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ニュートリノで「粒子と反粒子の振る舞いの違い」の大きさを表す
「CP位相角」を大きく制限
理学系研究科物理学専攻の横山将志教授らが参加するT2K実験(東海-神岡間長基線ニュートリノ振動実験)国際共同研究グループは、ニュートリノが空間を伝わるうちに別の種類のニュートリノに変化するニュートリノ振動という現象において「粒子と反粒子の振る舞いの違い」の大きさを決める量に、世界で初めて制限を与えることに成功しました。CP位相角と呼ばれるこの量は、ニュートリノの基本的性質を示す量の一つであり、理論的には-180度から180度の値を取り得ますが、これまで全く値がわかっていませんでした。今回の結果では、CP位相角の取り得る値の範囲の半分近くを99.7%(3シグマ)の信頼度で排除することに成功しました(図1)。ニュートリノについての未解明の問題の一つである、「粒子と反粒子が異なる振る舞いをするかどうか」という問題に大きく迫る成果です。
図1:今回の観測結果と最も良く合うCP位相角の値(矢印)と、各信頼度で排除された範囲(灰色部分)。理論的に取り得る値の範囲の半分近くを99.7%以上の信頼度で排除しました。
物質を構成する素粒子には、電荷の正負が反対であるほかは全く同じ性質を持つ反粒子が存在します。宇宙の始まりであるビッグバンでは、粒子と反粒子が同じ数だけ生成されたはずですが、我々の身の回りには粒子で構成された物質しか見当たりません。このように、現在の宇宙において物質と反物質の対称性は大きく破れています。宇宙に反物質が存在しないようになるためには、「CP対称性」と呼ばれる、電荷と空間に関わる基本的な対称性が破れている必要があります。これまで、CP対称性の破れは陽子や中性子の構成要素であるクォークと呼ばれる素粒子で見つかっていましたが、その破れの大きさは現在の宇宙の物質の量を説明するには不十分です。そこで、電子の仲間であるニュートリノのCP対称性が大きく破れていることで宇宙の成り立ちの起源を説明できるという有力な仮説が提案され、ニュートリノのCP対称性の破れの測定が注目されています。
T2K実験(図2)では、茨城県東海村にある大強度陽子加速器施設J-PARCで大量のミュー型ニュートリノまたは反ミュー型ニュートリノを生成し、295キロメートル離れた岐阜県飛騨市神岡にあるスーパーカミオカンデ検出器で測定しています。ニュートリノの一部は、295キロメートルを飛行する間にニュートリノ振動現象によりミュー型から電子型に変化します。ニュートリノと反ニュートリノのニュートリノ振動現象を測定して、それらを比較することで、クォークで見つかったものとは別のCP対称性の破れを探索しています。
図2:T2K実験の概要
ニュートリノ振動現象においてCP対称性が破れていると、ミュー型から電子型への変化確率に、ニュートリノと反ニュートリノで違いが生じます。破れの大きさを決める量はCP位相角と呼ばれ、-180度から180度の値を取り得ます。0度と180度であった場合はCP対称性が保存していることに、それ以外の角度であった場合にはCP対称性が破れていることになります。CP位相角が-90度の場合には、電子型ニュートリノへの変化確率が最大に、反電子型ニュートリノへの変化確率が最小になります。90度ではその逆です。
2018年までにT2K実験が取得したデータから、電子型のニュートリノが90個、反ニュートリノが15個観測されました。図3はスーパーカミオカンデで検出された電子型のニュートリノと反ニュートリノの例です。実際の測定では、測定器が物質でできていることなどから、ニュートリノの方が反ニュートリノよりも観測されやすいため、観測数から振動の確率を注意深く決める必要があります。観測された結果は、CP位相角が-90度である場合に予想される観測数(ニュートリノで82個、反ニュートリノで17個)に近く、CP位相角が90度の場合の予想観測数(ニュートリノで56個、反ニュートリノで22個)とは大きく異なりました(図4)。今回、CP位相角の値を推定するために必要な統計的手法を更新し、図1に示したように、CP位相角の値として、-2度から165度の領域が99.7%の信頼度で排除されることがわかりました。また、得られた結果はCP対称性の破れを95%の信頼度で示唆しています。本研究により、世界で初めてニュートリノのCP位相角に強い制限がつけられました。ニュートリノの未解明の性質のうちの一つであるCP位相角、そしてCP対称性が破れているか否かが明らかになりつつあると言えます。


図3:スーパーカミオカンデで検出された電子型のニュートリノ(左)と反ニュートリノ(右)の例。ニュートリノが水と反応してできた電子、または陽電子によるリング状の微弱光を、タンク内壁に設置された約11000本の光電子増倍管で観測しています。色のついた点は、その光電子増倍管で光を検出した時間を表しています。
図4:今回得られたニュートリノのエネルギー分布。ニュートリノビームを用いて電子ニュートリノを測定した場合(左)の予想観測数は、CP位相角が-90度(赤破線)の方が90度(青破線)に比べて多くなります。反ニュートリノビームを用いて反電子ニュートリノを測定した場合(右)は、その逆です。CP対称性が保存する0度の場合の予想観測数は灰実線の分布になります。観測数の分布(黒点)は-90度での予想観測数の分布により近いことが分かります。下の表は、観測数とCP位相角が-90度または90度で予想される観測数をまとめたものです。
T2K実験グループは、前置検出器を改良して測定精度をさらに高める計画を進めています。物理学専攻の横山将志教授は、この前置検出器改良計画のリーダーとして、研究室メンバーとともに世界10カ国の研究者やCERN研究所等と共同でプロジェクトを推進しています。T2K実験では、今後さらにデータを蓄積することで、CP対称性の破れの検証を進めていきます。J-PARCでは、より大強度のニュートリノを生成するために、加速器およびニュートリノ実験施設の性能向上に着手しています。また、次世代の実験として、スーパーカミオカンデの約10倍の有効体積を持つハイパーカミオカンデ実験の建設が開始されました。ハイパーカミオカンデ実験では、増強されたJ-PARCニュートリノビームを測定することにより、CP対称性の破れの決定的証拠を捉えるとともにCP位相角の精密な測定が可能となります。横山教授の研究室は、ハイパーカミオカンデにも参加しています。これらの研究によって、素粒子の性質や、宇宙から反物質が消えた謎の理解が進むことが期待されます。
この研究成果は、総合学術雑誌「ネイチャー」に掲載されました。詳細については宇宙線研究所および高エネルギー加速器研究機構のホームページをご覧ください。
【論文情報】
"Constraint on the Matter-Antimatter Symmetry-Violating Phase in
Neutrino Oscillations," K. Abe et al. (T2K Collaboration), Nature Vol.580, pp.339-344 (2020) DOI:10.1038/s41586-020-2177-0
―東京大学大学院理学系研究科・理学部 広報室―