2018/10/22

カーボンナノチューブの新展開:水中で働く不斉触媒の高機能化を実現

 

小林 修(化学専攻 教授)

 

発表のポイント

  • 水を反応媒体として用いる最先端触媒的不斉合成(注1)技術と、日本発の次世代素材である単層カーボンナノチューブを精緻に組み合わせて、不斉触媒としての機能の劇的な向上を実現した。
  • 触媒的不斉合成には精密な反応制御が必須であるため、脂溶性(注2)の原料を均一に可溶化させる有機溶媒が広く用いられている。今回の発見は、有機溶媒中では得られない独自の技術であり、本技術によりさまざまなニトロン類(注3)の効率的な触媒的不斉合成が初めて達成された。
  • 本研究成果は、近年水中で展開されてきた有機化学に新たな領域を切り拓くと同時に、カーボンナノチューブの新たな活用法を提示するものである。また反応媒体として水を活用することで、均一系触媒や有機溶媒中では達成できない精密な触媒的不斉合成発展へつながることが期待される。

発表概要

東京大学大学院理学系研究科の小林 修教授らのグループは、単層カーボンナノチューブを活用して水の中で働く不斉触媒機能の向上を図り、ニトロン類の効率的な触媒的不斉合成を達成した。

水のみを反応媒体として用いる有機合成は、環境調和型の次世代型有機合成手法として活発に研究開発されているが、水中では溶解性の問題など有機溶媒中と異なり制約が多く、精密な反応制御が求められる触媒的不斉合成には困難も多々あった。特に複数の分子が介在する動的な反応環境中では、効率的な反応場を安定的に維持することが必ずしも容易でない。

本研究グループは、単層カーボンナノチューブの疎水的な表面環境、またその特異な電子特性を反応場に組み込むことで、不斉触媒の高機能化を実現した。単層カーボンナノチューブは、高比表面積、優れた導電性、比較的強い酸化耐性など特異な物理的性質を有する不活性な化学種であることから、不均一系触媒担体として近年応用が進む一方、チューブ間の相互作用によって束状(バンドル)になる性質があるため、単層カーボンナノチューブ表面に直接、相互作用の弱いカチオン性ルイス酸触媒(注4)を安定担持することは難しかった。そこで、本研究グループ固有の技術であるルイス酸-界面活性剤一体型触媒(注5)を用いて、高度分散状態を作り出す新規複合触媒の設計を試みた。単層カーボンナノチューブ表面に吸着されたルイス酸-界面活性剤一体型触媒分子が特異な反応場を形成し、高収率、高選択性を以てさまざまなニトロン類の触媒的不斉合成が達成された。

本研究成果は、「Science」のオンライン速報版で近日中に公開される。なお本研究は、日本学術振興会(JSPS)研究研究費助成事業 特別推進研究などの一環として行われた。

 

発表内容

研究の背景
環境調和型生産技術の核となる「触媒」に対する社会的期待は大きい。2001年の野依良治らのノーベル化学賞受賞に代表されるように、高活性な不斉触媒を用いるさまざまな立体選択的結合形成反応の開発が期待されている。一方で有機合成反応においては、一般に、反応物に対して過剰の有機溶媒を使用し、反応物の可溶化を図る。反応基質を可溶化して均一な相中で化学変換を行うことは、高い生産効率や副反応の抑制に繋がるからである。

一方で水のみを反応媒体として用いることは、有害な有機溶媒を用いない環境調和型の理想的な合成手法を提示することができることから、近年活発な研究開発の対象となっている。生体内酵素が働く媒体という視点で水を捉えると、有機溶媒にはない水の特性を活用することで、有機溶媒に立脚した一般的な有機化学とは一線を画する、独自の有機化学を展開できる潜在性を秘めている。本研究グループでは以前よりそのような潜在性に着目し、水の中で安定に機能するルイス酸触媒を数多く見出し、研究展開してきた。例えば、反応基質の非溶解性という課題に対して、界面活性剤の機能を触媒機能と融合一体化させた分子であるルイス酸-界面活性剤一体型触媒を創製し、ミセル(注6)と呼ばれる疎水的な反応場を水中に構築して反応基質の可溶化を図ることで克服してきた。この手法により、精密反応制御を必要とする触媒的不斉合成を水中で行うことが可能になった。

しかしながら反応溶液中において、界面活性剤分子は必ずしも均一なミセルを形成しておらず、分子変換、ミセルの凝集などの動的変化や金属中心の加水分解などにより、反応場を安定的に維持することは必ずしも容易でない。安定的な生産効率、精密な反応制御を実現するためには、活性や選択性の低い不斉触媒の高機能改変を図る手法の開発が求められていた。

研究の内容
触媒溶液は、単層カーボンナノチューブ(平均直径1.5 nm)をドデシル硫酸ニッケル水溶液中にて超音波分散処理することで調製し、分散状況は動的光散乱 (DLS)法、走査型透過電子顕微鏡(STEM)分析法などによって定性的に評価した。単層カーボンナノチューブは、高比表面積、優れた導電性、比較的強い酸化耐性など特異な物理的性質を有する不活性な化学種であることから、不均一系触媒担体として近年応用されている。例えば、微生物化学研究所の柴崎らは2013年に多層カーボンナノチューブに二核金属触媒を固相担持した不均一系触媒を調製し、触媒的不斉合成に応用している。一方、チューブ間の相互作用によって自発的に強固な束(バンドル)を形成する性質を有するため、単層カーボンナノチューブ表面上に相互作用の弱いカチオン性ルイス酸触媒を安定吸着させることは困難であった。そこで、ルイス酸-界面活性剤一体型触媒の活用によって、単層カーボンナノチューブの疎水的な表面環境、またその特異な電子特性を反応場に組み込むことを試みた(図1)。

