理学部紹介冊子
天文学と化学と惑星科学
相川 祐理(天文学専攻 教授)
修士2年の春,地球惑星物理の学生でありながら,指導教官の転出により国立天文台に移った。星・惑星系形成の流体シミュレーションをしたくて選んだ研究室だったが,与えられた研究テーマは原始惑星系円盤の化学組成だった。原始惑星系円盤とは若い星の周りに存在する,惑星系形成の現場である。当時,野辺山電波観測所で円盤からのガス輝線が検出されたが,その輝線強度は予想外に弱かった。ガスは木星型惑星の形成をはじめ惑星系形成において重要な役割を果たす。観測でガスの量や分布を調べる必要があるが,主成分である水素分子は低温で輝線を出さない。代わりに一酸化炭素など微量に存在する分子を観測するので,円盤ガス量の推定にはその分子と水素の存在比,すなわち化学組成が必要なのだ。「高校時代から化学は苦手です」と拒否しかかったが「今後,観測技術が発達していく中で,化学組成の研究は重要だ。それに,実際に行うのは反応速度方程式という連立微分方程式の計算であって,化学ではないから大丈夫。」という観山正見教授の説得と,学部で習った隕石などの物質科学と惑星系形成理論,観測を結びつけたいという興味が勝って研究を始めた。
原始惑星系円盤の電波観測(上)と理論モデル(下) |
天文と化学というと不思議な組み合わせと思われるかもしれないが,宇宙空間には希薄なガス(=星間物質)が漂っていて,その一部が自己重力で収縮して星ができる。ガスの温度や電離度は星をはじめとした天体形成に大きく影響するため,原子や分子の電離や励起などの物理化学は天文学の基礎である。星間化学は,ガスの加熱冷却などを支配する比較的単純な分子や原子だけでなく,多原子分子や固体微粒子まで含めた星間物質の進化そのものを研究する。星間物質の進化は星・惑系形成領域においては,惑星系の材料の解明に直結する。また,星間物質の組成は,温度,密度,紫外線強度などを反映する。星形成領域や円盤を複数の輝線で観測すると分子種によって光る場所が違うことがよくあるが,星間化学の知見を用いれば,そこから特定の物理状態や進化段階にある領域を見つけ出せるのである。現在ALMAという大型干渉計の完成により,星・惑星系形成の観測は飛躍的な進展を遂げている。理論的に予想されていた,さらには予想もされていなかった結果が次々と得られている(詳しくは,天文月報2017年4月号の筆者執筆記事「ALMAによる原始惑星系円盤の観測」。ウェブにて公開あり)。このような未来を見越して星間化学の世界に送り込んでくれた観山教授にはたいへん感謝している。
いっぽう,「連立微分方程式の計算であって,化学ではない」というのは,天文学の広さを知らない無知な学生を説得するための方便であった。連立微分方程式の各項は素過程の反応速度であり,その正確な定量は不可欠である。これには現在,実験や量子化学計算の専門家と共同で挑んでいる。彼らの使う専門用語を理解し議論を進める上で,駒場の化学の講義で習った基礎知識は大いに役立った。高校時代に暗記するしかなかった反応生成物などが物理的に理解できるのは純粋に面白い。このようなミクロプロセスが宇宙で観測される,非常にマクロな現象を解き明かす鍵になるというのは,星間化学の醍醐味である。
理学部ニュース2017年11月号掲載