

図1:ウニ精子の鞭毛運動

図2

図2:鞭毛の構造の電子顕微鏡写真

図3

図3:微小管の滑り運動を示す模式図

生物学にはあまり縁が無い方でも,鞭毛(べんもう)という言葉は聞いたことがおありだろう。バクテリアや精子が泳ぐために使う,細い毛のような運動器官のことである。ただし,同じ鞭毛という名であっても,バクテリアと精子では全く違うものなので,注意が必要だ。ここで話題にするのは,精子の鞭毛である。ほぼすべての動物と一部の下等な植物は,精子と卵の合体,すなわち“受精”によって,子孫を残す。多くの場合,雄の個体から精子が放出されると,雌個体の体内または体外にある卵に向かって勢い良く泳ぎ,幸運な精子一匹が受精を成立させる。だから,精子にとって,というか,生物の子孫の維持にとって,鞭毛の運動は非常に重要である。ところが,その運動のしくみには,まだ多くの謎がある。その謎に関して,最近,真行寺千佳子助教授のグループが重要な発見を行った(Morita and Shingyoji (2004). Current Biology, 14, 2113-2118)。

運動中の精子を高速度映画やビデオで見ると,長い尻尾−鞭毛−を正弦波のように打って,一見おたまじゃくしのようにして泳ぐことがわかる(図1)。ただし,おたまじゃくしの尻尾の運動は複数の筋肉によるものだが,鞭毛の運動は鞭毛自体が内蔵する機構による。鞭毛の内部(軸糸という)は,たんぱく質(チューブリン)が重合してできた微小管と呼ばれる管9本が円筒状に並び,中央に2 本の微小管が収まるという構造を持つ(図2)。30 年以上前,軸糸をたんぱく質分解酵素で部分分解してからATPを加えると微小管の束が滑り出してくる(図3)という発見がおこなわれ,鞭毛運動は微小管の滑り運動を基礎としていることが確実になった。微小管の間に局所的にずれが生じると,その前後で屈曲が生じ,ずれの位置が伝播することによって波が生じるらしい。周辺の微小管上に並んだダイニンというたんぱく質が,ATP加水分解のエネルギーを使って,隣の微小管を滑らせるのである。

しかし,微小管同士の滑り(ずれ)が運動の基礎だとしても,規則正しい波打ち運動が起こるには,滑りがおこる位置とタイミングが正確に調節されていなければならない。特に,ダイニンは微小管上を一方向にしか滑れないので,軸糸が屈曲方向を周期的に反転するためには,軸糸断面内で反対側に位置する微小管対の間で滑り力を周期的に交代して発生する必要がある(図3参照)。その交代はどのように調節されているのだろうか。これまで,軸糸の屈曲によってダイニンの力発生が調節されるというモデルが提唱され,計算機実験などによって支持されてきた。しかし,実際にダイニンが軸糸の力学的状態で調節されていることを示した実験は無かった。今回,真行寺助教授と大学院生の森田裕君が行ったのは,その調節機構の実在の証明である。真行寺助教授の以前からの研究により,特殊なたんぱく質分解酵素によって部分分解した軸糸では,微小管の滑り運動を自然に近い状態で観察できることが明らかになっていた。森田君は今回,そのような軸糸を微小ガラス針で人為的に屈曲させるという,微小生理学技術の粋を尽くした実験を行った。すると,いったん一方向に滑り出した微小管束が,軸糸の屈曲とともに見事に逆方向に滑ったのである。この滑りの逆転は,力を発生する微小管対が,軸糸の屈曲方向によって切り替わるためと考えられる。まさしくこれまで理論家が仮定し,実験家が追い求めていた結果である。鞭毛の振動的運動機構に力学的フィードバックが働いていることが,やっと証明された。