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動く細胞集団の作る新しいパターンの発見~神経幹細胞はトポロジカル欠陥を選別する~
川口 喬吾(ハーバード大学医学大学院システム生物学科 博士研究員/
附属生物普遍性研究機構 客員研究員)
佐野 雅己(物理学専攻 教授)
発表のポイント
- 脳の元となる神経幹細胞の集団に、液晶や磁性体などの研究でよく知られる『トポロジカル欠陥』が形成され、その配置が細胞の集積・逃避を支配していることが初めてわかった。
- 理論モデルによりトポロジカル欠陥周辺での細胞集積・逃避現象の基本原理を明らかにし、これが必ずしも生命現象特有のものではなく、普遍的な物理現象であることを示した。
- 本研究により、身体の器官形成や新生ニューロンの移動など、細胞集団の運動が関わる現象への基礎的理解が深まった。
発表概要
鍋の中に短く切った乾麺を入れ、ゆすりながら敷きつめると、乾麺同士がぶつかり合い、最終的に隣り合う乾麺の向きがそろった状態に落ち着きます(図1)。
図1:短い乾麺を鍋に敷きつめた際にできるパターン。乾麺の配列が良くそろっている場所もあるが(緑領域・左拡大図)、うまくそろっていない場所もある(赤領域・右拡大図)。後者はトポロジカル欠陥と呼ばれる構造の一例であり、一度形成されるとなかなか消えない、頑強な構造であることが知られている。(写真:川口がシェアハウスのメンバーと行った実験)
ところがこの状態の全体を見渡すと、乾麺の向きが全くそろっていない奇妙な点がところどころに生じうることがわかります。これは『トポロジカル欠陥』(注1)と呼ばれる構造で、一度形成されると鍋を多少ゆすった程度では消すことができない、頑強なパターンであることが知られています。
ハーバード大学医学大学院・東京大学大学院理学系研究科の川口研究員らのグループ(注2)は、脳の元となる神経幹細胞(注3)の集団においても同様なトポロジカル欠陥が生じることを見つけ、さらにそのトポロジカル欠陥の位置に細胞が集積するという新しい現象を発見しました(図2)。
図2:神経幹細胞(左・高倍率、スケールバー= 100μm)が作るマクロなパターン(中央・低倍率、スケールバー= 1 mm)と2種類のトポロジカル欠陥(右・高倍率、スケールバー= 100μm)。赤棒=+1/2トポロジカル欠陥、青三角=-1/2トポロジカル欠陥の位置をそれぞれ表している。
トポロジカル欠陥は、その頑強な性質から、液晶や磁性体などの物質の性質に強く影響を及ぼすことが分かっており、その研究は昨年のノーベル物理学賞の対象の一つともなりました。しかし、棒や磁性体のように止まっている集団の中のトポロジカル欠陥の性質が調べられている一方、細胞のように自発運動する集団の中で何が起きているかは、これまで未解明でした。この研究により、生物の発生過程やヒトの体内で細胞がどのように輸送されるかなど、生物学・医学において未解明な課題に新たな切り口が持ち込まれるものと期待されます。
発表内容
背景:
物理学の世界では、電子や原子などを最小単位ととらえ、その集団としての振る舞いを理解する研究が大きな成功を収めてきました。一方、生物の最小単位は細胞だと考えられていますが、ヒトをはじめとする多細胞生物では、脳や心臓など、多数の細胞からなる器官が特に重要な機能を持っています。器官が正しく機能するには、数多くの細胞が適切な配置を自主的に探り当て、適切なタイミングで役割を果たさなければなりません。このように多数の細胞が寄り集まって示す挙動の理解は、電子や原子などが集まった場合に比べて進んでおらず、人工臓器の作製などの観点からもその解明は重要だと考えられています。
研究内容:
本研究グループはまず、神経幹細胞(図2左)を培養プレート上で観察し、高密度の状況では細胞がプレートの上をシート状に埋め尽くしていることに着目しました。このシートの中では、細長く伸びた細胞が互いに向きをそろえており、その結果としてディスプレイなどで使われる液晶によくみられるパターンが形成されていることを見つけました(図2中央)。このようなパターンは、細胞が極性のない棒状の形をしていることと、隣り合う細胞同士がなんらかの作用により向きをそろえあっていることから説明できます。
磁性体や液晶の他、鍋に敷きつめられた乾麺(図1)など、隣り合う要素の向きがそろっている状態の中には、トポロジカル欠陥と呼ばれる構造がしばしば出現します。トポロジカル欠陥には、数学的に特徴づけられた複数の種類がありますが、今回確認されたのはふぞろいの向きと角度によって+1/2、-1/2と番号づけられる欠陥で(図2右)、ネマチック液晶(注4)で見られるものと同じでした。
次に、神経幹細胞のトポロジカル欠陥付近での集団挙動を長時間観察したところ、+1/2の欠陥には細胞が集まり、-1/2の欠陥からは細胞が逃避することがわかりました(図3)。
