DATE2020.06.04 #プレスリリース
動く分子の世界最高速での動画撮影
中村 栄一(化学専攻 特別教授/東京大学名誉教授)
原野 幸治(化学専攻 特任准教授)
発表のポイント
- 「分子の動きは目に見えないほど速い」とされる。今回、1つの分子があたかも古典的物体のように往復運動をする様子を1600枚/秒という世界最速のビデオ映像として記録した。
- 分子が素早く動く瞬間を見逃さないためには、ただ高速で撮影するだけでなく連続撮影が必須であるが、これまでは一秒に20枚程度が最速だった。今回その速度を100倍程度(1600枚/秒)速くすることに成功した。
- 19世紀以来、人々は素早く動く物体の撮影に熱中してきた。今回達成した1600枚/秒の速度のビデオ映像により、これまでは時間および空間平均の中に埋もれてしまっていたさまざまな化学現象の詳細が解明できる。
発表概要
顕微鏡の発明が人々の目に見えない小さいものへの関心に火をつけたのは17 世紀である。ここに素早く動く物体を目で見たいという興味が加わり、1878年に疾走する馬の動画撮影が達成された。長年科学者が競って開発してきた動く分子の動画撮影は、この歴史の延長線上にある。動く分子の動画撮影の速度は、これまで20枚/秒程度が限度であり、それは高速原子間力顕微鏡(AFM)で達成された。その空間分解能は、タンパク質分子が塊として見える程度である。一方、透過電子顕微鏡(電顕、注1)で撮影された分子の動画では12 枚/秒がこれまでの最高速度であった。今回、東京大学大学院理学系研究科化学専攻の中村栄一特別教授、原野幸治特任准教授らの研究グループは、バージニア工科大学・九州大学の村山光宏教授らのグループと共同で、分子の動きを原子分解能電顕でその場撮影し、1つの分子があたかも古典的物体のように往復運動をする様子を1600枚/秒という世界最速のビデオ映像として記録することに成功した。分子動画のこれまでの最高速度を100倍程度上回り、かつ0.01ナノメートル(1000億分の1メートル)の分子位置の決定精度を実現した。今、研究は確率論的に動き回る原子や分子のイメージングという究極の目標に向かって進んでいる。
発表内容
動画撮影の歴史は、1878年にマイブリッジによって走る馬の姿が12枚の連続写真に記録されたことに始まり、現在では光学的なイメージングの時間分解能はフェムト秒(10のマイナス15乗秒)に達している。科学研究においては、分子を無数の分子の平均像として捉えるのではなく、分子一つ一つの形や位置の変化を顕微分析により追跡することが、自然現象や物質の性質をより正しく理解するために重要であることから、さまざまな高速イメージング手法が開発されてきた。例えば、高速原子間力顕微鏡(AFM)によるタンパク質分子の動きのイメージングは、通常12枚/秒程度、最高でも20 枚/秒が限度であり、またその空間分解能は原子レベルには及ばない。ナノメートルサイズの分子の挙動を研究するためには、原子レベルの情報が得られる顕微鏡による撮影が必要であるが、分子の振る舞いはカオスと呼ばれる複雑系であり、予測が極めて難しいため、力学的なカオスに従う分子の挙動を研究するためには、分子の位置および形を途切れること無く連続的に観測する分析技術が必要となる。
例えば「分子と同程度のサイズの振動する入れ物に入った分子の動き」について考えてみる。マラカスを振ったときに中の小石が動くように、微小スケールの世界でも分子は入れ物と強く相互作用し、入れ物の振動に応答して分子の運動が誘起されると予測される(図1)。
図1:我々の目に見えるマクロスケールの世界では、マラカスを振ると中の小石がその振動に応答して(力学的応答)回転しながら容器の中を動く。本研究では上述の高速電顕動画撮影を用いて、ナノ(微小)スケールの器であるCNTの中に閉じ込めた分子が、CNTの振動に応答してCNTの軸に沿って往復運動をすることが見いだされた。
しかし、実際のケースの多くは入れ物の揺動が非線形かつ確率論的であり、動きが起こる瞬間を予測することができないため、分子が動く瞬間を分子のスケールで実験的に捉えることは困難である。高い時間分解能を実現しているポンプ・プローブ分光法(注2)を基盤とする顕微鏡手法は、その対象が反復可能で容易に再現可能であるものに限られており、ランダムに動き振る舞う分子を原子分解能でかつ実時間で観察する手段については従来に例が無く詳細に研究することが不可能であった。
中村教授らの研究グループでは2007年以来、「原子分解能単分子実時間電子顕微鏡 (SMART-EM)法」(注3)と呼ばれる分子電子顕微鏡技術の開発に取り組み、小さな分子一つ一つ、さらには単分子のみならず分子集合体の動きを動画撮影して記録する研究を行ってきた。分子の電顕動画連続撮影については、2009年に英国の研究グループが報告した12枚/秒のフレーム速度が最高であったが、今回当研究グループは、高速CMOS撮像素子を用いた1600枚/秒のSMART-EM動画撮影と画像処理技術を融合することによって、分子の位置を0.01ナノメートル(1000億分の1メートル)の精度および1万分の9秒の時間精度で決定することに成功し、詳細な分子の動的挙動の解析に新たな道を拓いた。
