理学部紹介冊子
関谷地震学講座から伝わるもの
井出 哲(地球惑星科学専攻 教授)

今年は1995年の阪神淡路大震災から20周年,秋には日本地震学会も神戸で開催される。震災直後に調査したところを再訪しようと考えているが,もうひとつ訪ねてみたいところが神戸市須磨区にある関谷清景の墓所である。関谷は1886(明治19)年の帝国大学理科大学開設時に13人の教授の一人として着任し,のちに地震学講座を開いた。世界最初の地震学の教授といわれる。在任期間は約10年と短く40歳という若さで須磨にて亡くなった。その後,地震学講座は,地震学科,地球物理学科,地球惑星物理学科に引き継がれていったが,現在の地球惑星科学専攻の大講座制の中では明瞭な形では存在せず,当時から残るものも極めて少ない。

数少ない遺物の一つが写真のオブジェクトである。これは私が地球惑星科学専攻に着任したとき,当時の松浦充宏教授が「これが地震学講座三種の神器だ。持っておきなさい」と笑いながら,私に手渡したもののひとつである。奇妙な針金細工は,ある地震の揺れを3次元で表現したもので,関谷の1887(明治20)年の作品である。理学的な地震の観測研究が始められたばかりの頃は,まず揺れがどのようなものなのか,正確に把握することが重要だった。それを明らかにしたこの模型は関谷の業績の代表的なものである。模型は論文で紹介されるとともに,複数生産され海外にも販売されていたらしく,同じ模型の大きなものが国立科学博物館にも展示されている。今手元にあるのがどのタイプなのかはわからないが,模型と一緒に論文の原稿も残 っているので,オリジナルに近いものなのだろう。
ずっと引出しにしまったままだったこの模型のことを思い出したのは,最近関谷にまつわる図書や雑誌に関わる機会があったからである。現在,東棟建設と理学系図書室統合に向けて資料の整頓が進んでいる。地球惑星科学専攻図書室の未整理図書のなかから発見された,江戸時代寛政年間の書籍には関谷所蔵の印が付いていた。かつて地震学講座に所蔵された本であるが,数度の引っ越しの際に行方不明になっていたものらしい。この本は貴重な図書と判断されたので,同種の図書を集めて状態良く保管している地震研究所に移管することになった。また「Transactions of the Seismological Society of Japan」という雑誌が複数巻あったので一部を残して処分することになった。これは世界で最初の地震学会が発行していたもので,現在は東大のリポジトリにも保管されている。上記関谷の模型の論文が掲載されたのもこの雑誌であり,この論文も現在pdfで読むことができる。雑誌本体は,現在の日本地震学会に寄贈することができた。古いものを引き継いでいく責任を少しは果たせたと思っている。
関谷が教授になった理科大学開設時の教授陣の専門は数学,物理学(2名),化学(2名),動物学(2名),植物学,星学,地質学,鉱物学,古生物学だった。これに地震学が混じると学問単位として不釣り合いな感じは否めない。それでもあえて一人の教授を採用したのは,安政年間の巨大地震の記憶のせいだろうか。昔も今も地震の研究は実力以上に期待をかけられることが少なくない。関谷はそれに応えようと無理をしたらしい。神戸はそれを思い出させるところだ。
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