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鉄を触媒として用いて、異なる二つの炭素-水素結合を切断し
効率よく炭素-炭素結合を生成する化学反応の開発に成功
中村 栄一(化学専攻 特任教授)
Rui Shang(化学専攻 特任講師)
発表のポイント
- 温和な条件下で鉄触媒を用い、安定な炭素-水素結合を一段階で炭素-炭素結合に変換する新たな手法の開発に成功した。
- 二種類の異なる芳香族化合物を用いた本反応を用いることで、100%の選択率で効率よく有機エレクトロニクス材料を合成することが可能となった。
- 環境に優しい鉄触媒の作用機構を明らかにし、貴金属触媒を用いない新しい化学反応を見出した。
発表概要
東京大学大学院理学系研究科化学専攻の中村栄一特任教授、Rui Shang特任講師らの研究グループは、ベンゼンなど炭化水素の構成要素である安定な炭素-水素結合を温和な条件下、鉄触媒によって一段階で炭素-炭素結合に変換する手法の開発に成功しました。本反応によれば、二種類の異なる芳香族化合物のクロスカップリングにおいて、100%の選択率で有機エレクトロニクス材料の効率的な合成が可能です。
持続可能な社会の実現に向けて、「ありふれた元素」を用いた有機合成触媒の開発が望まれており、本研究成果は地球上に大量に存在する鉄の触媒作用に関する重要な発見です。
本研究成果は環境に優しい鉄触媒の作用機構を明らかにしたものであり、環境負荷の高い金属触媒に頼る化学反応から脱却し、有用な有機化合物を効率よく提供することで人類の持続的発展を可能にすることが期待されます。
発表内容
自然界に豊富に存在する有機化合物同士を自在に結合させ、新たな有機化合物を合成する手法を開発することは、有用な有機化合物を入手する上で究極の目標です。中でもπ電子を有し、物性特性に優れる共役化合物同士を結合させ、より複雑で大きな共役化合物を合成する手法は、より高性能な有機材料を開発する上で必須であり、盛んに研究が進められてきました。その代表例が、1970年代後半から開発が行われ2010年にノーベル賞の対象となったクロスカップリング反応(図1)であり、炭素-金属結合と炭素-ハロゲン結合をそれぞれ切断し、 炭素-炭素結合を生成するものです。しかしこの方法では、あらかじめ炭素-金属結合と炭素-ハロゲン結合を持つ化合物を予め合成する必要があり、工程数や副生成物が増えるという問題点がありました。
図1. クロスカップリング反応の模式図(Mは金属、Xはハライド、Arは共役化合物を表す)
技術的背景
元オタワ大学准教授のFagnouらはこの問題を解決し、2007年に世界で初めて二つの異なる炭素-水素結合をそれぞれ切断し、直接炭素-炭素結合の構築に利用する手法の開発に成功しました。以来多数の研究グループが本反応の有用性に着目し、主にパラジウムやロジウムといった第二周期遷移金属の触媒作用を用いて研究が行なわれてきました。しかしながら、これらの反応では、触媒の基質に対する活性の差が小さく、ホモカップリング体の生成を抑え、目的のクロスカップリング体Ar1–Ar2を与える触媒中間体Ar1–M–Ar2を選択的に生成することが困難でありました(図2)。そのため、同じ基質同士の反応が進行し、一方の基質を過剰量用いる必要があるという問題が残されていました。
図2. 炭素-水素結合を切断し、炭素-炭素結合を生成する一般的な反応の模式図(Mは金属触媒を表す)
研究内容・具体的な方法
中村特任教授らの研究グループは、2003年以来、新しい炭素-炭素結合生成反応の開発に取り組んできました。その知見を活かし、本研究では鉄触媒の作用機構に着目し、等量の基質の存在下、異なる基質の炭素-水素結合を切断し、効率的に炭素-炭素結合を生成する反応の開発に成功しました。鉄触媒を用いて炭素-水素結合を切断するには、切断を行う炭素-水素結合に触媒を接近させる役割を果たす配向基(注1)が必要不可欠であることが知られています。また、配向基を有する基質の炭素-水素結合を切断した後に生じる鉄中間体がもう一度同じ基質と反応することはないことも知られていました。これらの事実から、配向基を有する基質(基質1)と酸性度の高い炭素-水素結合を有する基質(基質2)を鉄触媒とともに共存させることで、鉄触媒が図3に示す反応機構でそれぞれの基質の炭素-水素結合を逐次的に切断し、選択的かつ効率的にクロスカップリングを達成できると考えました。まず鉄触媒は、配向基を有さない基質2の炭素-水素結合は切断することができない(I~VI)ので、鉄触媒は配向基の配位結合を経由して(I~II)、基質1の炭素-水素結合を選択的に切断する(II~III)。中間体IIIは配向基と配位子(注2)の効果により再度基質1とは反応できない(III~VII)ので、そこに基質2が存在すると基質1の炭素-水素結合の切断により生成した鉄-炭素結合が酸性度の高い基質2の炭素-水素結合との反応により開裂し、環の開いた中間体IVが得られます。中間体IVでは基質1が配向基を通じて触媒に結合しているために、もう一度基質1の炭素-水素結合が切断され、基質1と基質2の両方が触媒に結合した中間体Vを得ることができます。したがって、中間体Vより基質1と基質2とのクロスカップリング体が得られことになります。
