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ヒト培養細胞の放射線耐性を向上させる新規タンパク質をクマムシのゲノムから発見
橋本 拓磨(生物科学専攻 特任研究員)
堀川 大樹(慶應義塾大学先端生命科学研究所 特任講師)
國枝 武和(生物科学専攻 助教)
発表のポイント
- 極限的な環境に耐性を示すクマムシのゲノムを解読し、その中にコードされたクマムシ固有な新規タンパク質の1つがヒト培養細胞の放射線耐性を向上させることを発見しました。
- 今回同定したタンパク質を導入したヒト培養細胞では、放射線によるDNA切断が抑制されたばかりでなく、増殖能を喪失させる線量の放射線を照射した後も、一部の細胞が増殖能を維持していました。
- 今回解読したクマムシのゲノムは、哺乳動物などの耐性強化に寄与する有用な遺伝子資源になると期待されます。
発表概要
クマムシは、さまざまな極限環境に耐性を示す1mm未満の小さな動物で、ヒトの半致死量の約1000倍(4000 Gy)の放射線照射にも耐えます。しかし、こうした極限的な耐性を支える分子メカニズムはほとんど分かっていませんでした。東京大学大学院理学系研究科の橋本拓磨特任研究員と國枝武和助教らの研究グループは、慶應義塾大学先端生命科学研究所の堀川大樹特任講師ら、国立遺伝学研究所等と共同で、クマムシの中でも高い耐性を持つヨコヅナクマムシの高精度なゲノム配列を決定し、クマムシに固有な多数の遺伝子を発見しました。これらのうちDsup (Damage suppressor) と名付けた遺伝子をヒト培養細胞に導入すると、放射線などによるDNA傷害が抑制され、放射線耐性が向上することが明らかになりました。これは、極限環境耐性をもつ動物の遺伝子を用いることで、他の動物の細胞に放射線耐性を付与した初めての例であり、これまでまったく知られていなかった放射線耐性の新たな戦略を明らかにしました。本研究グループはDsup以外にも多数のクマムシ固有遺伝子を見出しており、これらはクマムシの持つたぐいまれな耐性能力の基盤解明に貢献するとともに、有用な遺伝子資源として将来的には他の動物にもさまざまな耐性能力を付与する新規技術の開拓につながることが期待されます。
発表内容
地球上にはさまざまな動物たちが生息しており、その中には我々人間が及びもつかないような能力を持つものも少なくありません。なかでも、最も極限的な環境ストレスに耐える動物の1つとされているのがクマムシ類(注1)です。クマムシ類はおおむね1mm未満の微小な動物で、分類上独自のグループ(緩歩動物)を形成しています。陸生クマムシの多くは、周囲が乾燥するとほぼ完全に脱水して乾眠(注2)と呼ばれる状態になります(図1)。
図1. 本研究でゲノムを解読したヨコヅナクマムシ
(A) 通常状態。ヒトの半致死量の約1000倍の放射線(4000Gy)の照射に耐える。
(B) 乾眠状態。外界の乾燥に伴い、ほぼ完全に脱水した乾眠状態に移行する。この状態では、放射線に加え、超低温、高温、真空、有機溶媒曝露などさまざまな極限環境に耐性を示す。給水により通常状態に復帰する。スケールバー、100μm
この状態では、生命活動は一旦停止していますが、水を与えると速やかに生命活動を復活させます。乾眠状態では、通常の生物がとても耐えられないような超低温・高温・真空・高い線量の放射線照射など、さまざまな極限環境に耐性を示します。特に、放射線については乾眠状態・通常状態いずれにおいてもヒトの半致死量の約1000倍の放射線照射(4,000Gy)にも耐えることができます。しかし、このような高い耐性能力を支える分子メカニズムは分かっていませんでした。
本研究グループは、クマムシの中でも特に強い耐性をもつヨコヅナクマムシについてゲノム配列を高精度で決定し、同種が約2万個の遺伝子を持つことを明らかにしました。決定した遺伝子の多く(全体の50%強)は他の動物の遺伝子と類似していましたが、そのほかに多くの新規遺伝子(全体の約40%)および、少数の外来遺伝子(全体の約1.2%(注3))を含むことが分かりました。クマムシの遺伝子レパートリーを他の動物種と詳細に比較した結果、酸化ストレスへの抵抗性を高める特徴をもつことが分かりました。これは、乾燥時に発生する酸化ストレスに対抗するために獲得されたものと考えられます。一方で予想外なことに、ストレス応答に必要な一部の遺伝子群は失っており、クマムシが耐性を示す過酷な環境ストレスに対して過剰な応答をしないよう、適応した結果ではないかと推察されます。
本研究グループは、さらにクマムシ個体からDNAと複合体を形成するタンパク質群を一緒に分離し、質量分析という手法とゲノム情報を利用して、この複合体に含まれるタンパク質を特定しました。そのうちの1つDsup (Damage Suppressor)と名づけたタンパク質は、他の生物には見出されない新規なタンパク質であり、クマムシ細胞において確かに核DNAの近傍に局在することが確かめられました。
Dsupをヒト培養細胞に導入しても、やはりDNAの近傍に局在することが分かりましたので(図2)、このDsup導入細胞を用いてDsupが放射線耐性を付与するか調べました。
図2. クマムシ固有なDNA保護タンパク質Dsupの細胞内局在。Dsupを導入したヒト培養細胞において、Dsupタンパク質(左図、緑の蛍光)は核DNA(右図、紫色の蛍光)と類似した局在を示す。
