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栄養欠乏時にメスだけで生殖をストップさせる脳内メカニズム
長谷部 政治(生物科学専攻 博士課程3年)
神田 真司(生物科学専攻 准教授)
岡 良隆(生物科学専攻 教授)
発表のポイント
- メダカでは栄養欠乏時にメスだけで生殖機能が抑制される事を発見し、そのメス特異的な生殖抑制の脳内メカニズムをニューロンレベルで証明した。
- 今までほ乳類だけを用いた研究ではわからなかった、生物種や雌雄によって多様化した生殖と栄養状態の関係性を生み出すメカニズムを初めて明らかにした。
- このしくみは脊椎動物で広く保存されている可能性があり、生物種や雌雄毎に最適化された栄養状態依存的な生殖制御を理解する上で、大きな貢献が期待される。
発表概要
本研究グループは、メダカにおいて栄養欠乏時にメスだけで生殖をストップさせる脳内メカニズムを発見した。生殖と栄養状態の間には明確な関係性が存在するが、脊椎動物の大部分を占める変温動物は、体温を一定に保つために莫大な基礎代謝(注1)を要するほ乳類とは異なるメカニズムをもつと本研究グループは考えた。そこで、生殖の中枢制御研究において多くの利点をもつ実験動物としてメダカを用いて栄養と生殖調節の関係性に関する研究を行った。その結果、メスでは栄養欠乏時に生殖機能が強く抑制されるのに対し、オスでは生殖機能は正常であることを発見した。さらに、この性差を生むメカニズムとして、生殖制御に必須な役割をもつ脳内の生殖腺刺激ホルモン放出ホルモン(GnRH)ニューロン(注2)が、メスだけで血中のグルコースレベル(血糖値(注3))を感知するセンサー機能をもっており、栄養欠乏時の低血糖値によりその神経活動が抑制されることを明らかにした。
ほ乳類脳のGnRHニューロンにもグルコースセンサー機能があることがわかっており、今回メダカで発見されたようなGnRHニューロンのセンサー機能は脊椎動物で広く保存されている可能性が高い。これに加えて、栄養状態に依存した生殖の制御は生物種や雌雄によって異なり多様化していることや、それには脳内のGnRHニューロンのセンサー機能が密接に関与することが今回新たにわかった。
発表内容
動物が次の世代に命をつなぐための生殖は大きなエネルギーを必要とする。生殖が栄養状態と大変密接に関連していることは生物種全般で知られている。この生殖と栄養状態の関係性について、生殖に対するエネルギーコストや優先度の違いにより、生物種や雌雄によって多様であることが最近知られてきた。しかし、生殖と栄養状態の関係性については、ほ乳類モデル動物のオス・メスどちらかだけを用いた研究がほとんどであった。そのため、生物種や雌雄によって異なる、生殖と栄養状態の多様な関係性に着目した研究はなされてこなかった。
今回、東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻の長谷部政治大学院生、神田真司准教授、岡良隆教授の研究グループは、生殖の中枢制御研究において多くの利点をもつ実験動物として、メダカのオス・メスを用いた研究から、栄養欠乏時においてメスのみが生殖をストップさせる事を発見し、そのメス特異的な生殖抑制に関与する脳内メカニズムを明らかにした。
メダカは、繁殖を促すような長日でエサの豊富な飼育環境においては、毎朝規則的に性行動とそれに引き続く産卵を行うため、栄養状態を変化させたときの生殖への影響を調べやすい。さらに、メダカの脳は小さく透明であるため、マウスの脳のように薄く切らなくても丸ごとの脳を用いて、脳の神経回路を生体内の脳に近い状態に保ったまま神経活動の解析を行えるという大きな利点をもつ。したがって、生体内の状態を反映した神経活動の変化を、実験条件が容易にコントロールできる顕微鏡下の環境において解析することできる。
まず、メダカを絶食により栄養欠乏状態にした際の、オス・メスの生殖機能や行動への影響を解析した。メスメダカにおいては、絶食数日後から産卵が見られなくなり、生殖がストップすることがわかった。一方で、驚くべきことに、オスメダカにおいては、長期間の栄養欠乏時でも、メスに対する求愛行動や精子の受精能への影響は見られなかった(図1)。
図1. メダカのメス・オスにおける絶食の生殖に対する影響
メスメダカでは、絶食により生体内エネルギーレベルが低下すると、産卵をやめ、生殖をストップさせた。一方で、オスメダカでは、長期間の絶食でエネルギーレベルが減少した状態でも、正常に生殖を行い続けた。
そこで次に、この栄養欠乏の生殖機能に対する影響に性差を生じるメカニズムについて解析した。ここで注目したのは、脳内視床下部のGnRHニューロンである。GnRHニューロンは脊椎動物に広く見られ、生殖制御に必須な役割を果たしていることが知られている。そこで、GnRHニューロンが生体内の栄養状態のセンサーとしてはたらき、栄養状態に応じた生殖機能の制御を行っている可能性を考え、GnRHニューロンの解析を行った。
一般に、生きた動物の脳では個々のニューロンを顕微鏡でそのまま観察しても識別することはできない。視床下部GnRHニューロンもその例外ではない。今回の解析において本研究グループは、既に作成していた、GnRHニューロン特異的に緑色蛍光たんぱく質(GFP(注4))を発現させた遺伝子組み換えメダカを用いた。このメダカの脳を用いてGFP蛍光を基にGnRHニューロンを識別し、その神経活動を解析した。
