超低温で量子現象を“見る”

福山 寛(物理学専攻 教授)

表紙写真

図1:超低温走査トンネル顕微鏡(ULT-STM)の全体図

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裏表紙上図

裏表紙上図:グラファイト表面のトンネル分光データ(T = 2 K)。表面擬2次元電子系が低温・高磁場下でランダウ量子化し複雑なピーク構造を示している。各磁場のスペクトルは等量ずつ上方にずらしてプロットしている。

裏表紙下図

裏表紙下図:アルゴンイオンスパッタで人工的に欠陥を導入したグラファイト表面のSTM/STS像(T = 30 mK, B = 6 T)。(a)STM 像。(b)不純物ポテンシャルのもとで2次元電子系が磁場中局在したSTS 像。(c)ランダウ準位における磁場中2次元電子系の拡がった波動関数に対応するSTS 像。(d)1/r ポテンシャルに磁場中束縛された2次元電子系の波動関数分布の計算結果。(e)調和ポテンシャルに磁場中束縛された2次元電子系の波動関数分布の計算結果。

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表紙図

表紙図:超低温走査トンネル顕微鏡の全景

絶対零度に向かって物質の温度を下げてはじめて見えてくる新現象を探索することは,理学のロマンのひとつである。人類が作り出した最低温度は,1908年のヘリウム液化成功で得られた 2K (ケルビン)から,金属ロジウム中の原子核スピン系で達成された 280 pK(= 2.8×10–10 K)まで, 85年間で10桁下がった。その間,超伝導,超流動,アンダーソン局在,量子ホール効果,ボース・アインシュタイン凝縮,核スピン秩序など物質の多彩な量子現象が次々発見され,今日の凝縮系物理学の興隆につながっている。

21世紀に入り研究者の関心は,超低温という極限環境で使える新たな測定手段の開発に移ってきた。特に,低温量子現象を“目で見る”,すなわち実空間観測することは長年の夢であった。われわれのグループは,3He-4He 希釈冷凍機で実現する 30 mK の温度で,6 T (テスラ)の高磁場を印加した状態で,物質表面のトポロジーや電子状態を原子分解能をもって実空間観測できる超低温走査トンネル顕微鏡(ULT-STM)を世界に先駆けて開発した(2005年)。STMでは,原子レベルで先端の尖った金属探針を試料表面から 1 nm 程度まで近接させて,トンネル電流を検出しつつピエゾ駆動で走査することで表面のトポロジーを得ることができる。また,微分トンネルコンダクタンスを測定して,表面の電子状態密度も実空間マッピングできる(STS法)。

図1はわれわれが開発したULT-STMの全体図である。試料表面を超高真空中で低温劈開,加熱,イオンスパッタして清浄化し,低速電子線回折装置(LEED)を使って原子レベルで評価し,そして電子ビーム蒸着で異種原子を修飾できる。このように本格的な表面科学の手法で試料表面を清浄化・計測・加工でき,かつ 100 mK 以下の超低温下で磁場中STM観測ができる装置は,2年前に米国でより大型の同種装置が稼働するまで世界で唯一のものであった。さらに,試料や探針の交換後3時間で最低温度に戻ることが可能で,磁場掃引中でもSTM像に影響がないなど数々のユニークな性能を備えており,試料の適応範囲が広い。

昨年,最大磁場を 13 T に増強したこのULT-STMを使って,グラファイト表面の擬2次元電子系を低温・高磁場下でトンネル分光した例が裏表紙上図である。面直磁場の増加とともにフェルミエネルギー(図中横軸がゼロのところ)を中心に,ランダウ量子化に対応して多数のピークが観測されている。これらの磁場依存性を調べたところ,グラフェンと同じ磁場の平方根に比例するディラック・フェルミオン的な電子(図中の正エネルギー領域)と正孔(負エネルギー)が存在することが分かった。次に,グラファイト表面にアルゴンイオンをスパッタして人工的に数 nm 大の欠陥を導入し(裏表紙下図a),隣り合うランダウ準位間の谷のエネルギーとちょうどランダウ準位のエネルギーで状態密度をマッピングしたのが同図bとcである。前者では,欠陥の位置で状態密度が山(赤矢印)または谷(青矢印)になる二種類の空間パターンが得られ,後者では画面全体に拡がったパターンが見られる。これらは,量子ホール状態で理論的に考えられてきた,局在した電子状態と拡がった電子状態を直接的に“見た”ものと考えられる。実際,観測された空間パターンは,距離に逆比例する型と調和型の静電ポテンシャルをそれぞれ考えたときに理論計算から期待される電子波動関数の空間分布と一致する。

現在は,ULT-STMの除振性能とエネルギー分解能(現状は ≤ 100 µeV)のさらなる向上を図るとともに,他のさまざまな量子現象の実空間観測への応用を進めている。さらに,新たに希釈冷凍機温度で作動するULT-LEEDの開発も進めており,これを使って2次元量子固体の局在現象ひいては固体の超流動現象という低温物理学の夢のひとつに挑戦してみたい。