対称性の破れを起こさない量子磁石を発見

髙木 英典(物理学専攻 教授)

 



1973年の物理学者フィリップ・アンダーソン(P.W. Anderson)による提案以来,量子スピン液体研究の歴史は長い。にもかかわらず,理論的な模型の厳密解として液体状態を記述することが困難だったため,ずっと「もやもやした存在」でもあった。(だから面白いともいえるが)その「もやもや」を一気に払拭したのが2006年のキエタフ(Kitaev)模型である。ハニカム格子上のスピン系を考える。各スピンには三つの隣接スピンを特定の方向に同じ向き(強磁性的)に揃える力が働いている。その方向が,三つの隣接スピンごとに異なり,互いに直交していることがポイントである。「あちら(の隣)を立てればこちら(の隣)が立たず」で,秩序を起こしにくいことがすぐに分かる。キエタフの模型の凄さは,数学のトリックを用いて, 1.基底状態が量子スピン液体, 2.スピンの二種類の「マヨラナ粒子」への分裂,が厳密解として示されることである。マヨラナ粒子は粒子と反粒子が同一な電荷中性のフェルミ粒子であり,素粒子物理でニュートリノがその候補として議論されている。そのマヨラナ粒子が量子スピン液体の中に潜んでいる。

量子スピン液体が発現するH3LiIr2O6の結晶構造(左)と7Li-NMR スペクトル(右)。左図において,水色がIr(イリジウム)原子,緑がO(酸素)原子,青緑がLi(リチウム) 原子を示す。H(水素)原子は図に示す各層を積み重ねた三次元構造の層間に位置する。 擬スピン1/2の磁気モーメント(オレンジ矢印)を有するIrがハニカム格子を構成している。擬スピンは,隣接の三つの擬スピンと赤,青,緑の結合を通じて相互作用する。三つの結合は互いに直交した三方向に擬スピンを揃えようとする。このため,図において三つの結合のうち黄色でハッチをつけた結合では隣接擬スピンの向きが揃っているが,残りの二つの結合ではうまく揃えることができない。結合の競合の結果,磁気秩序が強く抑制され,量子スピン液体状態が実現する。
   
物質中の内部磁場分布を反映する核磁気共鳴(NMR)ピークは低温でも分裂したり,幅広にならない。このことは擬スピンの秩序が起こらず量子力学的に揺らいだ状態が実現していることを示す。
Nature 554, 341–345 (2018).

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キエタフ模型から導かれる魅力的な量子スピン液体を現実の物質で実現すべく, 2010年頃から世界的な競争が始まった。ある種のIr酸化物やRu塩化物では,スピンと電子の軌道モーメントの合成からなる擬スピンがハニカム格子上に存在し,擬スピン間にキエタフ模型と同じ相互作用が働くことが明らかとなったからである。ところが,提案された候補物質では,低温で疑スピン秩序が実験的に観測され,基底状態が量子スピン液体でないことが分かってきた。模型にない別の相互作用が現実物質には付け加わり,秩序を安定化させるらしい。諦めに近い雰囲気が分野に広がりつつあった。

われわれに一日の長があったとすれば,諦めず新たな舞台を探し続けたことかもしれない。化学の分野でpHセンサー材料として研究されていたH3LiIr2O6が目にとまった。合成し,極低温までNMR(核磁気共鳴),磁化,比熱を測定した。

驚くべきことに相互作用温度(阻害要因がなければ秩序が起きる温度)の1/1000以下の極低温(50mK)でも擬スピンの秩序(対称性の破れ)の兆候が見られなかった。この事実から, キエタフ模型の特徴的要素を備えたハニカム酸化物H3LiIr2O6 において量子スピン液体状態が実現していると結論した。これが今回の主メッセージである。では,キエタフ模型に現われるマヨラナ粒子はどこかに隠れているのか?その問いにわれわれはまだ答えられていない。挑戦は始まったばかりである。

本研究成果は,K. Kitagawa et al., Nature 554, 341–345(2018)に掲載された。

(2018年2月15日プレスリリース)

 



理学部ニュース2018年5月号掲載



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