進化する宇宙冷却赤外線望遠鏡

尾中 敬(天文学専攻 教授)

図1.日本初の衛星搭載冷却望遠鏡IRTS。15cmのアルミ鏡の望遠鏡(写真提供・宇宙航空研究開発機構宇宙科学研究本部)

図2.赤外線衛星ASTRO-F冷却望遠鏡の写真。70cmの炭化珪素(SiC)の鏡が用いられている(写真提供・宇宙航空研究開発機構宇宙科学研究本部)

図3.レプリカ法により制作した炭素繊維強化プラスティック材(CFRP)の15cm試作鏡

宇宙空間に浮遊する小さな固体の粒子(ダスト)による吸収は,赤外線(ここでは波長数ミクロンから数百ミクロンの光を考えます)では非常に少なくなる一方,遠くの銀河は宇宙膨張のため赤方偏移するため,遠方で光る昔の天体を研究するには赤外線が重要になってきます。一方,我々の地球も赤外線でもっとも輝いているように,隣の惑星を探すにも赤外線は有効な波長帯です。この他にも様々な理由があり,赤外線による天体観測は面白い対象がいっぱいあるのですが,現実には,地球の大気に邪魔されて,地上から観測できる波長は非常に限られています。地球の大気から逃れるために,大気圏外に出て観測を行なうことになりますが,衛星観測ではさらに望遠鏡全体を極低温まで冷却することで,赤外線観測感度を何桁もあげることができます。これは,望遠鏡からの赤外線放射を最小にすることと同時に,極低温(数K)まで冷却することにより検出器の感度を大幅に向上することができるためです。したがって,衛星に搭載された冷却望遠鏡は,もっとも感度のよい赤外線観測を提供することができます。冷却にはこれまで液体ヘリウムが主に冷媒として用いられてきました。宇宙では周囲がほぼ真空になるため,液体ヘリウムは超流動状態となり2K以下の温度が実現します。しかし,このような極低温状態で期待される性能を発揮する衛星搭載用の望遠鏡を作るためには,何重もの困難があります。衛星打ち上げの激しい振動に耐えるような強固でしかも軽い構造が求められる一方,光学性能を達成するためには鏡を堅く固定し強いストレスをかけることを極力避ける必要があります。さらに極低温で使用するわけですから,冷却による変形はできるだけ小さなものが求められます。すなわち,できるだけ軽量で強く,熱変形の少ない鏡が理想のものです。例えば,最初の冷却赤外線軌道望遠鏡IRASや現在稼働中のSpitzer宇宙望遠鏡では,ベリリウムという非常に堅くて比重の軽い金属の鏡が用いられてきました。しかし,ベリリウムは毒性が高く取り扱いに注意が必要で,また金属であるため熱変形も大きい材料です。高精度の冷却望遠鏡を作るには,多くの技術的課題を克服する必要があります。

我々はこれまで,宇宙科学研究所(現・宇宙航空研究開発機構宇宙科学研究本部,以下宇宙科学研究本部)のグループと共同して,衛星搭載用の赤外線冷却望遠鏡の開発を進めてきました。1995年に打ち上げた日本で初めての冷却赤外線衛星望遠鏡IRTSでは,15cmのアルミの鏡を用いました。図1にIRTS望遠鏡の写真を示します。アルミは,機械切削が容易で熱伝導もよく,取り扱いが容易という利点があります。比重も小さいのですが,残念ながら強度はそんなに大きくないため,重量的にはあまり利点がありません。また金属であるため熱変形も小さくありません。IRTSは小口径の利点を活かして,個々の天体というよりは星間物質や遠方からの背景光の観測に重点をおき,結像性能は1分角程度を目標としたアルミの鏡を採用しました。IRTS望遠鏡は,要求された光学性能を極低温で実現し,近赤外線からサブミリ波の領域にかけて,宇宙背景放射や銀河光の観測に成功し,これらの研究に多くの貴重なデータをもたらしました。

IRTSの次に,我々は,波長数ミクロンで回折による光学性能(数秒角)を満たすような70cmの鏡を用いたASTRO-Fという衛星の望遠鏡を開発してきました。この光学性能を満たすにはアルミの鏡では困難であり,我々は,炭化珪素(SiC)という新しい素材の鏡の開発を行いました。SiCは,研磨性が高く,強度も強く,熱伝導もよいため,従来からベリリウムに替わる宇宙用の光学材料として,注目を集めていた素材です。しかし,ASTRO-Fの鏡の開発を始めた1990年では,まだ60cmを超える大きさのSiCの素材は安定に製造されておらず,また極低温における性能もよくわかっていませんでした。我々は,軽量化するために,内部は多孔質で,その外側に凋密なSiCをつけるというサンドイッチ構造の素材を採用することにし,まず16cmの試作鏡を液体ヘリウムで冷却し,その光学性能を測定しました。試作鏡の試験により,この種のSiC鏡は常温と定温でほとんど変形しない,冷却望遠鏡には非常に向いた素材であることが確認されました。しかし,やはり,70cmの大きさのSiCの製造はそう容易ではなく,5回以上の試作を繰り返し,また振動試験中に割れるなどの苦労の末,製造メーカの大変な努力・協力のもと,初めてこの大きさの軽量(11kg)のSiC鏡の製造に成功することにこぎつけました。

