理学部紹介冊子
シャミセンガイゲノムと「カンブリア紀の爆発」
遠藤 一佳(地球惑星科学専攻 教授)
恐竜でおなじみの古生物学が私の専門である。地層に含まれる化石を主な研究対象とするため,地球惑星科学(地質学)の一分野だが,古生物学=化石学ではない。古生物学とは文字通り,古生物(過去の生物)に関する理論である。古生物の遺骸や痕跡が化石だ。過去と現在は一連であるので,古生物学は生物学と一連である。しかし,そのような本来的な結びつきとは裏腹に,地球惑星科学と生物学は別々の道を歩んできた。高校では地学と生物という別々の科目である。国からの研究費の審査区分も,地球惑星科学と生物学は,人文社会系と同じ大区分のレベルで区別され,その間の溝はますます広がっている。遺憾である。
もちろん,だからこそ,地球惑星科学と生物学をつなぐ境界領域に存在価値がある。境界領域で研究をする一つの効用は,物事を立体的に俯瞰できることだ。片方だけではどうしても一面的になってしまう。例えば,中生代の恐竜類についても,そもそもその化石がなかったならば,そのような生物が存在したことは想像すらできなかったはずだが,その化石の研究に加え,彼らの子孫である現世の鳥類や,その親戚であるワニ類,カメ類,トカゲ類などの生物学的な比較をすることで,中生代の恐竜の筋肉系や生活様式等を生き生きと復元できる。
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奄美大島笠利湾のシャミセンガイ(腕足動物)。全長約10 cm。シャミ センガイはダーウィン以来「生きている化石」としても有名である |
化石が示す進化パターンで,古くはダーウィンを悩ませた謎がある。地層を時代的に遡っていくと,古生代の最初に三葉虫化石が産出するが,それ以前はさっぱり化石が産出しない。逆に言うと,中間型を経ずにいきなり三葉虫のような複雑な動物が化石記録に出現するのだ(「ダーウィンのジレンマ」)。古生代の最初の時代(カンブリア紀)に出現したのは三葉虫(節足動物)だけではない。脊索動物や軟体動物を始め,事実上ほぼすべての現生動物門がこの時にいっせいに進化した(「カンブリア紀の爆発」)。ダーウィンは,これを「化石記録の不完全性」で説明しようとした。しかし,その後カンブリア紀の直前のエディアカラ紀から世界中で大型真核生物の化石群が発見され,しかも,それらが動物の祖先であると断定できないため,現在でもジレンマは解消されていない。
生物は歴史を背負って生きており,その歴史は究極的にはDNAに刻まれる。私は,この謎を解く鍵は現世の海生無脊椎動物のゲノム解読にあると考えた。それは,動物のゲノム解読10億円かかると言われていた頃からの夢だ。しかし,発展途上の境界分野の悲しさで,当然そんなお金はない。私は2009年に意を決して,それまで全く面識のなかった沖縄科学技術大学院大学の佐藤矩行先生(のりさん)に共同研究を申し込みに行った。次世代シーケンサーが実用化され,ゲノム解読は桁違いに安価になっていたとは言え,私にとっては安くはない。私はダメもとで遠慮がちに申し上げた。「アコヤガイ(軟体動物)かシャミセンガイ(腕足動物)のどちらかのゲノムを読んでいただけませんか」。のりさんの返事は一生忘れることができない。「両方読みましょう」。
2012年のアコヤガイゲノムに続き,昨年にはシャミセンガイゲノムが解読された(参照:http://marinegenomics.oist.jp/)。「カンブリア爆発」を巡る古生物学と進化発生学(Evo-Devo)の境界領域の研究はようやく出発点に立ったと言えるだろう。