パネルディスカッション「なぜ私は理学を選んだか」

豊島 有(生物化学専攻 特任研究員)

1. はじめに

豊島 有

皆さんこんにちは。生物化学専攻飯野研究室特任研究員の豊島です。

私は理科一類から生物化学科に進学し、そのまま大学院(生物化学専攻)に進んで今年の3月に学位を取りました。現在はポスドクという立場でシステム生物学という分野の研究をしています。具体的には、線虫という小さな虫の神経ネットワークを対象として、神経の情報処理のしくみを調べています。図1右は線虫の頭部の拡大像で、塩(NaCl)を感じる神経細胞が写っています。線虫の鼻先には塩水が流れていて、塩の濃度を変えると細胞が反応して、光の強さが変わります。この光の強さを様々な神経細胞で測ることで、神経細胞のネットワーク上を信号がどのように伝わりながら処理されていくかを調べています。

私自身の進学振り分けはもう8年前のことになってしまいましたが、当時考えていたことなどを紹介することで、みなさんの進路選択の参考になれば幸いです。

2. なぜ私は理学を選んだか

私は高校生のとき、コンピュータなどの機械や、虫などの生き物が人より少し好きだったので理系進路を選択したものの、専攻分野を決めることができませんでした。幸い東大理一に入学することができたので、進学振り分けまでにいろいろな分野のことを知りたいと思い、週22コマくらい授業を取っていましたが、機械工学や宇宙科学など面白い授業がたくさんあり、進路に迷っていました。そんな時同じクラスの友人の紹介で、東京大学医科学研究所の宮野悟先生とお話しする機会を得て、システム生物学という分野があることを知りました。

ここでシステム生物学について少しお話ししたいと思います。システム生物学とは、生命現象をシステムの振る舞いとして理解しようとする生物学の一分野です。大学の生命科学の授業では、生物は分子からできた機械だと教わりますが、教科書には分子の名前や配線図が載っているだけだったので、それらの分子がどうやって生命現象を生み出しているのかということが、私にはよく理解できませんでした。

少し変な例えかもしれませんが、機械の例としてラジオを取り上げ、生物と比べてみたいと思います(図2)。ラジオから流れてくる音楽が生命現象で、ラジオの中にあるダイオードとかコンデンサといった電子部品が生体分子にあたります。ラジオの中にそういった電子部品があるよと言われて、回路図を見せられても、ラジオが電波(電気信号)を音に変える、ある意味神秘的な仕掛けの実態はよくわからないですよね。実際には、コンデンサとコイルという逆の性質を持つ部品をつなぐと共振回路ができて、特定の周期の電気信号だけを取り出すことができます。ダイオードは負の電流を通さない性質をもつため、電気信号の下半分がカットされます。残った信号を滑らかにする(包絡線をとる)と音声と同じ形の電気信号ができるので、スピーカーについた磁石をこの信号の通りに振動させればよいわけです。このように、部品の集合体としてのシステムの動作は、それぞれの部品の特性や配線図に基づきつつも、システムの視点から説明することができます。

システム生物学では、生命現象をこのようなかたちで説明することを目指します。こういった考え方は私にはとても興味深く、生命現象の真の理解に近づけそうだと感じました。またこの分野はまだ始まったばかりだと聞いたので、自分も何かの形で貢献できるだろうと考え、システム生物学を学びたいと思うようになりました。今では生物情報科学科でシステム生物学を学ぶことができますが、当時はその前身である副学科プログラム(生物情報科学学部教育特別プログラム)がありました。私はこれに参加するため、このプログラムとの両立を謳っていた生物化学科に進学したいと思うようになりました。

ところで、今日私がここでお話ししているのは、どうやら今年の進振りで生物化学科の人気があまりなかったためではないかと思うのですが、当時は80点以上(上位3割)を取らないと進学できないほど人気があり、私も進振りの第一段階で落ちてしまいました。その後、生物関係の幾つかの学科の学科長の先生にメールを送り、プログラムへ参加できるか情報を集めたりもしましたが、なんとか第二段階の底点で生物化学科に滑りこむことができました。そんな落ちこぼれギリギリの私でも、こうして研究者として皆さんにお話ししているわけで、みなさんもあきらめない気持ちや科学的探究心を大事にして頑張ってほしいと思います。

3. 生物化学科に進学して

私が進学した生物化学科は、1学年20人程の小さめの学科です。生物化学科の詳細についてはホームページ http://www.biochem.s.u-tokyo.ac.jp/ をご覧ください。駒場生向けのアドバイスも載っていますよ。

履修内容の点では生物学科と近いのではないかと思いますが、生物化学科は生物情報科学科とカリキュラムの一部が共通であるなど、少し情報科学寄りの部分があるように思います。一方、生物情報科学科はどちらかというと情報科学が主体なので、生物学的課題の解決につながる新しい情報科学的手法の開発を重視していると思います。システム生物学は既存の手法も使いつつ、生物学的課題を解決することを目指しますが、生物学的課題を見つけるためには生物学者としての知識や経験、自分で実験データを取得できる技術などが必要だと思いますので、私自身は生物化学科に進学して正解だったと感じています。