ところが,ASTRO-F望遠鏡の実際の困難点はSiCの製造ではなく,鏡の支持構造にありました。当然ながら,鏡は観測装置を乗せた光学用の構造の上に固定されます。ASTRO-Fの場合,この構造はアルミで構成されており,SiCとの熱膨張率の差は非常に大きいものになります。この差を逃れるため,ASRO-F望遠鏡では,板バネにより支える構造をとっています。また鏡にストレスをかけることなく固定することが必要ですが,SiCはセラミックなので,ねじ止めはできません。このため,接着剤で固定する方法が用いられました。この接着部分が事前の地上試験で剥離するという事故がおこり,打ち上げの延期という衛星全体のスケジュールに影響を与え,多くの方にご迷惑をかけることになってしまいました。その後宇宙科学研究本部の工学の方々の協力のもと,設計の大幅な見直しを行い,現在では,打ち上げ環境に十分に耐えるSiC望遠鏡が準備でき,一昨年アメリカで打ち上げられたSpitzer宇宙望遠鏡を追って打ち上げを待つまでになっています。図2にASTRO-F望遠鏡の写真を示します。支持構造は,光学性能にも大きな影響を与え,SiC素材自身の熱変形は少なかったものの,結局,この支持部に起因する熱変形が低温の光学性能に支配的になっています。これらの経験から,支持構造を工夫することが将来の冷却望遠鏡では重要になると考えています。

さて,その将来計画ですが,皆さんは,これまでの赤外線望遠鏡の口径が1mに満たないことにすでにお気づきでしょうか。これまでで最大のSpitzer宇宙望遠鏡でも口径は85cmです。このように,これまで鏡の大きさが限られていたのは,液体ヘリウムを搭載するため,どうしても大きな魔法瓶が必要になっていたためです。現在我々は,液体ヘリウムのための魔法瓶をなくして,冷凍機と放射で冷却する3.5mクラスの軌道冷却赤外線望遠鏡SPICAの計画を始めています。赤外線では,回折により空間分解能が決まってしまうため,口径を大きくすることは,感度を上げると同時に細かい空間構造を観測するためには非常に大きな利得があります。口径1m以下の赤外線望遠鏡では,可視域や電波に比べて1桁以上悪い分解能の観測が精一杯ですので,少しでも可視域の空間分解能に近づけることが強く切望されています。Spitzer宇宙望遠鏡やASTRO-Fは,これまでの衛星観測に比べて革新的なデータをもたらすことが期待されていますが,本当に遠くのできたての銀河や,できたての星,あるいは太陽系外の惑星系を観測するには,赤外線衛星望遠鏡をもっと進化させ,大きな口径のものを実現することがどうしても必要です。SPICAと同時期に打ち上げを目指しているアメリカのJames Webb 宇宙望遠鏡(JWST)は複数のベリリウム鏡を用いた展開型の6.5mの放射冷却による望遠鏡を計画していますが,SPICAではさらに冷凍機で冷却を行うため,展開による複雑な機構を排除して,一枚の鏡で3.5mを実現することを考えています。SPICAはJWSTよりはるかに低い温度に達しますので,20ミクロン以上の波長の観測では,多少口径が小さくともJWSTより高い感度が達成でき,より赤方偏移した遠くの銀河の観測や,太陽系の外の惑星系の検出に有利であると期待されます。このようなSPICA望遠鏡の実現ためには,低温で性能のよい軽量の大型鏡が必須です。現在のところ,SiCは融着により大型化ができるようになっていますが,融着部の低温変形への影響についての十分な検討が必要です。われわれは,このSiCの大型化とともに,新しい鏡の素材として,SiCに炭素繊維を混ぜて強度を上げたC/SiCという複合材料の開発を,宇宙科学本部との共同で始めています。C/SiCは繊維強化材料であり,大型化が容易なこと,複雑な支持構造をとることができるなど,いくつかの利点がある一方,複合材料であるため,低温で非一様な変形を生じる可能性があります。これまでの開発で,すでに,C/SiCの製造過程の改良から,材料の一様性を大幅に改善した素材の開発に成功しています。

この他にも,構造材としてよく使われている炭素繊維強化プラスティック,通常CFRPと呼ばれる素材による鏡の開発も行っています。図3にCFRPによる試作鏡の写真を示します。CFRPは,直接研磨ができない材料のため,レプリカ法といって,型をとる方法を用いて鏡を製作しています。これは,同じ形の鏡を大量に生産するには非常に有効な方法です。現状のCFRP鏡は,炭素繊維の固まりの影響が大きく,まだ波長の短い赤外線での観測に耐えるものにはなっていません。しかし,CFRPは比重が小さく,強度も高い構造用の材料のため,軽量鏡としては非常に有利な材料であり,さらに熱膨張率を限りなく0に近づけるようなオートクチュールも可能なため,将来の大型の赤外線望遠鏡には,非常に魅力的な素材と考えています。ASTRO-Fの経験から,支持機構の設計が低温の性能には非常に重要であることがわかりました。C/SiCやCFRPの鏡は,支持構造を十分に工夫する余地を与えてくれます。これらのこれまでの苦い経験を十分に活かして,大型の冷却望遠鏡の実現を目指していきたいと考えています。

以上の研究は,宇宙航空研究開発機構宇宙科学研究本部との共同研究であり,また多くのメーカの方にご協力頂き,進めてきたものです。大型の冷却望遠鏡の実現には,まだまだ解決すべき課題が多く残されております。皆様方からのコメント,アドバイスをお待ちしております。