生物に放射線を照射するとDNAが切断されることが知られています。そこで、Dsupを導入したヒト培養細胞に放射線の1種であるX線を照射した後、DNA切断の量を調べたところ、Dsup未導入細胞に比べて切断量が約半分に低下していました。さらに詳細な解析の結果、このDNA切断量の低下は、DNA切断自体の減少によるものであり、切断されたDNAの修復が亢進したためではないことが分かりました。また、放射線には活性酸素を発生させて間接的に生体傷害を引き起こす作用が知られており、Dsupは活性酸素による攻撃からもDNAを保護することが分かりました。DsupはDNAと会合することで物理的なシールドとしてDNAを保護していることが考えられます。このDNAを保護しダメージを減らすという性質が、このタンパク質の名前Damage Suppressor(ダメージを抑制するもの)の由来となりました。
Dsupが放射線傷害からDNAを保護することから、細胞の放射線耐性も向上している可能性を考え、増殖能を喪失させる線量のX線 (4 Gy)を照射した後の細胞の形態と増殖能を調べました。その結果、未導入細胞では増殖がほぼ停止し、8日目以降は減少傾向を示すのに対し、Dsup導入細胞では一部の細胞が正常な形態を保ち、8日目以降も顕著に増殖することが分かりました(図3)。
図3. (A)細胞の培養を開始して1日後に4GyのX線を照射し、8, 10, 12 日目に細胞数を計数した。Dsupを導入した細胞(オレンジ色)のみ顕著な増殖を示した。Dsupの発現を抑制した細胞(紫色)では未導入細胞(青色)と同様に、顕著な増殖はみられなくなった。
(B)培養開始後12日目のX線を照射した細胞の位相差顕微鏡像。
このことから、Dsupはヒト培養細胞の放射線耐性を向上させることが分かりました。
本成果は、放射線耐性をもつクマムシの遺伝子を導入することで哺乳動物の細胞でも放射線耐性を向上させることができることを示した初めての例であり、クマムシに固有な遺伝子は耐性に関わる良い候補になると考えられます。本研究で解読したクマムシゲノムには多数のクマムシ固有遺伝子が見出されており、これらの遺伝子情報を利用することで、クマムシの持つたぐいまれな耐性能力の分子基盤の解明に貢献するとともに、将来的には他の動物にもさまざまな耐性能力を付与する新規技術の開拓につながることが期待されます。
本研究は、科学研究費補助金(特定領域研究「ゲノム」4領域 比較ゲノム 16064101、 20017010、新学術領域研究「ゲノム支援」221S0002、基盤研究(B) 25281016, 16H02951、新学術領域研究「宇宙に生きる」16H01632)の支援を受けて実施しました。
※本研究に参加した主なメンバーは以下の通りです。
荒川 和晴(慶應義塾大学先端生命科学研究所 特任准教授)
片山 俊明(ライフサイエンス統合データベースセンター 特任助教)
豊田 敦(情報・システム研究機構国立遺伝学研究所生命情報研究センター 特任教授)
関連リンク
http://www.biol.s.u-tokyo.ac.jp/users/saibou/kuma/
http://kumamushi.org/
東京大学UTokyo-Research(YouTube)
クマムシの強さの謎を解く
Demystifying the resilience of water bears
発表雑誌
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雑誌名 Nature Communications 7:12808 (2016) 論文タイトル Extremotolerant tardigrade genome and improved radiotolerance of human cultured cells by tardigrade-unique protein 著者 Takuma Hashimoto1, Daiki D. Horikawa1, Yuki Saito, Hirokazu Kuwahara, Hiroko Kozuka-Hata, Tadasu Shin-I, Yohei Minakuchi, Kazuko Ohishi, Ayuko Motoyama, Tomoyuki Aizu, Atsushi Enomoto, Koyuki Kondo, Sae Tanaka, Yuichiro Hara, Shigeyuki Koshikawa, Hiroshi Sagara, Toru Miura, Shin-ichi Yokobori, Kiyoshi Miyagawa, Yutaka Suzuki, Takeo Kubo, Masaaki Oyama, Yuji Kohara, Asao Fujiyama, Kazuharu Arakawa, Toshiaki Katayama, Atsushi Toyoda* & Takekazu Kunieda*.
1 authors contributed equally. * corresponding authors.DOI番号 10.1038/ncomms12808 論文URL http://nature.com/articles/doi:10.1038/ncomms12808 用語解説
注1 クマムシ類
4対(8本)の肢をもつ微小動物のグループで緩歩動物門を構成する。近縁な動物として、節足動物(昆虫やエビ・カニなど)や線形動物(線虫)がある。海、淡水、陸など幅広い環境に生息し、これまでに約1200種が報告されている。乾燥耐性をもつ種は、陸など乾燥する環境に生息するものに限られる。↑
注2 乾眠
ほぼ完全に脱水し生命活動が一時的に停止した状態。アンヒドロビオシスとも言う。↑
注3 外来遺伝子
遺伝以外の方法で別種の生物から獲得された遺伝子。2015年末に、耐性の弱い別種のクマムシについて全遺伝子の17.5%が外来遺伝子であるとする論文が報告・報道されたが、その論文で主張された大量の外来遺伝子の存在は私たちを含め他の研究グループの再解析では確認されていない。↑
―東京大学大学院理学系研究科・理学部 広報室―