理学部の古い文書の再発掘

理学部の古い文書の再発掘

石田 貴文(生物科学専攻 教授)

図1

理科大学専任教授・飼養馬一覧(3巻3号より抜粋)

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1970年代初期の「理学部広報」に「理学部ところどころ」という,各施設や秘蔵のお宝を紹介する連載がある。その中に,戦前戦後を通し36年の長きに亘り理学部に奉職され,理学部の「生き字引」とよばれた吉野誠治事務長の「古い文書から」という,明治時代の理学部に関する記事がある。今回はそれらを再発掘し,新たな情報と併せ紹介したい(吉野氏の記事が掲載されている理学部広報の巻号を記した)。

1886年(明治19年)東京帝國大学理科大学は7学科を有し,教授12名(外国人2名含む),助教授6名,講師3名に30名の学生が在籍していた(3巻10号)。1888年(明治21年)には,外国人教師は姿を消し,10名の専任教授と3名の兼任教授が在籍している(3巻3号に一覧)。1884年(明治17年)8月に「乗馬飼養令」(月俸100円以上の官吏は馬を飼育すべし)が発令されたことを反映してであろう, 1888年(明治21年)には,専任教授10名に馬があてがわれている。ただ,上意下達の急な飼養令なので,落馬・怪我多発し,日曜日に騎兵士官などによる「教習」もあったそうだ(朝野新聞記事をもとに4巻1号に掲載)。もっとも乗馬飼養令は1889年(明治22年)に廃止されるのだが,当時の世相を知る貴重な記載である。

米離れの昨今,米価で換算するのは心許ないが, 1887年(明治20年)の米価格は1俵1円46銭で,今日のブレンド米の価格で換算すると,理科大学長(学部長相当か)の年収は2千万円強となる(カレーライス換算では約3千万円)。2013年(平成25年度)の東大総長の年俸は22,583千円,その多寡は各自ご判断いただきたい。