生物化学科に進学すると、3年生の午前は講義、午後は実習に割り振られています。夏学期の実習は生物情報科学科と合同で、生命科学の基本的な実験技術とパソコンによる解析手法を学びます。他の多くの分野と同じく、生命科学の分野でも実験データをパソコンで解析することは必要なので、苦手な人でも最低限の知識を身につけられるよう工夫されています。冬学期の実習は生物化学科の各研究室の持ち回りとなっていて、本格的な実験手法を学びながら、実際の研究がどのように行われているのかを体験することができます。生物の実験は待ち時間が多いので、空き時間には他の授業の課題をこなしたり学生控え室で遊んだりと自由に過ごしています。

4年生になると各研究室へ配属され、ほぼ全ての時間を使って卒業研究が行われます。卒業研究は学生実習の延長のようにも見えますが、実際にはかなり性質が異なるものです。それまでの学生実習ではマニュアルに従って手を動かしているだけでもよいのですが、卒業研究では自分が興味を持ったテーマに主体的に取り組むことになるので、そのテーマの答えにたどり着くためにはどのようにすればよいかなどを自分の頭で考えて、自分で実験手順を組む必要があります。学生実習よりも格段に難しくなりますが、得られた結果は自分の創造性の反映であり、世界中で自分だけが答えを見つけた秘密ですから、結果が出た時には他の何物にも代えがたい興奮や感動を味わうことができます。こうした感動は理学的研究のモチベーションの大きな部分を占めているので、この段階で理学や研究の楽しさを真に実感する人も多いと思います。

4. 研究内容について

私は大学院からは生物化学専攻黒田研究室に所属して、時間パターンに注目したシステム生物学の研究に没頭しました。時間パターンに注目するとはどういう意味か、インスリンを例にお話ししたいと思います。

人間の体は、食事の後にインスリンというホルモンを放出して、血糖値を下げようとします。この働きが壊れると糖尿病になります。インスリンの血中濃度は時間とともに変化していて、例えば13分周期の振動があることが分かっています。そして、同じ量のインスリンを、少量ずっと投与した場合と、13分周期で投与した場合、26分周期で投与した場合の血糖値を下げる効果(正確には肝臓からの糖放出の抑制効果)を比べてみると、13分周期で投与した場合が最も効果的だということがわかっています。つまり特定の周期の信号だけを取り出すしくみが生物には備わっているということですね。先ほどラジオについて少し説明しましたが、ラジオの選局でも特定の周期の信号だけを取り出していました。お互いによく似ていると思いませんか?

黒田研ではこの特定の周期の信号だけを取り出すしくみを明らかにするために、培養細胞を使った研究を行いました。細胞の中にはインスリンの信号を伝える分子ネットワークがあるのですが、インスリンの時間パターンはほぼそのままの形で、ネットワークのハブに相当するAktという分子まで伝わることや、その下流の分子ネットワークの構造によって周期的な信号だけを取り出すことができることなどを明らかにしました(図3)。まだ12分周期の信号だけを取り出す分子ネットワークはわかっていませんが、こうした取り組みを通して生物のシステムとしての特性を明らかにしていくことで、生命現象の真の理解に近づけるのではないかと期待しています。

ここで少し補足しておきたいのですが、未知の分子や遺伝子を発見し、分子同士の関係を調べて回路図を作ったり、分子の立体構造を調べて分子そのものが動作する仕組みを解明したりすることも非常に大事な研究です。ラジオでも個々の電子部品の特性が大事だったのと同じで、こういった積み重ねがなければシステム生物学も成り立ちません。生物化学科にはこういった分野の世界一の先生方が揃っているので、自分が興味を持った研究を進めながら、世界一の研究者になる訓練を積むことができます。

5. おわりに

京都大学の山中教授はiPS細胞を生み出して今年のノーベル生理学賞に輝きました。iPS細胞はその社会貢献が大いに期待されていますが、同時受賞のガードン先生の研究をはじめ、基礎となったたくさんの理学的研究なくしては生まれなかったものです。科学的探究心は人間の人間たる証、あるいは人間の根幹にある欲求のひとつだと思いますが、そういった探究心に基づいた理学研究は、ときには数十年を経て、iPS細胞をはじめ様々な形で社会に還元されています。理学ではすぐに役立つ成果を求めませんが、それは役に立たないということではなくて、将来もっと大きな成果の役に立つことを意味しているのです。

駒場時代には、自分が進路として考えていない分野も含めて、できるだけ多様な分野を見て回り、知識や考え方を身につけてください。そして多くの先人たちの話を聞き、自分がどのような分野・立場で社会に貢献したいかを考えてみてください。ひとたびメインとする分野が決まれば、メインにならなかった分野の知識が多ければ多いほど自分の色が豊かになり、独創的な貢献ができると思います。そして、その立場に就くまでの道程で理学部を選んでいただけたら大変嬉しく思います。