近年の短パルスレーザー技術の発展は目覚ましく,そのパルス時間幅の中で電場が数回しか振動しない,究極的に短い近赤外域(波長1μm~700nm)の光パルスを生成できるようになった。光を原子・分子に照射すると,光吸収が起こり,原子や分子が励起状態となることは周知の事実である。しかし,数サイクルレーザーパルスとなると,事態はそう単純ではない。光が数サイクルしかないために,電場波形がサイン波のようになったり,コサイン波のようになったりしてしまうため,すなわち,電場波形が光の位相である搬送波包絡線位相(carrier-envelope phase; CEP)に依存して変化してしまうため,CEPによって原子・分子の応答が異なる。

近赤外域の光電場が電子と原子核の間のクーロン電場~1011V/mに匹敵する程に強くなると,原子・分子内のクーロンポテンシャルが歪み,トンネル効果によって光電子が放出される。このトンネルイオン化は,多数の光子が同時に原子,分子と相互作用を起こす非線形光学過程であり,CEPの変化に鋭敏に影響を受ける。直線偏光の光を用いた場合,トンネルイオン化で生じた光電子は,光の偏光面内で,かつ,光の進行方向に垂直な左右の方向に放出されるのだが,数サイクルパルスの場合には,左右に放出した光電子の量が左と右で異なり,その非対称性はCEPに依存して変化する。この現象を利用して,左側と右側に光電子の検出器を置き,左右の光電子の量の非対称性を測定することによって,CEPを決定できる。

   
円偏光数サイクルレーザーパルス(中心波長722nm,時間幅4.1fs (FWHM),レーザーピーク強度5.1×1014 W/cm2)をAr原子に照射して得られた光電子放出方向の非対称性の度合いの実験値の二次元マップ。黒点は非対称性が最大となる位相を示す。図の右には円偏光パルスの電場波形と各位相での光電子の放出方向(赤線)さらにその右側には対応する直線偏光レーザーパルスの電場波形を示す。 

 

CEPの測定が可能になって以降,分子のイオン化や解離過程におけるCEP 依存性が調べられるようになった。たとえば,直線分子であるアセチレン(C2H2)の二重イオン化に伴う解離過程,C2H2→C2H++H++2e-, では,光の偏光方向に分子軸が平行となった分子からH+が放出される方向がCEPに依存して変化することが明らかとなった。このような気体分子に限らず,数サイクルパルスの照射による物質の応答のCEP依存性については,近年盛んに研究されている。とこ ろが,その光が,まさに原子・分子と相互作用しているその空間位置でのCEPを実験的に決めることはきわめて困難であり,理論計算の助けを借りる必要があった。

どうにかしてCEPを実験だけから決められないものだろうか。私たちは,最近,数サイクルパルスを円偏光とし,アルゴン(Ar)原子をトンネルイオン化させると,光電子の運動エネルギーが30eV以上の領域においては,光電子放出方向に平行な電場成分の波形が正確にサイン波となる 時,すなわちCEPがπ/2 となるときに,光電子の放出方向の非対称性が最大となることを示し た。このことを利用すると,原子,分子が数サイクルレーザーパルスと相互作用しているその場所 でのCEPがただちに求められる。今,この手法によって,さまざまな原子・分子系の光電場波形への応答が調べられるようになった。今,強い光電場による原子・分子のイオン化や電子励起のメカニズムが解き明かされようとしている。

理学部ニュース2018年5月号掲載




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