図3. 本研究の鉄触媒反応機構の模式図([Fe]は鉄触媒、Bは塩基、Xは配向基を表す)
今回の成果
今回、8-アミノキノリニルアミド基を配向基Xとして有する基質1と酸性度の高い炭素-水素結合を有するヘテロアレーン基質2を反応剤として用いたところ、等量の基質の存在下で、ホモカップリング反応を起こすことなく、効率的にクロスカップリング反応を進行させることに成功しました。図4は本反応の有機エレクトロニクス材料合成への応用例を示しており、有機太陽電池で正孔輸送材料として用いられるドナー型チオフェン(1)、ドナー型チオフェンと合わせて低いHOMO-LUMOギャップ(注3)を実現するアクセプタ型チオフェン(2)、有機半導体の基本骨格として用いられる縮環チオフェン(3–6)などの合成に幅広く適用することが可能です。また、配向基をルイス酸によりエステルに変換後、有機リチウム試薬と反応させフリーデルクラフツ反応(注4)により環化することで、有機半導体を効率良く合成することが可能となります(図5)。
図4. 有機エレクトロニクス材料の簡便合成の具体例(Me = CH3、equiv:当量、acac:アセチルアセトナート、THF:テトラヒドロフラン。本反応はドナー型(1)、アクセプタ型(2)、縮環チオフェン(3–6)などに幅広く適用可能)
図5. 本反応で得られた化合物の有機材料合成への応用(Ph = C6H5)
社会的意義
本研究成果は恒星内元素合成により宇宙に普遍的に存在する鉄を触媒として用い、自然界に豊富に存在する有機化合物から少工程数・低コストで有用な有機化合物を合成するという究極的な目標達成の先駆けであり、環境負荷の高い金属触媒に頼る化学反応から脱却し、有用な有機化合物を提供することで人類の持続的発展に貢献することが期待できます。
本研究の主たる成果は、文部科学省科学研究費助成事業(基盤S)研究課題名「活性炭素集積体の階層的次元制御と機能発現」(課題番号:15H05754、研究代表者:中村栄一)の支援により得られたものです。
発表雑誌
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雑誌名 Nature catalysis 論文タイトル Homocoupling-free iron-catalysed twofold C–H activation/cross-couplings of aromatics via transient connection of reactants 著者 Takahiro Doba,Tatsuaki Matsubara,Laurean Ilies,Rui Shang,* Eiichi Nakamura* DOI番号 10.1038/s41929-019-0245-3.
用語解説
注1 配向基(はいこうき)
基質の一部で、配位結合により触媒に結合することで触媒を炭素-水素結合に接近させ、炭素-水素結合の切断を容易にするための部位。1993年に大阪大学の村井博士らによってその有用性が示され、「触媒的炭素-水素結合活性化反応の開発」という一大分野を切り開いた。↑
注2 配位子(はいいし)
配位結合により金属に結合し、触媒の電子状態や構造を変化させることで触媒の反応性を制御する化合物。自身は反応せず、金属とともに混ぜて用いる。たとえ同じ金属であっても、一緒に用いる配位子により触媒の反応性が劇的に変化するため、多くの場合、触媒反応を開発する上での鍵となる。↑
注3 HOMO-LUMOギャップ
HOMO(ホモ: Highest Occupied Molecular Orbital)または最高被占軌道は、電子に占有されている最もエネルギーの高い分子軌道で、LUMO(ルモ: Lowest Unoccupied Molecular Orbital)または最低空軌道は、電子に占有されていない最もエネルギーの低い分子軌道である。合わせてフロンティア軌道と呼ばれることもある。HOMO と LUMO の間のエネルギー差は HOMO-LUMO エネルギーギャップと呼ばれる。↑
注4 フリーデルクラフツ反応
フリーデルクラフツ反応(Friedel–Crafts reaction)は芳香環に対してアルキル基またはアシル基が求電子置換する反応のこと。1877年にシャルル・フリーデルとジェームス・クラフツが発見したのでこのように呼ばれる。ハロゲン化アルキル又はハロゲン化アシルが、触媒(金属ハロゲン化物等)存在下でカルボカチオンあるいはアシルカチオンとなり、芳香環上の水素に求電子置換する。↑
―東京大学大学院理学系研究科・理学部 広報室―