人間の原理に迫る

人間の原理に迫る

— 数理モデルから探る人間の行動 —
理学系研究科生物科学専攻 講師
井原 泰雄
井原 泰雄

1996年東京大学理学部生物学科卒業、 98年同大学院理学系研究科 生物科学専攻修士課程修了、 2001年同博士課程修了、博士(理学)。 同年スタンフォード大学博士研究員、 04年より現職

自然人類学は、「人とは何か」を自然科学の手法で知る学問である。一方で、考古学をはじめ社会学や経済学、心理学と関連する分野は幅広い。井原の手法は、ヒトの行動と文化の進化を、行動生態学と数理生物学の手法でモデル化し、仕組みを解き明かすことだ。

数理生物学とは耳慣れない言葉だが、生命現象の本質的な側面を数式によって表現し、それを解析することで定量的に事象を説明する手法だ。そのままでは複雑すぎる事象から、要素をそぎ落とした単純な数理モデルを作り、解決の糸口を見出していく。

大きな魚とエサになる小さな魚の関係を考えてみよう。大きな魚が増えるとエサとなる小さな魚が減るが、それが減りすぎると大きな魚も減るので、今度は小さな魚が増える。こうした関係を数式で表すのも数理生物学の範疇である。

人間の特徴は社会学習能力

進化とはどう定義できるだろうか。それは「集団の中のAとBの割合の変化」だと井原は言う。例えば「遺伝子の進化」とは、集団における対立遺伝子(染色体上の同じ位置を占める異なるタイプの遺伝子)の相対的割合の変化であり、「AからBに進化する」とは、Aが多数を占める集団にBが侵入し、Bの占める割合が時間とともに増加していくということだ。文化も同じく、Aという行動とBという行動の出現比率が変わることが文化の進化である。

人間が他の動物と異なるユニークな点は、自分以外の個体を模倣して新しい行動を獲得する「社会学習能力」が高いことだ。社会学習能力は文化の基盤であると言えるだろう。文化とは、ヒトが周囲の環境に対してどう作用するかという在り方であり、自分の生存に有利な環境を作り出すために重要な役割を持つ。ヒトの基本となる心理メカニズムはすべてのヒトに共通(ヒューマンユニバーサル)だが、何を学習するかは文化によって異なる。そして、時として文化が、ヒトの集団に考えられないような変化をもたらすことがある。

その一例が、19世紀のヨーロッパで始まった人口転換という現象である。産業化に伴い、ヨーロッパ諸国では死亡率と出生率の急激な低下が起こった。現在の日本の少子化問題とも共通点がある。行動生態学の見地から人口転換をみると、「繁殖成功度が減少している」ということだ。だが、正常な生物であれば、自分の子孫をより多く残すために有利な行動をとるはずであり、このような状況は説明を要する。

井原は、出生率の低下を社会学習の結果であるとして、パラメータとして社会に対する影響力の強さ(社会的地位)を導入した数理モデルを用い、「子どもの数を減らすような行動も、ある条件下では広がり得る」という数理モデルを提案した。子どもの数を減らすような価値観を持つ人が影響力の強い社会的地位を占めやすいなら、文化伝達により出生率の低下が起こり得るというのが、この理論の骨子である。また、このモデルは、人口転換で見られる死亡率の低下と出生率の低下との間のタイムラグを、社会の教育水準という変数によって説明する。

ヒトの性質に基づく進化の仮説

井原の日常の研究は、論文を読み、モデル化を考えることの繰り返しだ。どのようなヒトの行動をモデル化するかを考え、紙と鉛筆で解いてみる。「数理生物学の魅力は、複雑な現象をモデル化していく過程にある」と井原は感じている。

モデルを解析していく過程で意外な現象が出てきても、直感的に分かることもある。より深く、現象を理解するためのツールとして数理モデルは有力である。

井原が現在の研究につながる生物学科人類学教室へ進学したのは、霊長類の行動観察と数理モデルを研究していたからであり、「ヒトそのものに最初から興味があったわけではない」という。だが研究を進めるにつれ、「人間の行動や意思決定は脳の産物だが、ヒトも動物の一種なのだから、その行動は原理的には自然淘汰で説明できるはず。研究を進めていくにつれて、ヒトは他の動物に比べてけして高級な存在ではないという思いは強くなっている」と井原は語る。

「模倣」する人類

今の井原の関心は、ヒトの「模倣」を取り入れた数理モデルである。伝統的な経済学は、人間の合理的な行動を前提として成立してきた。これに立脚するなら「模倣」は「模倣することで有利になるという理由に基づく合理的な判断に基づく行動」であると言えるだろう。しかしはたしてそうだろうか。

「どうもヒトは盲目的に他人を真似る性質があるのではないだろうかと感じる。もしかすると先史時代に盲目的に模倣することが有利だったことがあるのではないか」と井原は考えている。そこで模倣するヒトが有利になることで進化を説明できる数理モデルを提案していくことが、これからの研究テーマの1つとなっている。

ヒトは生物の一種だが、他の生物のように任意の条件を設定して実験を行うような操作はできず、研究材料としては優れているとは言えない。それなのにヒトを対象とした人類学という学問が存在するのは、「自分のことを知りたい」という欲求があるからだろう。井原もまた、飽くなき好奇心にとりつかれた研究者の一人なのだ。

(photograph by 佐藤 久 / text by 板垣 朝子)

図1

人口転換

図2

文化伝達モデルの予測