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日本の加速器が拓く素粒子の新たな世界
祝・ 2015ノーベル物理学賞
小林・益川理論の検証からニュートリノ振動の探索まで
粒子と反粒子の性質の違い「CP対称性の破れ」があることを説明した小林・益川理論は、KEKB加速器の実験によって検証されました。CP対称性の解明は、素粒子がなぜ3世代あるのかという「フレーバー」の謎に深く関わってきます。その解明に向けて、長基線人工ニュートリノ振動T2K実験が進行中です。
物理学専攻・横山将志准教授インタビュー記事
(学研・大人の科学マガジンサイエンス・ライブシリーズ「東大素粒子講座 ヒッグス粒子 宇宙と物質のはじまり」)
日本の加速器は世界一。KEKB(ケックビー)は最高輝度、J-PARC(ジェイパーク)は最高強度です
加速器「トリスタン」の開発が日本の人と技術を育てた
素粒子物理学の研究は、加速器で「素粒子を見る」実験により進歩してきました。2012年のビッグニュースになったヒッグス粒子も、CERN(欧州合同原子核研究機構)のLHCという世界最大の加速器によって発見されましたね。LHCには日本の技術力が存分に生かされています。この分野で日本は最先端を走っているのです。そこまで至るには、先人が築いた蓄積がありました。そのお話からまず始めましょう。
日本の加速器開発の歴史は戦前の仁科芳雄博士のサイクロトロンに始まりますが、1960年代になるとより大型の加速器の開発が行われるようになりました。そのころ、陽子や中性子がクォークから構成されているという「クォーク・モデル」の理論が出てきて、実験によってクォークを見つけようという機運が世界的に高まっていました。そして、日本では茨城県大穂(現在のつくば市)にまず陽子シンクロトロンが、そして1986年に「トリスタン」が完成しました。トリスタンのターゲットはトップ・クォークの発見でした。電子と陽電子を衝突させる衝突型加速器で、当時世界一の衝突エネルギー、64ギガ電子ボルトを実現しました。そのために、超伝導加速空洞の実用化をはじめとして最先端の技術を開発しました。しかし残念なことに、トップ・クォークを発見することはできませんでした。
トリスタンはトップ・クォークこそ発見できませんでしたが、標準理論を検証する重要な実験を重ね、そして加速器をつくる人と技術、素粒子物理学の研究者を「育てる」という大きな遺産を残しました。この蓄積が、次の世代の加速器KEKB(茨城県つくば市)、そしてJ-PARC(茨城県東海村)へと引き継がれていきました。こうして日本は加速器実験のメッカとなり、私の世代の研究者は、国内の恵まれた環境で研究することができるようになったのです。
(左)KEKB加速器は、電子と陽電子を衝突させ、B中間子と反B中間子のペアを生成する衝突型加速器。電子・陽電子リングの周長は3km。(右)KEKBの六極電磁石。エネルギーの違いによる軌道の誤差を補正する。
たくさんの粒子をつくる最高ルミノシティ型加速器をめざした日本
素粒子の研究のための加速器には、トリスタンや今日のLHCのように最高エネルギーをめざすものと、高い「ルミノシティ」をめざすものがあります。ルミノシティというのは、加速器の中でどのくらいの粒子反応を起こせるかという指標で、粒子の生産能力をあらわします。
最高エネルギー型は未知の素粒子の発見を目的としていて、より大きなエネルギーをつくるために巨大な加速リングを建造しなければなりません。それに対して、1998年から稼働したKEKB加速器をはじめとする日本の加速器は、ルミノシティを高くして、たくさんの粒子をつくって反応させ、その中からごくまれな現象を探す。そこから新しい物理を探るという戦略です。ルミノシティを高くするには、加速するビームを細く絞り込んで安定して衝突させるのがキーテクノロジーになります。KEKBでは、電子とその反粒子である陽電子の集まりである「ビーム」の太さを縦2マイクロメートル、横100マイクロメートルまで細く絞り込んで、粒子密度を高くして衝突させます。そのためには、加速器の中で生まれる大電流や磁場を制御する技術、ビームを絞り込む光学系の開発、そして実験を行いながらリアルタイムでフィードバックをかけて制御するといった、日本が得意とする高精度な操作の技が生かされています。
KEKBがつくったルミノシティの記録は今でも世界最高記録です。ルミノシティは日本語では「輝度」といいますから、KEKBは世界最高輝度の加速器ということになります。
2009年から稼働しているJ-PARCは衝突型の加速器ではなく、加速した陽子を取り出してきて、止まっている別の標的にぶつけて、そこで生まれた素粒子を調べる方式です。加速して1回に取り出せる陽子の数は世界一です。J-PARCでは加速した陽子ビームを使ってごくまれにしか起こらない粒子の崩壊や反応を見るいろいろな研究を行っているので、より多くの粒子をつくるためにより多くの陽子を加速するという戦略なのです。あとで紹介するニュートリノの性質を研究する実験では、より多くのニュートリノを生成したいので、世界最高強度の加速器が必要だったのです。
KEKBは小林・益川理論の検証を目的に造られた
