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テラヘルツ光を用いた遠距離セシウム検出法の開発
-“ナノの箱”でセシウムイオンを捕捉し、新しい光で非接触センシング-
大越 慎一(化学専攻 教授)
吉清 まりえ(化学専攻 特任助教)
生井 飛鳥(化学専攻 助教)
中川 幸祐(化学専攻 特任助教)
所 裕子(筑波大学数理物質系 准教授)
発表のポイント
- ナノ空間の箱の中では、重原子イオンはたいへんゆっくり振動することを格子振動(フォノンモード)計算とテラヘルツ分光法により明らかにしました。この特徴を活かして、セシウムイオンを非接触で検出できる新しいテラヘルツ光センシング技術を開発しました。
- 検出マーカーとして開発したマンガン-鉄シアノ骨格錯体は、液中に溶存しているセシウムイオン濃度を知らせる役割とともに、セシウム吸着材料として知られるプルシアンブルーよりも高収量でセシウムイオンを捕捉できる究極の吸着材料であることを見出しました。
- このテラヘルツ光を利用した新しいセシウムイオン検出法は、危険な環境や有害な状況下での放射性セシウムイオンなどの非接触検出と回収に有効であると期待されます。
発表概要
東京大学大学院理学系研究科の大越慎一教授と筑波大学数理物質系の所裕子准教授らの共同研究グループは、重い質量の原子を箱の中に閉じ込めると、ゆっくりと振動するのではないかという着想に基づき、マンガン-鉄シアノ骨格錯体の箱の中にセシウムイオン(Cs+)を閉じ込めるとその箱の中でセシウムイオンがゆっくり振動することを、格子振動(フォノンモード)計算とテラヘルツ分光測定により明らかにしました。このマンガン-鉄シアノ骨格錯体とテラヘルツ分光法を組み合わせることにより、テラヘルツ光を利用した新しいセシウムイオン検出法を開発しました。この手法は、危険な環境や有害な状況でのセシウムイオンの非接触検出に有効であると期待されます。また、検出マーカーとして開発したマンガン-鉄シアノ骨格錯体は、セシウム吸着材料として知られるプルシアンブルーよりも高い収量でセシウムイオンを捕捉できる究極の吸着材料であることも見出しました。
本研究成果は、日本時間2017年8月24日(木曜日) 午後6時にScientific Reports(サイエンティフィック・リポーツ)のオンライン版で公開されました。
発表内容
重い質量の原子を箱の中に閉じ込めると、ゆっくりと振動し、極めて低い周波数の電磁波と共鳴するのではないか(図1a)という着想に基づき、研究グループはテラヘルツ技術に注目しました。
図1. (a) 箱の中の重い原子の振動を、テラヘルツ(THz)光を用いて検出する概念. 箱の中に捕捉され、ゆっくりと振動し低周波数テラヘルツ光に共鳴する重い原子の概略図. この概念は、重い原子の遠距離検出に適用することができる。入射THzパルス (左) および透過THzパルス (右) を赤線で示した。 (b) セシウム-マンガン-鉄シアノ骨格錯体のテラヘルツスペクトル。
近年、テラヘルツ光を用いたテラヘルツ技術は、郵便中の不法薬物検査、医薬品の品質管理、半導体のキャリア密度測定、被覆膜の品質測定、火災現場でのガス検出のような、様々な応用例が報告されています(注1)。
このアイディアを実現するため、ナノサイズの空間を持った物質として、“マンガン-鉄シアノ骨格錯体”を合成しました。シアノ架橋型金属錯体は、3次元ネットワーク中に立方体の空隙を多数有しており、その大きさはセシウムイオンのイオン半径と同程度となっています。そこで、アイディアを実証する物質として、セシウムイオンを含んだマンガン-鉄シアノ骨格錯体について格子振動(フォノンモード)計算を行ったところ、箱中のセシウムイオンの単振動に帰属される振動モードが非常に低い周波数に現れることが予測されました。それ以外の骨格に関係する他の振動モードは、より高い周波数に存在し、セシウムイオンの単振動のモードが、低い周波数で孤立していることが示されました。この計算結果に基づき、テラヘルツ分光測定を行ったところ、1.4 THzという低い周波数に吸収が観測され、アイディアが立証されました(図1b)。
このような特徴を活かして、マンガン-鉄シアノ骨格錯体をセシウム検出マーカーとしてテラヘルツ分光法と組み合わせることで、液中のセシウムイオンの残存量を計測する実験を行いました。この実験では、セシウムイオンを含まないマンガン-鉄シアノ骨格錯体(図2a)を様々な濃度の塩化セシウム水溶液に浸した後(図2b)、試料を回収し、各試料のテラヘルツスペクトルを測定しました。テラヘルツスペクトルでは、箱に吸い込まれたセシウムの振動モードに由来する吸収ピークが、各濃度に応じて異なった強度で観測されました(図2c)。
図2. (a) マンガン-鉄シアノ骨格錯体の結晶構造。(b) 液中のセシウムイオンを吸着するマンガン-鉄シアノ骨格錯体の模式図。(c) 1.5 THzのセシウム振動モードに由来するテラヘルツスペクトル成分。 (d) 吸着平衡状態におけるセシウム溶液濃度Ceqに対して、各セシウム溶液から回収された試料のセシウム吸着量qeqをプロットした図。赤い線は、ラングミュアの式でフィットした曲線を示す。
