理学部紹介冊子
数学と有機化学により解き明かす
筒状分子の構造化学
磯部 寛之(化学専攻 教授)
「数学は,どうも苦手だ」。私が化学,とくに有機化学を専門にした遠因は,これだったように思う。「数学と縁遠い有機化学」をわざわざ選んだはずなのだが,最近,同業者に「君の最近の論文は数式が登場するから,ちょっと敬遠しがち」と言われてしまうような状況に陥っている。理由は簡単。良い共同研究者(数学者)に恵まれ,数式も使ってみると案外,有機化学の世界でも便利な道具だったから。この欄では,違う研究分野がどう混ざるかを紹介せよということなので,そんな「1+1→∞」な例のひとつとして,私たちの「化学+数学」の研究例を紹介する。
とり上げるのは,ベンゼン環2つがへりを接してつながったナフタレンを用いた「芳香環を繋げて堅い筒状の分子にする」という有機合成化学の研究である。カーボンナノチューブの部分構造を化学的につくりだそうとした研究で,図にその「筒状」の分子構造が示してある。ところが実際に合成してみると,この一連の分子に含まれているナフタレンのパネルは,室温で,くるくると回っているものがあり「堅い筒状=カーボンナノチューブの部分構造」とは言い難いものが含まれていた。最終的な結果としては,6枚パネルのものが「堅い筒状分子」で,パネルの枚数が増えると「パネルがくるくると回っている柔らかい分子」だと結論づけられた。
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ナフタレンを連ねて筒状に。どこからが「堅い筒状分子」なのかという化学の問題を,「バーンサイドの定理」という数学の知識を活用して答えを出した |
この結論に必要だったのが数学だった。筒状に連ねるとナフタレンのパネルには「表と裏」が生じるのだが,その表と裏の関係から「何種類の立体異性体が出現するのか」を知らなければ,実験結果を正しく理解できないという状況だった。最初は可能性のある構造を描いて数えていたのだが,パネルの数が多くなるにつれ「描いて数える」のは無理難題だということがはっきりした。たとえば,11枚のパネルからなる分子の場合,表裏の組み合わせか211=2048個の可能な構造があり,その中から,立体異性体が126種,ジアステレオマーが63種,エナンチオマーの組が63種ということを見つけることになっていたのである。この「有機化学での数学の問題」に挑んだのは有機化学を専門とする孫哲助教だったが,解答に至ったのは数学者である小谷元子教授(東北大学)の御指南のおかげだった。化学者と数学者との共同研究での最大の難関「互いの言語を理解して,問題を明確にする」を乗り越えて,無事に結論が出たときには,数学のありがたさを噛みしめた。「最初に発表した関連論文で異性体の数を数え間違えていた」ということまでも明らかになってしまったのは多少恥ずかしいところではあったが,誤りを正せたことを了としたい。
私たちの研究にとって,数学者との共同研究は,基本的なことを理解するための手法を提供してくれるだけでなく,ときに遠い目標を垣間見る貴重な機会までも与えてくれている。異なる言語,異なる思考の研究者と交わる醍醐味ではないだろうか。
理学部ニュース2017年9月号掲載