小藤文庫


矢島 道子(日本大学 非常勤講師)

 

I would appreciate it so much if you could send… 1972年本郷の地質学教室に進学して,最初に教わった英文である。メールもパソコンもない時代,情報を集めるには別刷りを集めるのが必須だった。大家と思われる研究者に別刷り請求はがきを送って,実際に別刷りが送られてきたときは大変嬉しかった。

理学部2号館にあった地質学教室の図書事務室は小藤(ことう)室といわれ,小藤文庫がびっしりと並んでいた。1879(明治12)年,たった一人の第1期生として地質学科を卒業し,明治・大正と長く教授を務めた小藤文次郎(1856-1935)の集めた多くの書籍,雑誌,別刷り集などである。地質学関係の古典書籍は京都大学所蔵のものが知られているが,それは第一次世界大戦後のドイツで大量購入したものが基礎になっている。小藤の集めたものはそれとは違った意味で重要性をもつものだ。もちろんジョルジュ・キュヴィエ(G.Cuvier)やチャールズ・ライエル(C.Lyell)といった地質学の原典もあるが,何よりも小藤が交換した論文別刷りが著者ごとにまとめられ,きれいに製本されて(図),600巻以上あり,小藤文庫を形成しているのが壮観なのである。

小藤文庫の1部。354巻のStopes は植物化石の研究者でバースコントロール提唱者のストープス(Marie Stopes , 1880-1958)である

小藤は大学卒業後,内務省御用掛(実質的には地質調査所所員)となるが,1880(明治13)年文部省より地質学研究のためドイツ留学を命じられ,ライプチヒ大学,ミュンヘン大学に学んだ。1884(明治17)年帰国とともに東京大学理学部講師となり,ライプチヒ大学よりドクトルの学位を受け,調査所兼務も命じられる。1886(明治19)年帝国大学が設立され,その理科大学が東京大学理学部の事業を継承するにあたり,地質学担当の教授となる。岩石学と理論地質学を講義した。1888(明治21)年には理学博士の学位を授与される。1921(大正10)年に退官するまで東京帝国大学理学部地質学第1講座の教授として地質学を講じ,わが国地質学の権威として研究を推進し,また学生の教育に尽力した。退官後も(同大学講師を2年のみ行う),研究を続け日本の地質学界を指導した。

小藤文庫を開くと,往時の研究者の歩みが手に取るようにわかる。小藤文庫は,すくなくとも東アジアでは最も古い地質学の研究の記録を残している点で見逃せない。地球惑星科学にとって貴重だというだけでなく,世界の科学史という観点から重要であり,文化遺産としての意味をもつ。このような史料をただ大事に保存しておくだけでなく,歴史研究のために積極的に利用できるようにしていくことが,東京大学の地球惑星科学の存立意義とステイタスを高めることにもなるだろう。小藤文庫は,2016年9月末までプレハブの保存書庫にあったが,現在は一時的に別の保存場所に移動されている。理学部図書館の新設にともなって,さらにどこかへ移転されるはずであるが,本来あるべき場所に保存されることを願ってやまない。

2014年,文献調査のためウィーンを訪問した。ウィーン大学の歴史学教授である友人から,大学創立記念日の式典があり大統領も列席するので,出席したらよいといわれた。なんと649周年といわれて言葉もなかった。ウィーン大学には地質学者のエドアルド・ジュース(E.Suess)関連の資料だけでなく,古い鉱物コレクションや地質図も保存され,古きと新しきが混然として調和している。一緒にブラームスの大学祝典序曲を歌いながら,東京大学の649周年はどのようになるのかと思った。

 

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