図3:神経幹細胞によるトポロジカル欠陥の選り好み。青い点は細胞の核を表している。+1/2のトポロジカル欠陥には細胞が集積してマウンドが形成され(青白い塊)、−1/2のトポロジカル欠陥からは相対的に細胞が抜け出して行っていることがわかる。スケールバー= 100 μm。
特に、+1/2の欠陥の中心では、3次元的に盛り上がったマウンド構造が形成されることを見出しました。これまでの研究で、大腸菌や自己駆動する人工粒子などが作るトポロジカル欠陥が構造ごとゆっくりと移動する現象などは報告されていましたが、細胞が集積したり逃避したりする例は理論や数値シミュレーションでも知られていませんでした。新しい理論モデルの解析から、このような集積・逃避現象は神経幹細胞や生物に特有なものではなく、自己駆動する要素と等方的ではない摩擦さえあればどのような物質でも起きうることが明らかになりました。
最後に、本研究グループは、培養皿に直線状の傷をつけることで、細胞を細長い領域に閉じ込め、配向方向をそろえることができることを実証し(図4)、そのような状況下でも細胞は互いにすれ違いながら移動するとともに、そろっている向きに平行に行ったり来たりを繰り返していることを見つけました。
図4:細長い領域に閉じ込められた神経幹細胞。個々の細胞はこの図の左右どちらかの方向に運動しており、高頻度で向きを180度転換している。スケールバー= 500 μm。
このように細長い領域の中を細胞が前後方向に運動する様子は、マウスやヒトなどの成体の脳内で新しく生成されたニューロンが長距離を移動する際の挙動とよく似ており、同じ状況が培養皿上で再現されている可能性があります。この実験から、生体内で混雑した環境で細胞が移動するためには、誘導因子に従って一直線に移動する方法ばかりでなく、細胞の形状と相互作用が生むパターンの影響を利用して、集団が平均として流れていくという方法もあることがわかりました。
研究の意義・今後の展望:
本研究では、物理学でよく知られているトポロジカル欠陥が、神経幹細胞の培養皿上に自然に発生するだけでなく、欠陥の種類によって細胞が集まったり拡散したりするという現象が明らかになりました。トポロジカル欠陥が理論の便宜上の概念ではなく、現実に細胞のふるまいに影響を与えている点は驚きで、運動する細胞が織りなす一見複雑な集団挙動を、今後系統的に理解するための手がかりが得られたといえます。
発表雑誌
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雑誌名 Nature (日本時間2017年4月13日午前2時 Accelerated Article Previewにて公開) 論文タイトル Topological defects control collective dynamics in neural progenitor cell cultures 著者 Kyogo Kawaguchi*, Ryoichiro Kageyama, and Masaki Sano* DOI番号 10.1038/nature22321 論文URL http://dx.doi.org/10.1038/nature22321 用語解説
注1 トポロジカル欠陥
液晶分子や磁性体のスピンなどにおいて、隣り合う要素が向きをそろえたがる状況があると、局所的にたくさんの要素が同じ方向にそろい、秩序立った状態が実現する(図1、緑領域)。この秩序立った状態を広く見渡すと、秩序方向が存在しない特異的な点が存在することがわかる(図1、赤領域)。このような点は一般にトポロジカル欠陥と呼ばれ、周囲を秩序立った状態に囲まれて「保護」されているため幾何学的に安定であることがわかっており、秩序や空間次元に応じて様々な種類が存在することが知られている。台風や渦潮、樹木の年輪の中心などもトポロジカル欠陥の一種である。本研究で観察されたトポロジカル欠陥は図2中央・右にある通り、+1/2と-1/2の二種類で、特異点の周りを左回りに1周したとき、細胞の向きが左回りに360度の半分回転するものが+1/2(図2右赤)、右回りに半分回転するものが-1/2(図2右青)である。↑
注2 川口研究員らのグループ
本研究は、川口喬吾研究員(ハーバード大医システム生物学科 博士研究員/ 東京大学大学院理学系附属生物普遍性研究機構 客員研究員)が東京大学大学院理学系博士課程在学中に、影山龍一郎(京都大学ウイルス・再生医科学研究所 教授)の研究室にて幹細胞の実験の修行中に発見し、影山龍一郎・佐野雅己(東京大学大学院理学系研究科物理学専攻 教授)とともに行った研究をまとめたものである。↑
注3 神経幹細胞
脳を作る主要な三つの細胞へ分化することができる幹細胞。本研究では、マウスの胎児から採取した細胞を培養皿上で増殖させ、蛍光ラベルなどを利用して顕微鏡で観察した。生体内でも培養皿上と同じように、細長い形状をしていることが知られている。↑
注4 ネマチック液晶
棒状の分子が長軸方向に向きをそろえているが、棒の重心は不規則に配列している状態を指す。↑
―東京大学大学院理学系研究科・理学部 広報室―