KEKBの名はKEK、高エネルギー加速器研究機構のBファクトリー、つまりB中間子と反B中間子を大量につくる工場という意味です。「中間子」は、1949年にノーベル物理学賞を受けた湯川秀樹博士が予言したパイ中間子が有名ですが、クォークと反クォークから構成されています。第3世代のボトム・クォークを含むB中間子は、ボトム・クォークと反ボトム・クォークでできているウプシロン粒子が崩壊する過程で、もっとも効率よく生成することができます。そこで、このウプシロン粒子ができるエネルギー10.58ギガ電子ボルトにKEKBのエネルギーを合わせています。
それは、KEKBには、B中間子をたくさんつくって、それを調べ、「小林・益川理論」を検証するという目的があったからです。理論の検証にはB中間子を数千万個はつくらないといけません。それまであった加速器では10秒に1個くらいしかつくれなかったのですが、KEKBでは1秒間に20個つくれるようになりました。従来より2桁くらい性能がアップされたのです。このように、KEKBはB中間子をつくることに最適化したデザインになっているのです。
標準理論を構成する素粒子とバリオン・中間子。バリオンはクォーク3個からなるが、中間子はクォークと反クォークからなる。
ノーベル賞を受賞した小林・益川理論を実証する実験
クォークが6種類あれば、粒子と反粒子の違いを説明できると予言
では、小林・益川理論が出てから、それを検証する結果が出るまでの歴史を少しお話ししましょう。理論のアイデアが出たのが1972年、論文が出版されたのは73年だと思います。私は74年生まれなので当時のことは知らないのですが、何がすごかったかというと、まだクォークが3つしか知られていなくて、現在の標準理論が正しいかどうかも疑われていた時代なのです。そんな時代に、お二人は「CP対称性の理論」を追究した結果、クォークは6種類なければいけないと予言したわけです。
CP対称性の理論では、簡単に言うと、粒子と反粒子に性質の違い「CP対称性の破れ」があり、そのために現実の宇宙には反粒子がほとんど存在しないことを説明しています。1964年、K中間子の崩壊で「CP対称性の破れ」が初めて発見されました。その起源を説明したのが小林・益川理論です。つまり、クォークの種類が6種類あれば、粒子と反粒子の違いを説明できると予言したのです。
74年に4つ目のチャーム・クォークが発見されて、これによって標準理論が広く受け入れられる大きなきっかけになりました。そして75年には重いレプトンのタウ粒子が発見され、77年にボトム・クォークが見つかって、そのころになると、6種類あってもよさそうだということがわかってきたわけです。
Belle測定器。KEKBの電子と陽電子の衝突点に設置されていて、B中間子と反B中間子のごくわずかな違いを測定。小林・益川理論を検証した。
CP対称性の破れが見えるB中間子の崩壊はめったに起こらない
小林・益川理論に対して、1981年、三田一郎先生は、小林・益川理論がCP対称性の破れの起源であれば、ボトム・クォークの特殊な崩壊を調べることによって、その予言が正しいかどうかを確かめることができるだろうと提唱しました。これがKEKBの実験につながっていくのですが、実際に実験が実現するまでには10年以上かかっています。
なぜかというと、三田先生が提案した当時、ボトム・クォークは発見されていたのですが、B中間子はまだ見つかっていなかったので、B中間子がCP対称性の破れの測定に必要ないくつかの性質を備えているかどうかわかりませんでした。しかも、B中間子をただ測ればよいわけではなくて、B中間子というのはちょっと重いので、それより軽い粒子に、いろいろな組み合わせで1兆分の1秒くらいのうちに壊れます。その中でCP対称性の破れが見える壊れ方というのは、1000回に1回とか1万回に1回以下しか起こらないような特殊な壊れ方で、それを精密に測ることによってCP対称性の破れが見えると、三田先生は予言したのです。ですから、B中間子を1個、2個つくっても、そういう反応は見えない。1000万個レベルでつくって、その中から特別な壊れ方だけを選び出し、さらにそれを精密に測って、はじめてCP対称性の破れが見えてくるのです。
その後、B中間子が発見されて、必要な性質を備えていることがわかり、80年代後半には三田先生の提案で小林・益川理論が検証できるかもしれないということになってきました。
2001年、B中間子におけるCP対称性の破れを実証
実験のほうでも、加速器や素粒子検出器の進歩などがあり、1990年ごろまでには世界各地でBファクトリーをつくる計画が立てられましたが、実現したのはアメリカのスタンフォードにあるスタンフォード線形加速器センター(SスラックLAC)のPペップEP-ⅡとKEKBの2つでした。KEKBが実験を開始したのは1999年6月。ライバルのPEP-Ⅱは半年早く実験をスタートさせていて、最初は向こうのほうが加速器の調子も良く、データもたまっていました。
私は大学院生で、データの解析をしていたのですが、すごいプレッシャーでした。ひいひい言いながら、解析の速さと質で勝負しようと必死でした。加速器グループと実験グループが一丸となって、なんとか早く結果を出そうと死に物狂いの戦いをしていました。
