DATE2020.03.10 #プレスリリース
精神疾患に関わるPAC1受容体のシグナル伝達複合体を可視化
小林 和弘(生物科学専攻 修士課程2年生)
志甫谷 渉(生物科学専攻 日本学術振興会特別研究員)
西澤 知宏(生物科学専攻 助教)
井上 飛鳥(東北大学大学院薬学研究科分子細胞生化学分野 准教授)
濡木 理(生物科学専攻 教授)
発表のポイント
- 構造未知であったヒト由来PAC1受容体とGタンパク質との複合体構造を明らかにしました。
- PAC1受容体の細胞外ドメインはリガンドの効率的な受容には必要であるものの、受容体の活性化には必須でないことを明らかにしました。
- 本研究は、PAC1受容体の理解を深め、その低分子創薬に貢献するとともに、Class B GPCRにおける細胞外ドメインの役割の多様性を示すものです。
発表概要
GPCR(注1)は、ヒトに約800種存在する膜タンパク質であり、細胞内のGタンパク質を活性化することで細胞にシグナルを伝えます。GPCRの一種であるPAC1受容体(注 2)は中枢神経系および末梢組織に広く存在するGPCRであり、PAC1受容体選択的な内在性ペプチドPACAP(注 3)により活性化されます。PAC1受容体は摂食制御、糖代謝、精神疾患、涙液分泌などにおいて重要な役割を果たしており、有望な創薬標的として研究されてきました。しかしPAC1受容体の立体構造が未知であるため、医薬品開発が妨げられていました。
今回、東京大学大学院理学系研究科の小林和弘大学院生、志甫谷渉研究員、西澤知宏助教、濡木理教授らの研究グループは、クライオ電子顕微鏡を用いた単粒子解析(注 4)によって、PACAP、PAC1受容体およびGタンパク質からなるシグナル伝達複合体の立体構造を解明しました。複合体構造からは、PAC1受容体によるPACAP認識機構の詳細が明らかになりました。構造とそれに基づいた機能解析によって、PAC1受容体の細胞外ドメイン(注 5)はPACAPの効率的な受容には必要である一方で、受容体の活性化には必須でないことを明らかにしました。
本研究成果は、PAC1受容体の理解を深めその医薬品開発に貢献するとともに、クラスB GPCRにおける細胞外ドメインの役割の多様性を示すものです。
発表内容
研究背景
ヒトは内分泌系を用いて体内環境の恒常性を維持しています。GPCRは内分泌を制御するタンパク質として最大のファミリーを形成しており、ヒトで約800種類存在しています。GPCRは各々が異なったリガンドを受容することで活性化され、細胞内情報伝達分子であるGタンパク質三量体(注6)を活性化します。800種類のGPCRは複数種類のGタンパク質を様々なレベルで活性化しており、生体内における多様な生命現象を制御しています。このような背景から、既存薬の30〜40%がGPCRを標的としています。GPCRはその特徴に基づいていくつかのクラスに分類され、その中でもクラスB GPCRと呼ばれるグループは慢性疾患の創薬標的を多く含み、慢性病態の理解に向けて研究が進められてきました。クラスB GPCRはペプチドホルモンを受容するグループとして知られており、膜貫通ドメインに加えて細胞外ドメインが存在することが知られています。クラスB GPCRがペプチドホルモンを認識する際には、この細胞外ドメインが重要であると考えられています。
本研究の対象であるPAC1受容体はクラスB GPCRの一種であり、下垂体アデニル酸シクラーゼ活性化ポリペプチド(PACAP)を受容します。PACAP受容体としては、他にも類縁受容体VPAC1やVPAC2が存在しています。PAC1受容体は中枢神経系および末梢組織に広く存在しており、様々な機能を有しています。中でも、PACAPによるPAC1受容体経路の活性化は、心的外傷後ストレス障害(PTSD)の根底にある異常なストレス応答を引き起こします。また、PAC1遺伝子の多型は統合失調症と関連しています。このことから、PAC1受容体は多くの精神障害に対する薬物標的として研究されてきました。さらにPAC1受容体は涙腺に発現しており、PACAPにより活性化されて涙液分泌を促進作用する作用があるため、ドライアイ症候群の創薬標的にもなっています。しかし、PAC1受容体を標的とした低分子薬剤は存在せず、そのリガンド認識メカニズムと受容体の構造は不明であり、さらなる受容体研究や医薬品開発が阻まれていました。
今回の内容
2018年度に東京大学に設置されたクライオ電子顕微鏡を用いてPACAPリガンド、ヒト由来PAC1受容体、Gsタンパク質三量体からなるシグナル伝達複合体の立体構造を原子分解能で決定しました(図1)。これにより、PACAPリガンドの認識機構と活性化した受容体によるシグナル伝達メカニズムを解明しました。
図1:PAC1受容体のシグナル伝達複合体の全体構造
左が単粒子解析によって得られた密度マップ。右が密度マップに基づいてモデリング下シグナル伝達複合体の立体構造。
PAC1受容体の膜貫通領域の構造は第6膜貫通ヘリックス(TM6)で大きく折れ曲り、典型的なクラスB GPCRの活性化型構造を取っていました(図2)。
