ある日の木曽観測所

中田 好一(天文学教育研究センター木曽観測所)

観測中の銀河学校の生徒

スカイのレベルがぐんぐんと上がってきた。切り上げ時だ。

「そろそろだね」

「うん」

ドームを閉めて、フラットを取得する。大体天気が良い晩は、シャッターのワイヤーが切れて星の代わりにダークレベルの測定データを溜め込んだり、ドームの動きが不調で一生懸命ドームの壁を観測することになるものだが、今晩のシュミット望遠鏡は一晩中良い子だった。外に出ると、ばら色に染まった暁の空の下、灰色の木曽山脈が長々と伸び、反対側には御岳の斜面が朝日を浴びて輝いている。シーンと静まりかえった朝の大気が気持ちよい。今日も良い天気だ。さっさと寝よう。

目覚めると雨戸の隙間から明るい光が差し込んでいる。いけない、午後一の会議に寝坊かと時計を見ると、まだ11時半だ。観測中はどうしても睡眠不足になる。天文学者は観測の度に生活リズムが乱れ、寿命に影響しないかと心配だが、90歳を過ぎても研究に励んでいる大先輩もいるから杞憂かもしれない。まあ、とにかく飯だ。今日は木曜の麺曜日か。先週は鳥うどんで、テーブルの話題は東京のうどんの悪口で終始した。高松出身のスタッフがいるので、東京生まれだがたぬきうどんが好物の私はこてんぱんにやられた。「た」を「さ」に変えるだけで讃岐うどんになるんだが。木曽出身のスタッフ連中はそばに絶対の信頼を寄せているので、うどんの優劣などという低レベルの争いを微笑みを浮かべて眺めていた。

てんぷらそばの昼食を終えると、「銀河学校」のテーマを決める会議が始まった。毎年3月の末になると「銀河学校」に参加するため全国から30名ほどの高校生が木曽にやってくる(図)。将来理工系に進むことを考えている高校生に大学の研究施設を開放することが眼目で、応募してくる生徒たちの水準はかなり高い。彼らはテーマ毎にいくつかの班に分かれ、観測所員の指導の下で観測を行い、結果をまとめて発表会をやって、また全国に散らばって行くのである。生徒たちの相手をするのは、大学生や大学院生のティーチングアシスタントが6名、三鷹の天文センターからも講義のために応援の教官が2名、観測所スタッフが研究員を入れて8名という陣容である。各班の責任者となる3名の若手研究者は、高校生に面白く思え、しかも観測所の装置を使ってできる適切なテーマを考えなければならない。今年の担当者は望遠鏡に鏡筒一杯の大プリズムをつけて、スペクトル画像を撮るという方針である。

「クエーサーの後退速度を測れないかと思うんですがね」

「エーッ、スペクトル分解能100だぜ。静止スペクトルのゼロ点誤差だけで、そんなのすっ飛んじゃうよ。それより、A型星スペクトルだけ抜き出して、銀河面厚みのスケールハイトを出せないかな」

「スケールハイトなんて、概念をつかませるだけで銀河学校が終了しちゃいますよ。スペクトルを黒体輻射に合わせて星の温度を決めるってのはどうです」

全員がしゃべりつかれるまでは結論にたどり着かない。先日読んだ新聞記事によると日本人のあごの筋力は年々弱まっているそうだ。将来の会議はずっと短時間で済むようになるかもしれない。

「Iさんのお土産のケーキでコーヒーにしませんか?」

丁度よいタイミングで食堂から声がかかった。

「それじゃ、そういうことで。各自がんばりましょう」

何を言っているか、自分でも判らない結論にして会議を終えて食堂に移る。

「曇ってきちゃいましたよ」

自分が持ってきたケーキを食べながら、国立天文台からの共同観測者I君が言う。彼は岡山観測所で仕事をしているので木曽の天気にはやや不満がある。

「この間の観測の後、南天シュミットフィルムを調べたんですがね、そのつもりで見ると結構それらしいのが写ってますよ」

「広がって淡い像だとシュミットでもまだ勝負できるね」

「まあ、そんなに残ってないですけどね」

「いや、そんなことないよ。ほら、彗星のダストトレイルだって木曽が最初だったし。我々のも世界初だろ。銀河周辺の淡い成分の検出とか、銀河団の共通エンベロープとかまだ色々あるぜ」

「でも、すばる望遠鏡のスープリムカム装置なら一発でしょ」「昔第3芸術論というのがあったけど、I君のは第3科学論だな。すばると比較して負けると言うんじゃ、世界中の大抵の望遠鏡はいらなくなっちゃうよ」

「本当にそうなんじゃないですか?」

彼は頭脳明晰で鋭い直感力に恵まれているが、思いやりの心にはそれほど恵まれていない。

「いや、シュミットの広い視野はすばるではカバーできないぜ。今度木曽で開発を始める画像ファイバーカメラが成功すると、これは大型望遠鏡にはないユニークな性能になるな。うん」

「力が入った言い方をする時はあんまり自信がないんですよね」

望遠鏡の性能向上をめぐる攻防は夕食になっても延々と続いた。