20インチ径光電子増倍管

中畑 雅行(宇宙線研究所神岡宇宙素粒子研究施設 教授)

図1

20インチ径光電子増倍管の構造図

20インチ径光電子増倍管(20インチPMT,表紙参照)は,カミオカンデ,スーパーカミオカンデのかなめとして,ニュートリノ物理学の進展に大きく貢献した。その開発の経緯を紹介する。

1980年頃,陽子崩壊を発見し大統一理論を検証しようとする機運が世界で高まった。当時の大統一理論からは陽子の寿命が1030年程度であることが予言され,数千トンクラスの実験装置をつくれば年間数百個の崩壊事象が見つかると期待された。日本では小柴先生が3000トンの実験装置カミオカンデを提案され,アメリカではライネスらが7000トンの実験装置IMBを提案した。IMBは5インチ径PMT2048本を使い,1979年11月にはすでに実験場所の掘削が始まっていた。装置の大きさ,実験開始の時期を考えると,陽子崩壊の最初の発見はIMBに先を越されるだろうと考えた小柴先生は,「エネルギー分解能が良い装置をつくり陽子崩壊の崩壊様式を正確に求めよう。そうすれば,どの大統一理論のモデルが正しいか判断できるだろう」と考えた。エネルギー分解能をあげるためには,より多くの光を受けることができる装置が必要であり,そこで20インチ径という当時としては破格のサイズのPMTが提案された。そして,1979年12月に20インチPMTの開発が,浜松テレビ(現・浜松ホトニクス),東京大学理学部,高エネルギー加速器研究機構の共同でスタートした。

光電子増倍管の原理を図に示す。真空ガラス管の内面には光電面とよばれる薄膜が蒸着されており,光が光電効果によって電子に変換される。電子は電場によってダイノードとよばれる電極に集められ,多段の電極によって増幅され電気信号のパルスとして取り出される。20インチPMTの場合には,光電面材料として可視光領域で高い量子効率をもつバイアルカリが採用され,400 nmの波長に対して20%を越える量子効率をあげることができた。開発においてもっとも苦労した点は,いかに光電子をダイノードに集めるかということであった。これは単に効率よく光電子を集めればいいということだけでなく,光電面のどこに光が当たってもほぼ同じ飛行時間でダイノードに光電子が到達するということも考慮しなければならなかった。後者はPMTの時間分解能にきくからである。綿密な電子の軌道計算が行われ,ガラス管の形状,ダイノードの電場構造が設計された。増幅部分については13段のベネシアンブラインド型(窓にかかるブラインドのように狭い短冊型板を数多く組み合わせた構造)が採用され,107倍の増幅率が達成された。開発は10ヶ月という驚くべき早さで進められ,1980年10月には第1号の試作品が完成した。PMTを水の中で使うということも初めての試みであり,ブリーダー回路(ダイノードに電圧を供給する回路),高電圧ケーブル,信号ケーブルを防水する構造もいろいろな試作の末,乗り越えることができた。

1000本の20インチPMTが1982年5月までに製作され,1983年にPMTの取り付けが行われ,カミオカンデは1983年7月に実験がスタートした(裏表紙上図)。カミオカンデでとらえた宇宙線ミュー粒子事象の一例を裏表紙下図に示す。実験装置自身は期待どおり稼働したが,肝心かなめの陽子崩壊はIMBでもカミオカンデでも発見できなかった(スーパーカミオカンデでもいまだに見つかっていない)。しかし,チェレンコフ光を高い効率でとらえることができたカミオカンデはエネルギーの低いニュートリノ事象にも感度があり,1987年の超新星爆発ニュートリノの観測に恵まれ,ニュートリノ天文学が誕生した。1988年度より研究の推進母体は理学系研究科から宇宙線研究所へ移り,太陽ニュートリノの観測,大気ニュートリノ異常の発見,スーパーカミオカンデの建設へとつながった。宇宙線研究所は理学系研究科の協力講座として大学院教育の一端を担っている。

この紹介文を書くにあたり,浜松ホトニクスから昔の開発資料を提供していただいた。