テラヘルツスペクトルのピーク面積をセシウム組成(x)に変換し、xの値から吸着平衡時における錯体のセシウム吸着量(qeq mg/g)及びセシウム濃度(Ceq g/L)の値が得られました。図2dに示したqeq 対 Ceq プロットは、ラングミュア(Langmuir)の式(注2)でよくフィッティングでき、飽和吸着量(qmax)が511±55 mg/gであることがわかりました。このセシウム飽和吸着量の値は著しく高く、プルシアンブルーよりも高い値でした(注3)。このような高いセシウム吸着効率は、セシウムイオンを取り込むのに伴い、三価の鉄イオン(Fe3+)が二価の鉄イオン(Fe2+)に還元されることに起因しています(図3)。また、マンガン-鉄シアノ骨格錯体は、水溶液に対して高い耐久性を示していました。
図3. 様々な濃度のセシウム溶液(C0 = 0 g/L (試料番号0), 0.665 g/L (1), 6.65 g/L (2), 13.3 g/L (3), 26.6 g/L (4), 39.9 g/L (5), 53.2 g/L (6), and 79.7 g/L (7))に浸漬後、KIaCsIbMnII[FeII(CN)6]c[FeIII(CN)6]d‧zH2Oという組成で表せる試料におけるCs+ (赤), Fe2+ (薄緑), Fe3+ (緑), K+ (灰) の組成。下はCs+の吸着に伴うFe3+からFe2+へのFeイオンの還元を模式的に示す構造の図。これが、マンガン-鉄シアノ骨格錯体の高効率セシウム吸着性能の起源である。
本研究では、セシウムイオンのような重い原子が箱の中でゆっくりと振動し、その振動モードが低いテラヘルツ周波数領域にあることを明らかにしました。この特徴に基づき、マンガン-鉄シアノ骨格錯体とテラヘルツ分光法を組み合わせることにより、液中の溶存セシウムイオンの濃度を非接触で検出すると共に、高い効率でセシウムイオンを捕捉できることを明らかにしました。また、振動モードの周波数は原子量に依存するため、他のアルカリ金属イオンの吸収ピークは異なる周波数で観測されます。原子力発電所事故における放射性セシウムの環境中への拡散は深刻な問題であり、その汚染除去は重要な課題です。本研究のマンガン-鉄シアノ骨格錯体とテラヘルツ分光法を組み合わせた手法は、セシウムイオンの遠距離からの検出方法として有益であると期待されます(図4)。
図4 本技術の発展性(応用展開): テラヘルツ光による遠距離セシウム検出システムのイメージ図(マンガン-鉄シアノ骨格錯体は、高効率セシウム吸着材料とセシウム検出マーカー材料の二役を兼ねる。)
発表雑誌
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雑誌名 Scientific Reports (サイエンティフィック・リポーツ) 論文タイトル Cesium ion detection by terahertz light 著者 Shin-ichi Ohkoshi*, Marie Yoshikiyo, Asuka Namai, Kosuke Nakagawa, Kouji Chiba, Rei Fujiwara, and Hiroko Tokoro* DOI番号 10.1038/s41598-017-08551-4 論文URL https://www.nature.com/articles/s41598-017-08551-4
用語解説
注1 テラヘルツ技術
電磁波のうち周波数が1テラヘルツ(THz, 1012 Hz)前後のものをテラヘルツ光といい、一般的には周波数が0.3 THz – 3 THz(波長100 μm – 1 mm)帯の電磁波を指す。近年、テラヘルツ光を用いた分光やイメージング技術の研究が盛んに行われており、材料分野、医療分野、バイオテクノロジー分野、食品分野、セキュリティー分野などへの応用が期待されている。テラヘルツ光を用いた代表的な分光法としては、テラヘルツ時間領域分光法(terahertz time-domain spectroscopy, THz-TDS)が挙げられる。本研究の測定にはTHz-TDSを用いている。↑
注2 ラングミュア(Langmuir)の式
アーヴィング・ラングミュアによって1918年に導出された理論的な吸着等温式であり、溶液中の溶質が一定温度下で固体に吸着される際の濃度と吸着量の相関関係を表す。↑
注3 プルシアンブルーとプルシアンブルー類似体
二価の鉄イオン(Fe2+)と三価の鉄イオン(Fe3+)を頂点としたシアノ骨格からできた三次元ネットワーク構造を有する錯体(Fe[Fe(CN)6]0.75·zH2O)をプルシアンブルーという。また、鉄イオンを他の金属イオンで置換したものをプルシアンブルー類似体といい、一般式MAII[MBIII(CN)6]2/3·zH2Oで表される(MAとMBは遷移金属)。プルシアンブルーは、そのネットワークの空隙にセシウムイオンを選択的に吸着する性質があり、放射性セシウムの特効薬としても知られる。本研究で合成したマンガン-鉄シアノ骨格錯体(K0.22Mn[Fe(CN)6]0.74·4.3H2O)もプルシアンブルー類似体の一種であり、飽和吸着量として500 mg/gを超えるプルシアンブルー類似体は本材料が初めての例である。↑
―東京大学大学院理学系研究科・理学部 広報室―