2004/3/9

物質に質量を与えるクォーク凝縮現象を支持する実験的証拠を得ることに成功

概要

東京大学と独立行政法人理化学研究所を中心とする研究グループ(注1)は、陽子や中性子などの物質に質量を与える原因とされているクォーク凝縮を支持する明白な実験的証拠を得ることに成功しました。この研究結果は米物理学会誌(フィジカル・レビュー・レターズ誌)に掲載され(注2)、物質の質量起源という極めて基本的な問題を解明する手がかりとなります。

解説

図1

図1:真空のカイラル対称性(軸方向の対称性)が破れてある一つの方向を選択する様子を表した概念図。赤丸で示される真空の状態は常に一番底の部分に位置する。左図では、軸の周りに回転しても変化しないが、右図では軸周りの回転により異なる場所へと移ってしまい、対称性が破れたと言う。

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図2

図2:クォーク凝縮の大きさが密度や温度の変化と共に変わる様子。原子核中心密度でも空っぽの真空(原点の位置)から比べてクォーク凝縮の値が異なる。

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図3

図3:実験で観測されたスペクトルの一例。中央のピークがパイ中間子束縛状態に対する。ピークの位置が右にあるほどパイ中間子−原子核相互作用が引力的で左にあると斥力的。

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図4

図4:原子核中でのクォーク凝縮の大きさが真空中での値より減少している事が実験的に観測された。

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陽子や中性子はクォーク三個から構成されますから、クォーク一個は陽子の約1/3の質量を持つと思われます。ところが、実験的にはクォーク(u,d クォーク)一個の質量は たかだか陽子質量の 0.5 % 以下(注3)と1/3に遠く及ばないものです。このギャップが何に由来しているのか理論的にも実験的にも様々な議論が行われてきました。その中で今回実験的に明白な証拠を得られたのが、クォーク凝縮という機構を基にした理論です(注4)。クォーク凝縮による質量獲得のメカニズムでは、クォークの質量は小さいままで、物質をとりまく真空の性質が異なると考えます。つまり真空はもはや「空っぽ」の空間ではなく、物質の周りをクォーク凝縮という媒質が埋め尽くしていて、物質が運動するとそのまわりのクォーク凝縮をかきわけるように進まなくてはならない。これが物質の質量を与えているという理論です。この空っぽの真空からクォーク凝縮の詰まった真空への変化をカイラル対称性の破れ(注5)といいます(図1)。カイラル対称性は、ビッグバン直後の高温の宇宙では破れていなかったと考えられており、宇宙の温度が下がる過程の相転移により破れたと考えられています。

さて、カイラル対称性の破れによる質量獲得のメカニズムを証明するには、クォーク凝縮を観測すればよいのですが、クォーク凝縮は粒子という形を伴うものではないので、直接観測可能な量ではありませんが、その大きさは温度や密度に依存します(注6)(図2)。そこで、加速器で光速近くまで加速した原子核同士を衝突させて温度の高い媒質を作り、その媒質中での物質(粒子)の性質を調べるという手法や、原子核を高い密度を持つ媒質とみたて、その中に素性の良くわかった粒子を導入してその性質の変化を観測するという手法で研究されてきましたが、明確な答えは得られておりません(注7)

実験はドイツ国立重イオン研究所(GSI)の実験施設を用いて行い、パイ中間子が原子核に深く束縛している基底状態を世界で初めて生成し観測する事に成功しました。この状態のエネルギーを調べることでパイ中間子と原子核の間の相互作用を精密に決定する事ができました。

詳しい理論的な考察により、クォーク凝縮の大きさと、パイ中間子−原子核間の相互作用には大きな関わりがある事がわかってきました。原子核内部でクォーク凝縮の大きさが変化し、その結果パイ中間子−原子核相互作用の強さに変化が生じるはずです。この変化を観測することで原子核内部と真空中とでクォーク凝縮の大きさを比べることができるという事です。

そこでクォーク凝縮の大きさを横軸にとり、実験結果をフィットしてみると、図4のように統計的に有意な赤丸の部分を示すことがわかりました。これは真空中での値に比べて原子核の中心ではクォーク凝縮の大きさが約67 % という値となり、クォーク凝縮を質量獲得のメカニズムとする理論の予言する値と極めて近いことがわかりました。

今回の研究によってビッグバン直後の宇宙が冷えるにしたがって、どのようにして物質が質量を獲得したのかを解き明かす大きな手掛かりを得ることができたといえるでしょう。このような研究は、始まったばかりであり、我々の研究グループではさらなる実験の準備を行っています。

用語解説

  1. 実験参加者は以下の通りです。
    東京大学大学院理学系研究科 早野研究室
    早野 龍五
    鈴木 謙
    鈴木 隆敏
    進藤 美紀
    理化学研究所 ミュオン科学研究室(岩崎・先端中間子研究室)
    岩崎 雅彦
    板橋 健太
    佐藤 将春
    理化学研究所 RIビーム科学研究室
    山崎 敏光
    奈良女子大学理学部物理科学科 原子核理論研究室
    比連崎 悟
    梅本 由紀子
    藤田 雅子
    東京工業大学大学院理工学研究科 柴田研究室
    米山 哲
    新潟大学理学部物理学科
    大坪 隆
    ドイツ国立重イオン研究所
    Hans Geissel, Prof. Dr.
    Gottfried Munzenberg, Prof. Dr.
    Helmut Weick, Dr.
    Martin Winkler, Dr.
    Milan Matos
    ミュンヘン工科大学、オーストリア科学アカデミー中間エネルギー研究所
    Paul Kienle, Prof. Dr.
    Hansjorg Gilg, Dr.
    ユーリッヒ原子核研究所
    Albrecht Gillitzer, Prof. Dr
  2. Ken Suzuki et al., Physical Review Letters Volume 92 (2004) 072302.
    “Precision Spectroscopy of Pionic 1s States of Sn Nuclei and Evidence for Partial Restoration of Chiral Symmetry in the Nuclear Medium”
  3. 例えば「ヒッグス粒子と質量」が平易。
  4. Y. Nambu and G. Jona-Lasinio, Phys. Rev. 122 (1961) 345; 124 (1961) 246
  5. 例えば「自発的対称性の破れ」がわかりやすく解説している。
  6. T. Hatsuda and T. Kunihiro, Phys. Reports 247 (1994) 221とその参考文献。
  7. 例えば RHIC 実験や KEK-PS E325 実験。