図2:PAC1受容体の構造PAC1受容体の構造
中央がPAC1受容体の膜貫通領域の構造。TM6がグリシンを起点に折れ曲がり、Gタンパク質と相互作用が可能になっている。右がPAC1受容体とPACAPとの相互作用。
その受容体の活性化においては、折れ曲がっている部分のプロリン残基が重要であることが示唆されていましたが、立体構造に基づく変異体機能解析により、プロリンではなくその近傍のグリシン残基が重要であることを明らかにしました。クラスB GPCRで最もよく研究されているグルカゴン用1型(GLP-1)受容体では、細胞外ドメインとリガンドの強固な相互作用が見られることから、これらの受容体の細胞外ドメインの機能解明を目指しました。
複合体構造中では、PACAPのN末端側の14残基がPAC1受容体の膜貫通領域と広範な相互作用を形成していました。特にPAC1RのTM1及びTM7と密な相互作用を形成しており、これらの相互作用がPACAPの認識に重要であることがわかりました(図2)。一方で、PACAPは細胞外ドメインとは強固な結合が見られませんでした(図3)。クラスB GPCRで最もよく研究されているグルカゴン用1型(GLP-1)受容体では、細胞外ドメインとリガンドの強固な相互作用が見られることから、これらの受容体の細胞外ドメインの機能解明を目指しました。
図3:PAC1受容体とGLP-1受容体の比較
GLP-1受容体と比較すると、PAC1受容体の細胞外ドメインは約40°傾いており、リガンドを覆う形では相互作用していない。
PAC1及びGLP-1受容体の細胞外ドメインと相互作用できないようなリガンドを作製し、東北大学の井上飛鳥准教授との共同研究により、細胞外ドメインの持つ機能の違いを解析しました(図4)。
図4:短小化ペプチドを用いた機能解析
受容体の膜貫通領域と相互作用する短小化ペプチドの機能評価。井上飛鳥准教授が開発したNanoBiT-G-protein dissociation assayを用いて、発光強度の減少によりGタンパク質の活性化能を検出している。GLP-1短小化ペプチドは全くGタンパク質を活性化できない。一方、PACAP短小化ぺプチドは、量が多く必要だが、PACAP全長と同程度までGタンパク質を活性化できる。
GLP-1受容体は細胞外ドメインとリガンドの相互作用を失うと受容体の活性化自体が不可能になる一方で、PAC1受容体では細胞外ドメインとリガンドの相互作用が失われても、全長のリガンドと同レベルまで受容体を活性化できました。これらの結果から、PACAPはPAC1受容体の膜貫通領域との相互作用だけのみで受容体を完全に活性化可能であることが明らかになりました。しかし、細胞外ドメインとの相互作用を失ったPACAPリガンドは受容体との親和性が大きく低下することから、PAC1受容体の細胞外ドメインはリガンドとの高い親和性を生み出すために重要であることが明らかになりました。
社会的意義
本研究は、世界で初めてPAC1受容体の立体構造を決定しました。PAC1受容体は類似受容体VPAC1やVPAC2が存在するため、PAC1受容体選択的な薬剤の創出が困難でした。本研究により、PAC1受容体は細胞外ドメインによりリガンドの親和性を高める一方で、その受容体膜貫通部位との相互作用のみにより受容体可能であることが明らかになりました。今後は、本構造情報を活用した、PAC1受容体の膜貫通部位と選択的に相互作用できる低分子薬剤の開発が期待されます。
本研究は、日本学術振興会における科学研究費助成事業の特別推進研究「物理刺激で制御される膜蛋白質の分子機構の解明」(研究開発代表者:濡木理)の一環で行われました。また、本研究は、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)「創薬等ライフサイエンス研究支援基盤事業」の一環として、クライオ電子顕微鏡などの大型施設の外部開放を行うことで優れたライフサイエンス研究の成果を医薬品等の実用化につなげることを目的とした「創薬等先端技術支援基盤プラットフォーム(BINDS)」の支援により行われました。
発表雑誌
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雑誌名 Nature Structural and Molecular Biology 論文タイトル Cryo-EM structure of the human PAC1 receptor coupled to an engineered heterotrimeric G protein 著者 Kazuhiro Kobayashi(1)(3), Wataru Shihoya(1)(3)*, Tomohiro Nishizawa(1)(3), Francois Marie Ngako Kadji(2), Junken Aoki(2), Asuka Inoue(2), Osamu Nureki(1) *.