高速でSMART-EM動画を撮影する場合、単に高速のカメラを用いるだけではフレームレートが高くなるにつれてフレームあたりの電子線量が減少し、画像のノイズに埋もれて分子画像が見えなくなるという問題がある。図2に [60]フラーレン(注4)と呼ばれる球状分子の二量体(C120)がカーボンナノチューブ(CNT、注5)内を往復運動する様子をCMOS撮像素子によって記録した1600枚/秒の動画の一枚画像を示しているが、ノイズが多く、分子の姿は視覚的に捉えられない(動画はリンク先参照:オープンアクセス)。そこで中村教授らは、ウェブ動画などの圧縮に用いられる技術の一種であるChambolle total variationノイズ除去法(注6)を用い各画像のノイズを低減することでこの問題を解決し、従来の最高速度を100倍も上回る1600枚/秒の一枚画像で分子の像を捉えることに成功した(図3)。
さらに動画内の隣接するフレームを重ね合わることで画質を向上し、多数のフレームに収められた分子像について統計解析することにより、分子の位置についても0.01ナノメートル、1万分の9秒という極めて高い位置および時間精度で決定した(図4)。
図2:1600枚/秒で撮影した高速電顕画像にノイズ除去処理を施すことによって、分子およびCNTの動きを世界最高速度でとらえることに成功した。図中のスケールバーは1ナノメートル(10億分の1メートル)
図3:図2の電顕画像に対応する、[60]フラーレン(C60、両端の分子)およびその二量体(C120、真ん中の分子)を詰めたCNTの模式図。
図4:フラーレン二量体(C120)がナノチューブの中を動く様子の時間経過を示す連続画像。矢印が注目するC120分子である.3.8ミリ秒から5.6ミリ秒の間に(上から3枚目)C120分子が左から右へと移動している。図中のスケールバーは1ナノメートル(10億分の1メートル)
動画1 : 高速カメラと画像処理により世界最高速での分子動画撮影を達成
この高速SMART-EM動画をさらに詳細に解析すると、CNT自体も0.1秒程度の時間スケールでランダムに振動すること、さらには分子の並進と回転がCNTの振動と連動して起こっていることが明らかとなった(図5)。
図5:3回並進運動するC60多量体分子の高速電顕動画を解析した結果、分子の移動とCNTの振動が連動していることが示された。図中のスケールバーは1ナノメートル(10億分の1メートル)
さらに今回の研究では、シャトル運動の頻度が25 °Cから150°Cまで変わらないことが示された。CNT中の分子の運動は熱エネルギー以外の要因で誘起されることが以前から推測されていたが、今回の高速動画撮影の実験結果から、機械的に振動するCNTから分子に運動エネルギーが伝わって分子の回転と並進が起こるという、分子レベルでの仕事とエネルギーの関係を明らかにできた。マラカスを振って小石が動く、というマクロ世界の力学挙動がナノレベルの世界でも成り立っていることを実証した。また、このCNT外部の力を受けて分子の往復運動は、典型的な単一分子機械である分子シャトル(注7)であり、本成果は機械的刺激に応答した分子シャトルの実時間運動を初めてリアルタイムで可視化したものでもある。
他にもこの高速電顕撮影を用いて得られた実験データから、CNTが振動する頻度が熱振動として予測される頻度よりもずっと少ないことや、CNTの振動の方向と分子の動く方向に相関関係が見られることなど、興味深い示唆がいくつも得られており、今後の研究により詳細が明らかになると期待される。
分子運動や化学反応をはじめとする分子の振る舞いはカオス現象であり、直接分子の動きを追跡する実験的研究が困難であったため、確率論的事象として取り扱われてきた。今回実現した高速SMART‐EM法による動画記録は、分子の動きや反応の決定的瞬間を逃さずに捉えることが可能であり、これまで利用できなかった空間時間精度での単一分子の非線形力学の研究の新展開につながるだけでなく、より根源的な分子の挙動である分子の立体配座変化や化学反応の機構が解明できる。今後、材料科学から生命科学に至るまで、これまで理論計算でのみしか伺いしれなかったさまざまな科学現象の研究への応用が期待される。
※英語リリースも下記よりご覧ください。
https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/en/press/z0508_00117.html
