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光と熱で動きが切り替わる白金錯体型ギア分子
塩谷 光彦(化学専攻 教授)
宇部 仁士(化学専攻 助教)
発表のポイント
- 二つの回転子を持つ白金錯体型ギア分子(注1)において、光と熱による白金イオン上の幾何異性化(注2)により、二つの回転子がかみ合った構造とかみ合っていない構造が可逆に切り替わることを発見した。
- 金属イオンを中心とした光と熱による幾何異性化に基づいて、回転子のかみ合いを制御できる分子機械(注3)の開発に成功した。
- 分子機械は、生体内や人工の分子システムにおいて機能を発揮することが期待されている。本研究の成果は、金属固有の性質を用いた、分子機械の新しい構造モチーフと動作原理を提供し、分子機械の科学の発展に寄与するものである。
発表概要
東京大学大学院理学系研究科の塩谷光彦教授らは、株式会社リガクの研究グループとともに、二つの回転子のかみ合いを可逆に切り替えることができるギア分子の開発に成功しました。具体的には、二つのプロペラ型の有機回転子を白金イオンに結合させ、白金錯体型ギア分子を合成し、この分子に光と熱による白金中心の幾何異性化を起こすことで、二つの有機回転子がかみ合った状態とかみ合ってない状態に切り替えることができました。この切り替えは、何度でも繰り返すことが可能です。本研究により、金属イオン上の幾何異性化反応による分子運動の伝達を切り替えることが可能になりました。これは、分子機械の開発における新しい設計方針を与えるものです。
本研究成果は、2017年2月8日19時に英国科学誌「Nature Communications(ネイチャー・コミュニケーションズ)」で公開されました。
発表内容
分子機械は、光や熱といった外部からの刺激により、目的に合った一定の制御された動きが可能になる分子群であり、2016年のノーベル化学賞にも選ばれた研究対象です。80種類を超える金属元素が形成する金属錯体は、それぞれ固有の構造や物性を持つため、有機分子とは全く異なる機能を持つ分子機械の構築が可能になると期待されます。しかしながら、これまでの金属錯体を用いた分子機械の構築においては、金属イオンを外部刺激として用いるか、金属イオン上に結合する分子やイオンの数を変化させることで機能を発現させる手法が主で、金属イオン上に結合している構成要素の位置を変化させる手法は一般的ではありませんでした。本研究では、有機分子と金属イオンが結合した金属錯体を用いて、ナノメートルサイズのギア分子を構築し、”金属イオン上での幾何異性化反応”という金属錯体固有の性質を分子機械の運動制御に適用しました。
ギア分子の設計にあたっては、トリプチセンと呼ばれるプロペラ型の有機分子に着目しました。トリプチセンは三つのベンゼン環と、それぞれ結合する二つの炭素からなる構造をしており、架橋している炭素を軸とする歯車状の分子として用いられてきた分子です。研究グループは、このトリプチセンの連結部位の炭素を金属イオンに結合可能なリン原子と窒素原子に置き換えた、アザホスファトリプチセンという有機回転子を設計・合成しました。この有機回転子では、リン原子が金属錯体を形成することにより、金属イオンとリン原子の間の結合を軸とする回転が可能になります。本研究では、二当量の有機回転子と塩化白金酸塩とを反応させ、白金イオンに有機回転子と塩化物イオンがそれぞれ二つずつ結合した白金錯体を合成しました。この白金錯体の構造や運動の詳細は、各種の核磁気共鳴分光測定(注4)、質量分析、X線単結晶構造解析などにより明らかにしました(図1)。
図1:白金錯体型ギア分子のX線結晶構造と模式図
ギア分子の構造をX線単結晶構造解析した結果、合成した直後の分子は二つの回転子が隣り合ったcis体と呼ばれる構造をとっています。cis体の錯体は二つの回転子が錯体分子内で互いにかみ合った構造をとっており、二つの回転子がかみ合っている”オン”の状態であるとみなすことができます。
次に、このcis錯体に紫外光を照射すると、白金中心の幾何異性化が起こり、回転子が向かい合わせになったtrans体と呼ばれる構造に切り替わることが明らかとなりました。このtrans体では、二つの回転子が互いに離れて位置することから、回転運動のかみ合いが起こらない“オフ”の状態とみなすことができます。
トルエン/ジクロロエタン溶媒中でcis : trans = 100 : 0の状態からこの切り替え操作を行なったところ、紫外光の照射によりcis : trans = 19 : 81となり、trans体が主たる成分に変換しました。次にこの溶液を100 °Cで加熱したところ、cis : trans = 78 : 22と、cis体が主たる成分になりました。このことは、光による“オン→オフ”と熱による“オフ→オン”の切り替えを可逆的に行えたことを示しています。さらに、この切り替え操作は、再現性良く繰り返し行うことができました(図2)。
図2:本研究グループが開発した白金錯体型ギア分子(点線枠)と、二つの有機回転子を白金イオンに結合させ、回転子がかみ合ったcis体および回転子のかみ合いがないtrans体(実線枠)。回転運動のかみ合いが紫外光と熱により可逆的に切り替わる。
分子機械の分野は21世紀に入り著しい発展を遂げてきましたが、さらなる発展のためには、分子運動の方向と距離を制御することや、エネルギーや物質の移動をどのように連携させるかが重要な課題になります。本研究で開発した手法は、金属錯体の特性を活かした分子機械の新しい構造モチーフと制御方法を提案するものです。また、本手法は薬品を系中に加えることなく制御が可能であるため、モーターやブレーキといった、これまでに開発されてきた分子機械と組み合わせることで、より複雑な分子機械の開発も期待できます。
発表雑誌
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雑誌名 Nature Communications (オンライン版:2月8日) 論文タイトル Metal-centered Azaphosphatriptycene Gear with a Photo- and Thermally-driven Mechanical Switching Function based on Coordination Isomerism 著者 宇部 仁士(東京大学大学院理学系研究科 助教)
安田 祥宏(東京大学大学院理学系研究科 大学院生(卒業生) )
佐藤 寛泰(株式会社リガク)
塩谷 光彦(東京大学大学院理学系研究科 教授)DOI番号 10.1038/ncomms14296 論文URL http://www.nature.com/articles/ncomms14296 用語解説
注1 ギア分子
gear molecule (gear = 伝動装置)の訳。二つ、またはそれ以上の歯車状の置換基を、分子内で近接した配置にすることで、置換基同士の運動が相関するよう設計された分子。↑
注2 金属錯体の幾何異性化反応
金属中心に結合する構成要素(配位子)の相対位置が変化する反応。例えば、金属中心に四つの配位子が平面構造を形成する場合、二つの同じ配位子が隣り合って配位するcis体と、対角線上に配位するtrans体の二つの異性体が生じる。↑
注3 分子機械
光や熱などの外部刺激を受けて、一定の制御された動きを行う分子群のこと。生体内のATP合成酵素に代表される生体分子機械と、本研究のような合成分子機械に大別される。合成分子機械は分子モーターや分子ブレーキといったさまざまなモチーフが開発されており、2016年のノーベル化学賞の受賞分野となっている。↑
注4 核磁気共鳴分光測定
強力な磁場中において、分子の原子核中の電子スピンが共鳴現象を起こすこと(核磁気共鳴)を利用した分光法。特に水素原子については、原子核周りの電子密度を反映したピークのシフトが生じ、さらに定量的な測定が容易であることなどから、分子の構造推定や化学反応の追跡などに用いられる。↑
―東京大学大学院理学系研究科・理学部 広報室―