数学と物理で世界をつなぐ

松井 千尋(数理科学研究科 准教授/数学科兼担)

数理物理は,数学と物理のちょうど間に位置する分野だ。数理物理学と聞くと,素粒子理論や宇宙論を思い浮かべる人が多いかもしれない。しかし,もっと身近な存在である物質の性 質を決めるのも,その数理構造だ。私のおもな研究対象はスピン鎖とよばれ,一次元磁性体である。磁性体とは,小さな磁石の集まりのようなものだと考えていただければよい。物理学では,原子や分子程度のとても小さな対象を取り扱うとき,量子力学という理論体系を用いる。原子や分子が多数集まった量子多体系では, 一粒子のときの性質からは想像できない多彩な現象が見られる。なかでも面白いのは異なる性質をもつ二つの相の境界である相転移点直上で見られる現象で,ここでの物理量の振る舞いは物理模型がもつ数理構造のみで決定される。

一次元の小さな系と聞くと,現実世界から程遠いように感じるかもしれないが,弦理論や交通渋滞のモデルなど,実にさまざまな場面でスピン鎖模型が活躍する。実験技術の向上により,スピン鎖そのものを現実につくることもできるようになってきた。スピン鎖が色々なモデルと関係しているのは,単純な模型でありながら豊かな数理構造をもつことに起因する。物理模型がもつ数理構造のみから物理現象を導き出す,可積分系とよばれる分野が私の専門だ。数理物理分野では,数学と物理が密接に関わり合いながら発展してきた。 物理現象の研究から生まれた数学の例として,共形場理論や量子群が挙げられる。当初は弦理論や統計力学といった分野と関わりの深かった数理物理だが,最近では非平衡物理やノーベル賞で話題になったトポロジカル相など物性理論でも発展があり,分野としての幅を拡げつつある。

数理物理を研究する醍醐味は,数学と物理両方の視点から物理現象を眺められることだ。二 つの分野で全く独立に書かれた論文が,実は同じ物理現象を記述しているとわかったときの感動は癖になるものがある。まだ数学分野以外で使われた ことのない最先端の数学に対し,物理的な意味を見つけ出すのが将来の目標だ。そして,これはいつか「宇宙を記述するただひとつの法則を見つけ出す」という物理学者の夢へもつながっていくかもしれない。

 

         
オーストラリアでの滞在型研究会「NON-EQUILIBRIUM SYSTEMS AND SPECIAL FUNCTIONS」での集合写真。食住を共にし,交流を深めながらじっくり議論することができる。(前列右から3番目が筆者)

 

数理物理の研究を始めた当初はまだ両分野に関する知識が少なく,他分野の人に研究の面白さを上手く伝えられず苦労した。結果,学生時代を数理物理という小さなコミュニティで過ごしてしまったことは大きな反省点である。いっぽう,小さなコミュニティで過ごして良かったこともある。数理物理の研究会へ行くと顔を合わせるメンバーはいつも同じで,とくに同世代の研究者とは良い友人関係を築くことができた。また,数理物理では数学的に厳密な事実に基づいて議論するため,どのような研究背景をもつ人でも同じ解釈が可能である。全く異なる文化をもった地球の裏側の人と,数学という共通言語を通して交流できるというのが,私が数理物理に魅力を感じる理由のひとつでもある。

将来,数理物理を専攻するまだ見ぬ仲間へ向けたエールでこの文章を締めくくりたいと思う。数理物理分野界隈では,未知の物理現象やそれを解明するための数学が次々と発見されている。皆さんとともにこの興奮を分かち合える日を心待ちにしている。

理学部ニュース2018年7月号掲載




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