義家伝説を地質学的視点から見る

吉田 英人(理学系研究科技術部 技術長)

 

先日,色とりどりの紅葉に染まった山里にひっそり佇む,龍澤寺という古刹を訪れた。福島県南端部に位置するこの寺には,20年8ヶ月の生涯を全うしたわが愛猫が眠っている。ここでは,寺の由来ともなっている源八幡太郎義家(みなもとのはちまんたろうよしいえ)伝説と,この地の地質との関係について,気づいたことを述べてみたいと思う。

1057年,義家は勅命を受けて阿部貞任らを征伐するためこの地に陣営を敷いた。当時この地には東西5km,南北10kmの大きさの湖があったとされる。そこに家来達と船を浮かべて休んでいると,突然の嵐に襲われ,一人の若侍が行方不明になった。湖に棲む龍姫の餌食になったと思った義家は,湖の西側の山を掘り切って湖水を抜いた。すると龍が現れたので,ただちに千本の矢を放って退治したという。ところが,若侍はまったく別の場所の泥の中から見つかったのである。

寺宝の龍の骨(長さ約20cm)

以上が,義家伝説の概要だが,義家は若侍と龍姫の菩提を弔うため,伏見院源八山龍澤寺を建立したという。今でも寺宝のひとつに龍の爪や骨とされるものが保管されている。また,龍の血が流れたところには赤岡,赤坂の地名がついている他,周辺にも伝説にちなんだ弓張堂山,千本,蛇頭(じゃがしら)の地名が残っている。

この伝説の地がすべて見て取れる地点から俯瞰すると,興味深いことが分かってくる。東側にはなだらかな阿武隈高原が広がっており,そこから西に向かって緩やかに標高が下がり,西側の山の近くでもっとも低く,南北に延びた盆地を形成している。西側の山は急傾斜であり,南南東から北北西に伸びている。その中で,一カ所だけが谷に刻まれている。この地形は義家伝説と確かに合致するではないか(矢の飛距離からすると壮大過ぎるが…)。

次に,地質学的視点から見ても理にかなっているところがある。この伝説に相当する地層は久保田層という堆積岩の地層であり,破砕帯である西側の山が大規模な断層運動を起こし,そのときに形成された堆積盆にたまったものなのである。この地層の最新の年代測定値は,下部で10.7±0.2Ma(Maとは100万年前),上部で10.6±0.3Maと求められている。下部は泥質砂岩からなるが,行方不明の若侍が発見された地点も同じ地質で,伝説と符合する。この層準には二枚貝類をはじめとする海生貝化石が多く見つかり,現地性のカキも産出することから,内湾的な堆積環境で あったと推定されている。

この化石群は,当時地質学教室に在籍しておられた鎮西清高先生の詳細な研究により,ある古生物動物群の模式地のひとつとされた。下部層から上部層にかけては,内湾的な環境から外洋の海流の影響を受ける海域へ変化しており,水深が100m程度まで深くなった後,再び浅くなっていく様子が,微化石の研究により明らかにされている。

つまり,伝説では「湖水を抜いた」とされることが,地質学的には「海退の様子」として大地に記されているわけである。また,義家が掘り切った西の山にも地質学的な意味がある。西側は断層運動により,もともとの岩石が多結晶細粒化されたマイロナイトとよばれる岩石で構成されているので,今でも地すべりが起こりやすく,東側の阿武隈帯の堅固な花崗岩や変成岩にくらべて,より容易に掘り切ることができるのだ。

以上のように,歴史・伝説上の出来事も自然の成り立ちを考える立場から重層的に見ると,より奥深く味わうことができる。これは理学系に携わっている者の醍醐味であろう。愛猫の眠る久保田層に落ちる秋の陽だまりの中で,私の思いは伝説の大地を駆け巡った。

 

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理学部ニュース2018年1月号掲載

 



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