今回は、絶食による栄養欠乏時の血糖値の低下に着目した。ニューロンは主要な栄養源としてグルコースを利用することから、栄養欠乏時の血糖値低下がGnRHニューロンの神経活動に影響を及ぼしているのではないかと考えた。絶食時の低血糖状態を反映させて低グルコース濃度の生理食塩水中に脳を置いて記録すると、メスではGnRHニューロンは、通常グルコース濃度溶液中の記録と比べて顕著に低い自発発火活動(注5)示した。一方オスでは、低グルコース濃度溶液中の記録でも、GnRHニューロンの自発発火活動に顕著な変化は見られなかった(図2)。GnRHニューロンの発火活動はGnRHペプチドの放出を反映していると考えられ、自発発火活動の極端な低下は、GnRHペプチド放出の停止、ひいては生殖がストップすることを意味する。
図2.通常給餌と絶食状態における視床下部GnRHニューロンの自発発火活動
メスメダカでは、絶食時の血糖値を反映させた低グルコース濃度溶液中の記録において、GnRHニューロンは顕著に低い自発発火活動を示した。一方で、オスメダカでは、低グルコース濃度溶液中の記録においても、GnRHニューロンの自発発火活動に顕著な変化は見られなかった。
これらの結果は、メスのGnRHニューロンだけが血糖値をモニターするセンサー機能をもっており、栄養欠乏時の低血糖値によりその自発発火活動が抑制されることで、GnRHの放出低下を起こし、生殖をストップしていることを示唆している。一方で、オスではGnRHニューロンにおけるグルコースのセンサー機構がはたらいておらず、栄養欠乏時でも生殖を続けた個体レベルでの実験結果とも整合すると示唆される(図3)。
図3. 栄養欠乏時にメスメダカだけで生殖をストップさせる脳内メカニズムの概略図
栄養欠乏時に生体内の血糖値(グルコースレベル)が減少すると、メスではGnRHニューロンがグルコース濃度減少を感知し、自発発火活動の抑制が起こり、GnRHペプチド放出の抑制により生殖がストップする。一方で、オスではGnRHニューロンはグルコース感受性をもたないため、栄養欠乏時でも生殖が継続される。
これは、メダカという同じ種でも、雌雄によって生殖に対するエネルギーコストや優先度の違いがあり、GnRHニューロンの機能的差違がそれを生じさせる原因になっているのではないだろうか。この雌雄差は、雌雄における配偶子形成(卵・精子の産生)のコストの差を反映した雌雄それぞれの最適な繁殖戦略となっている可能性がある。
今回発見したGnRHニューロンにおけるグルコース感受機構は、ほ乳類にもあると報告されており、こうしたGnRHニューロンのセンサー機能は脊椎動物で広く保存されている可能性が高い。しかし、この機構に明確な性差があることは、今回が初めての報告である。この性差の理由として、ほ乳類は基礎代謝が高いため、オス・メスどちらでも生殖よりも生存を優先させなければならない事情があると解釈できる。このように、GnRHニューロンの細胞レベルにおけるグルコース感受機構の多様化が、生物種や雌雄毎に異なる栄養状態に依存して、動物個体が最適な生殖機能を制御することを可能にしていると示唆される。
発表雑誌
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雑誌名 Endocrinology 論文タイトル Female specific glucose-sensitivity of GnRH1 neurons leads to sexually dimorphic inhibition of reproduction in medaka. 著者 Masaharu Hasebe※, Shinji Kanda, Yoshitaka Oka※. DOI番号 doi: 10.1210/en.2016-1352 論文URL http://dx.doi.org/10.1210/en.2016-1352 用語解説
注1 基礎代謝
静止時においても、生きていく上で最低限必要とされる体温維持等の生理活動に必要なエネルギー。↑
注2 生殖腺刺激ホルモン放出ホルモン(GnRH)ニューロン
GnRHは生殖腺刺激ホルモン放出ホルモン:gonadotropin-releasing hormoneの頭文字から取った略称。10個のアミノ酸からなるペプチドホルモンである。GnRHニューロンは、GnRHペプチドを産生し、軸索輸送を介して脳下垂体にそれを放出し、脳下垂体の生殖腺刺激ホルモンの分泌を促進することで、排卵の誘導等を起こす。↑
注3 血糖値
血液内に含まれるグルコースの濃度。血液に含まれるグルコースは脳内にも運ばれ、神経細胞が直接利用できる主要な栄養源となる。↑
注4 緑色蛍光たんぱく質(GFP)
オワンクラゲがもつ緑色蛍光タンパク質、green fluorescent proteinの頭文字から取った略称。GFPの研究成果により、下村脩博士は2008年にノーベル化学賞を受賞された。GFP遺伝子を標的とする遺伝子のプロモーターの下流に組み込み、受精卵の初期発生の段階で導入・発現させることにより、標的遺伝子を発現する細胞だけにGFPを作らせ、蛍光標識することができる。↑
注5 自発発火活動
ニューロンはその電気活動として活動電位とよばれる信号を発するが、GnRHニューロンは、何も刺激をしなくても自発的にある頻度で活動電位を発することが知られている。↑
―東京大学大学院理学系研究科・理学部 広報室―