本研究成果は、科研費特別推進研究(課題番号:JP19H05459)、科学技術振興機構(JST)研究成果展開事業先端計測技術・機器開発プログラム(課題番号:JPMJSN16B1)、National Science Foundation(EAPSI #1713989 and DMREF #1533969)およびVirginia Tech National Center for Earth and Environmental Nanotechnology Infrastructure (NanoEarth)(NSF ECCS #1542100)の支援により得られたものである。本研究では、国際科学イノベーション拠点整備形成事業により導入され、東京大学分子ライフイノベーション機構により運営されている共用機器である原子分解能透過電子顕微鏡(日本電子株式会社製JEM-ARM200F)および直接電子検出型高速カメラ(Gatan社製K2-IS)を利用した。
発表雑誌
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雑誌名 Bulletin of the Chemical Society of Japan(日本化学会欧文誌)
※BCSJ Diamond Collection “Frontiers of Molecular Science”特集号に掲載予定論文タイトル Real-time Video Imaging of Mechanical Motions of a Single Molecular Shuttle with Sub-millisecond Sub-angstrom Precision 著者 Toshiki Shimizu, Dominik Lungerich, Joshua Stuckner, Mitsuhiro Murayama, Koji Harano, Eiichi Nakamura DOI番号 10.1246/bcsj.20200134 アブストラクトURL https://www.journal.csj.jp/doi/abs/10.1246/bcsj.20200134
オープンアクセス:本論文は無料で閲覧可能です
用語解説
注1 透過電子顕微鏡
光より波長の短い電子線を用いる顕微鏡で、物質を透過してきた電子線により像を結ぶことによって物質の形状を視覚的に知ることができる。近年の収差補正技術の進歩により、有機材料の観察に適した低加速電圧を用いた電子顕微鏡においても、原子一つ一つが区別できる原子分解能での撮影が可能になった。↑
注2 ポンプ・プローブ分光法
高速の化学過程を研究するための技術の一つ。ポンプ光と呼ばれるレーザーパルスで物質を励起し、励起状態からの反応や構造変化などの過程をプローブ光によって観測する。現在ではフェムト秒(1000兆分の1秒)以下の高速過程を追跡することが可能となっている。 ↑
注3 原子分解能単分子実時間電子顕微鏡イメージング(SMART-EM Imaging)
原子分解能電子顕微鏡を用いて、分子一つ一つの構造や形状の時間変化を原子分解能で追跡する分析手法。中村教授らのグループにより独自に開発された手法で、CNTを担体とすることで有機分子を長時間安定に観察することが可能である。これまでに、CNTに内包した炭化水素分子が回転、並進運動する様子や分子同士が反応する様子の動画撮影、またCNT表面に結合した「化学釣り針」によって有機結晶の核前駆体や化学反応の微小中間体の構造を初めて捉えることに成功している(2007、2008、2010、2011、2012、2017、2019年東京大学理学部プレスリリース参照)。↑
注4 フラーレン
閉殻空洞状に多数の炭素原子が結合した物体の総称で、グラファイト、ダイヤモンドに次ぐ第3の炭素同素体。通常炭素原子60個で構成されるサッカーボール状の構造を持った [60]フラーレン(C60)のことを指す。C60の直径は0.71 ナノメートル。原子分解能電子顕微鏡では輪(リング)状の像として観察される。↑
注5 カーボンナノチューブ(CNT)
飯島澄男教授(現名城大学)が1991年に発見した。ダイヤモンド、非晶質、グラファイト、フラーレンに次ぐ5番目の炭素材料。今回研究で用いた単層CNTは、炭素単層からなるグラフェンシートが直径1ナノ(10億分の1)メートルから数ナノメートルに丸まった極細チューブ状構造を有している。CNTはその丸まり方、太さ、端の状態などによって、電気的、機械的、化学的特性などに多様性を示し、次世代産業に不可欠なナノテクノロジー材料として注目されている。↑
注6 Chambolle total variationノイズ除去法
チャンボル氏によって2004年に提案されたtotal variationノイズ除去法で、画像におけるシグナル(見たい対象)の輪郭をはっきりと浮かび上がらせつつも、その他のノイズをなくすことに特化している。 ↑
注7 分子シャトル
光や熱、電圧、溶媒の変化、酸と塩基の中和反応などで動かされる機械的機能を持った分子(通称:分子マシン)の一種。1991年にストッダート教授(現ノースウェスタン大学)らによって初めて発表された。何らかの刺激(例えば、pHや光照射)によって、棒状の分子上を環状分子がシャトル(往復船)のように行き来することに着目したもの。本研究では、CNTの中に閉じ込めた分子が力学的刺激に応答して往復運動(シャトル運動)を行っている。 ↑