(3)同等貢献 *共同責任著者 (1) 東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻 (2)東北大学大学院薬学研究科分子細胞生物学分野DOI番号 10.1038/s41594-020-0386-8 アブストラクトURL https://www.nature.com/articles/s41594-020-0386-8
用語解説
注1 Gタンパク質共役受容体(GPCR)
全タンパク質において最大のファミリーを形成する7回膜貫通タンパク質。細胞外領域に特定のリガンドが結合することで活性化し、細胞内のGタンパク質を活性化することでシグナル伝達を行う。内分泌調節において主要な役割を担うことから、既承認薬の30%以上がGPCRを標的にしている。↑
注2 脳下垂体後葉アデニル酸シクラーゼ1型(PAC1)受容体
PAC1受容体はクラス B GPCRに属し、主にアデニル酸シクラーゼを活性化する刺激性Gタンパク質(Gs)を活性化する。PAC1受容体は中枢神経系および末梢組織に広く発現している3。PACAPによるPAC1受容体シグナル伝達は、概日リズム調節、摂食制御、糖代謝、学習と記憶、ニューロンの個体発生、アポトーシス、免疫系の調節など、いくつかの細胞プロセスにおいて重要な役割を果たしている。↑
注3 脳下垂体後葉アデニル酸シクラーゼ活性化ペプチド(PACAP)
(PACAP)は、ヒツジ視床下部の抽出物から発見された38アミノ酸の直鎖ペプチドであり、神経栄養因子、神経保護薬、神経伝達物質、免疫調節薬、血管拡張薬として作用する多機能ペプチドホルモンである。PACAPは主に中枢神経系に分布するが、精巣、副腎、消化管、および他の末梢器官にも検出される。PACAPは血管作動性腸管ポリペプチド(VIP)と68%のアミノ酸配列相同性を有している。PACAPとVIPは3つの異なるPACAP受容体、PAC1受容体、VPAC1受容体、VPAC2受容体を異なる親和性で刺激する。これらの受容体は約50%の配列同一性を有している。PAC1受容体のPACAPに対する親和性はVIPに対する親和性よりも高く、PAC1受容体がPACAPに対して選択的であることを示している。↑
注4 クライオ電子顕微鏡を用いた単粒子解析
電子顕微鏡を用いて撮影した多数の生体高分子の像からタンパク質の立体構造を再構成することで、タンパク質などの生体高分子の立体構造を決定する手法。液体窒素(-196℃)冷却下でタンパク質などの生体分子に対して電子線を照射し、試料の観察を行う。タンパク質の立体構造を高分解能で決定する手法として、検出器などにおいて目覚ましい技術革新を遂げており、2017年に、その開発に貢献した海外の研究者三名にノーベル化学賞が贈られた。↑
注5 細胞外ドメイン
120〜160アミノ酸で構成される細胞外領域に存在するドメインであり、7回膜貫通領域に加えてクラスB GPCR全体に共通した構造である。クラスB GPCRのリガンドである長いペプチドホルモンを受容するために機能していると考えられているが、その詳細な機能はわかっていない。↑
注6 Gタンパク質三量体
細胞内情報伝達に関わるGTP結合タンパク質であり、Gα、Gβ、Gγサブユニットの三量体により構成される。GPCRのような7回膜貫通ヘリックス構造を持つ受容体タンパク質によって活性化される。活性化されたGタンパク質はGDP-GTP交換反応が起き、GαとGβGγの二つに解離する。解離したサブユニットが下流のシグナル伝達因子と結合し活性化することで、細胞に様々なシグナル応答が起きる。↑