臨海実験所と真珠養殖技術開発の絆

赤坂 甲治(臨海実験所 教授)

図1

図1:半円真珠が形成されたアコヤガイの貝殻に同封されていた五島教授のメモ。大正14年に御木本本真珠養殖場を見学したさいに動物学教室に寄贈された旨が記されている。

図2

図2:真円真珠(手前の2個)とアコヤガイに挿入する前の核(奥の白い球)

東京大学理学部が世界初の真珠養殖技術開発の舞台となったことは,意外と知られていない。最近,理学部2号館から当時の真珠とその謂れを記したメモが見つかった(図1)。メモの主は東京大学理学部動物学教室の五島清太郎教授のものとみられる。五島教授は明治時代から昭和初期にかけて動物学教室に在籍し,理学部長,日本動物学会会長を務めている。

真珠養殖の開発は,東京帝国大学臨海実験所の初代所長である箕作佳吉教授と,御木本幸吉氏の共同研究に始まる(1890年・明治23年)。御木本氏は伊勢志摩で研究を続け,3年後に貝殻の内側に形成されたドーム状の半円真珠を得ることに成功した(表紙)。半円とはいえ十分に価値のあるものだったことは,1896年のコロンビア世界博覧会で,箕作教授が立案者として表彰されていることからも察することができる。半円真珠は貝殻から切り出され,装飾に使われていた(裏表紙a,b)。いっぽう,東京大学でも研究が精力的に進められ,三崎臨海実験所では,研究生の西川藤吉氏が球状の真珠(真円真珠)を得る技術を開発し(図2),1907年(明治40年)に特許を申請する。西川氏は御木本氏の次女と結婚し,ミキモトにも貢献するが,特許が受理されるのを待たずに1909年(明治42年),若くして他界する。研究は臨海実験所助手の藤田輔世に引き継がれ,大正時代まで続く。しかし,学術的な成果は十分に得られたとして東京大学は研究プロジェクトから撤退し,いつの間にか忘れ去られていった。いっぽう御木本氏は,養殖真珠を一大産業として発展させていくことになる。

このたび発見された真珠は,五島教授が1925年(大正14年)に志摩の真珠養殖場を訪問したさいに,御木本氏から贈られたものと思われる。東京大学理学部動物学教室・臨海実験所と,世界のミキモトを生み出した御木本幸吉氏が,共同で真珠養殖研究にかかわったことを示す貴重な資料である。

最近,三崎臨海実験所に全学組織の海洋基礎生物学研究推進センターCMBが設置された。また,共同利用・共同研究拠点として文部科学省に認定され,海洋基礎生物学共同研究拠点として発展が期待されている。折しも,ミキモト真珠研究所が,原点の三崎臨海実験所に研究室を構え,真珠層の形成機構の基礎研究に取り組み始めている。海洋生物を活用して生命機構の解明を目指す基礎生物学から,産業にまで通じる研究が展開されようとしている。