それで互角の勝負をして、2001年の夏にB中間子におけるCP対称性の破れが小林・益川理論の予言通りに実証できましたという発表を、SLACと同時に出すことができました。それまでに生成したB中間子の数は約3000万個、CP対称性の破れの大きさは0.99±0.15。私はそれで博士論文を書いて学位を取りましたので、すごく思い入れがあるのです。
この結果で小林・益川理論はほぼ正しそうだということになったのですが、B中間子の崩壊にはいくつものパターンがあるので、さらにそれらが小林・益川理論の予言通りになっているかどうかを調べました。その結果、すべての反応が理論通りであることが、2005年~2006年ごろまでには確かめられて、2008年の小林誠先生と益川敏英先生のノーベル物理学賞受賞につながりました。
B中間子の生成と特定モードへの崩壊。B中間子と反B中間子を生成して、飛んだ距離の差から崩壊するまでの時間差を測定する。その違いがCP対称性の破れに相当する。
Belleが測定したB中間子におけるCP対称性の破れ。ジェイ・プサイ(J/Ψ)とケーショート(Ks)に崩壊するモードを測定したもので、B中間子(青)と反B中間子の崩壊時間には違いがある。
ですから私は、小林・益川理論のノーベル賞受賞にはだいぶ貢献しているかなと自負しています。もちろん、KEKB実験は国際プロジェクトで世界中から300人ぐらいが参加していましたから、けっして一人でやったわけではありません。でも、小林先生に冗談まじりに「僕があの解析を実際にやって博士論文を書いたんです」とお話ししたことがあったのですが、「ありがとうございました」と言っていただきました。
CP対称性の破れを調べる実験はまだまだ続きます
さらに詳しい研究によって、標準理論をこえた理論の探索が可能に
小林・益川理論はBファクトリー実験で実証されましたが、これで実験が終わったわけではありません。
CP対称性の破れは現在の粒子優勢の宇宙を説明するために必要ですが、その起源は実はまだきちんとわかっていません。小林・益川理論で説明できたクォークのCP 対称性の破れは、「消えた反物質」の起源を説明するには小さすぎ、私たちは宇宙の謎のごく一部を理解したにすぎないからです。残りを説明するには新しい理論が必要となります。今後、より精密な実験により、その手がかりが得られると期待されています。
現在の素粒子の標準理論は、これまでの実験データを非常によく説明しています。しかし、さらに詳しい研究によって、標準理論をこえた理論の探索が可能になります。たとえば、B中間子があるモードの壊れ方をして粒子XとYになる確率は、標準理論で計算できるのですが、実際に測定してみたらその10倍の確率でXとYに壊れてしまったとか、あるいは、100回に1回起きるはずなのに、1万回測定してもそういうことが起きないということになると、これは明らかに標準理論からずれていることになるからです。
そこまで大きなずれはまだ見つかっていませんが、100回に1回の確率と予想していた崩壊が110回に1回起こったらどうでしょう。これは10%のずれということになりますが、この場合は測定の精度も10%なので確かなことが言えません。精度を1桁上げて数%で測定したときにどうなるかが問題です。やはり標準理論からずれているとしたら、そこから新しい理論への突破口が開きます。
(左)生成されたB中間子は、瞬時に多くの粒子に崩壊していく。10年前に横山准教授が作成したデータ。(右)KEKBのルミノシティの増加。
SuperKEKBは超対称性粒子の兆候を発見できる?
新たなCP対称性の破れの起源を探索するには、さらに輝度の高い加速器が必要になります。そこで性能をアップして、B中間子をもっとたくさんつくることができるSuperKEKB加速器の建設が進められています。2015年に実験開始の予定です。
SuperKEKBの輝度はKEKBのつくった世界記録のさらに40倍、ビームの太さは縦0.06マイクロメートル、横10マイクロメートルです。このような鋭いビームを実現するため、電磁石や真空ビームパイプの改良、ビームの向きをそろえるためのダンピングリングの設置など、新しい技術が導入されています。それによって、1秒間に1億回以上、電子と陽電子を交差させ、1秒間に800個のB中間子を生成します。
この膨大な量のB中間子を高精度で解析するため、Belle測定器もBelleⅡ測定器へ進化します。BelleⅡはより高感度の新型検出器を備え、データの収集を効率よく高速で処理できる新しいシステムになります。
SuperKEKBでは、D中間子やタウ粒子も40倍生成できますので、これらの研究についても精度の高い実験ができるはずです。特に、タウ粒子の崩壊ではおもしろい結果が出るかもしれないと、私自身は期待しています。タウ粒子の崩壊にもいろいろなパターンがあり、標準理論ではタウ粒子が崩壊するときには基本的にタウ・ニュートリノが1個以上出てきます。タウ粒子がミュー粒子とフォトン(光子)だけに壊れてニュートリノが出ないような崩壊というのは、標準理論では絶対といってよいくらい起きないことなのです。でも、ひょっとすると、超対称性理論に含まれる超対称性粒子などが本当にあるとすると、そういう崩壊が起きてもおかしくない という予言があるからです。
LHCでは超対称性粒子はこれまでのところ見つかっていません。SuperKEKBが先にその徴候を発見できる可能性もあるのです。
―東京大学大学院理学系研究科・理学部 広報室―