 

図1. 不斉ルイス酸触媒-単層カーボンナノチューブ複合触媒
従来型ルイス酸-界面活性剤一体型触媒(左)の自己組織化によるミセル形成能に単層カーボンナノチューブを組み込み、アニオン性界面活性剤部位をアンカーとしてカチオン性の触媒活性点を単層カーボンナノチューブ表面上に吸着させる。ナノチューブ表面の疎水性により、疎水性の高い安定的な高活性ルイス酸点を維持できる。

 

特性X線によるエネルギー分散(EDS)マッピングやラマン分光、核磁気共鳴(NMR)の測定結果は、ドデシル硫酸ニッケル分子が単層カーボンナノチューブ表面に比較的強く吸着していることを示唆している。ドデシル硫酸ニッケル分子は触媒であると同時にナノチューブの分散剤でもあることから、全てのドデシル硫酸ニッケル分子がナノチューブ表面を被覆しているわけではなく、被覆ナノチューブを更に取り囲む第二層、第三層の分子がより大きなミセルを形成している。この複合触媒の触媒活性は、単層カーボンナノチューブを添加しない場合の触媒活性を遥かに凌駕しており、化学収率と鏡像異性体過剰率(注7)双方に劇的な改善が見られ、望みのニトロン生成物を得ることができた(図2)。

図2. 複合触媒を用いたニトロン合成

 

興味深いことに、分散性が低く沈澱が生じている場合には良好な結果は得られなかった。ドデシル硫酸ニッケル分子による高度な分散状態を作り出すことで、剝離されたナノチューブ表面の疎水環境に脂溶性の不斉配位子や原料が濃縮され、効率的な触媒的不斉反応場が構築されたと考えられる。有機溶媒(メタノール、エタノール、ジクロロメタン、クロロホルム、トルエン、テトラヒドロフラン、ジエチルエーテル)を用いた場合にも、選択性は全く発現しない。本反応は、高効率的な不斉反応場を単層カーボンナノチューブ表面に構築することに成功したのみならず、水を反応媒体として活用することによって初めて達成できた革新的な有機合成手法であると言える。

光学顕微鏡によってミセル形状の安定性を観察したところ、単層カーボンナノチューブなしでは反応直後にはミセルの凝集が観察されるのに対し、複合触媒においては、30日後でもある程度サイズの小さいミセルが安定的に維持されていた(図3)。

 

図3. 反応溶液の顕微鏡観察結果

 

実際、単層カーボンナノチューブなしでは反応が40時間後には完全に停止するのに対し、複合触媒においては反応速度上昇と同時に40時間後も反応が継続している(図4)ことから、単層カーボンナノチューブ表面での反応場の安定性改善を強く示唆している。また、エナンチオ選択性に関しても単層カーボンナノチューブなしでは反応の進行に伴って漸減傾向を示す一方、複合触媒においてはほぼ一定であることも、不斉反応場の安定性を示す証左である。

 

図4. 反応プロファイル
複合触媒はナノチューブなしの場合と比較して有意に反応速度が上昇している。また、選択性(鏡像異性体過剰率)についても劇的な改善が見られるのみならず、反応初期から反応完結まで安定して高い選択性が発現している点も単層カーボンナノチューブとの複合効果である。

 

今後の展開
本研究で得られた成果は、近年水中で展開されてきた有機化学に新たな領域を切り拓くと同時に、カーボンナノチューブの新たな活用法を提示し、また反応媒体として水を活用することで、均一系触媒や有機溶媒中では達成できない精密な触媒的不斉合成発展への端緒となることが期待される。

 

発表雑誌

雑誌名 Science
論文タイトル Chiral Lewis acids integrated with single-walled carbon nanotubes for asymmetric catalysis in water
著者 Taku Kitanosono, Pengyu Xu and Shū Kobayashi *
DOI番号 10.1126/science.aap7883
アブストラクトURL http://science.sciencemag.org/content/362/6412/311

 

 

用語解説

注1:触媒的不斉合成

わずかな不斉源(不斉配位子)を用いて理論的に無限の鏡像異性体を合成する手法。野依良治らが2001年にノーベル化学賞を受賞している。鏡像異性体とは、鏡に映した像が元の像と重なり合わない関係(右手と左手の関係)にある分子構造を持つ分子のこと。不斉とは、その性質。

注2:脂溶性/疎水性

水との親和性が低い性質。

注3:ニトロン類

含窒素化合物。アミノ酸、アルカロイド等の医薬品、農薬、ファインケミカルズの合成中間体として、また酸化ストレスに対してのフリーラジカルトラップ剤としての使用など幅広い用途を持つ。

注4:ルイス酸触媒

1923年にアメリカの物理化学者G. N. Lewisが電子の授受に基づいて定義した酸。反応分子構造中の酸素や窒素などの原子から電子を受け取ることにより触媒作用を示す触媒。

注5:ルイス酸-界面活性剤一体型触媒

通称LASC。本研究グループにより1998年に開発された触媒。金属のドデシル硫酸塩など、ルイス酸の対アニオンとしてアニオン性界面活性剤を配した分子。

注6:ミセル

界面活性剤の集合体。石鹸のような両親媒性有機分子が水中で自己組織化して形成する球状の会合体。

注7:鏡像異性体過剰率

キラルな化合物の光学純度を定量的に示す指標。

 

―東京大学大学院理学系研究科・理学部 広報室―

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