道草の楽しみ

柴橋 博資(天文学専攻 教授)

47_5_essay01

調べ事中,脇の項目に惹かれて夢中になることがある。先日も,ドップラー効果について寄り道を楽しむことになった。近づく救急車の警笛は高く,遠ざかる時には低くなるという,あの現象である。

この現象を最初に説明した人がドップラーに違いない。はて,いつ頃のどこの人かと調べてみると,オーストリア生まれで, 1842年に提唱したとある。しかも,星の色の違いを説明するために提唱したとある。えっ,星の色が赤や青になるなんて,宇宙膨張ではあるまいし。原理の導出は正しかったが,適用例は適切ではなかったということらしい。


ヨハン・クリスチアン・ドップラー( Johann Christian Doppler) の生誕100年を祝して1903年に刊行された,
ドップラーの論文の復刻版。古典的論文もネットで簡単に見る事が出来る,道草を食うのにも便利な時代になったものだ。ドップラーの論文は,連星の公転運動による効果を考えたものだが,連星間の実距離が正確に測定される以前のことであった。それが,速度の見積もりを大きく誤った理由であろう。

その時代に自動車,汽車はあったのだろうか。調べてみると,その頃はガソリン自動車の発明以前で,産業革命期のイギリスでは蒸気自動車が使われていたらしい。が,その制限速度は,馬を驚かせないために,時速凡そ6kmとある。汽車は,1840年前後から欧州諸国で鉄道開業とある。当時の速度はどれくらいか。日本初の鉄道は新橋と現在の桜木町間29kmを約1時間で走ったとあるから,秒速凡そ8m。だとすると,440Hzの音(「イ」の音)が,約20Hz上下することになる。半音高い「嬰イ」の周波数が466Hzだから,違いは半音以下である。

最初の検証は,オランダのボイス・バロット (C. H. D. Buys Ballot) が, 1845年にユトレヒトで,列車に乗ったトランペット奏者が「ト」の音を吹き続け,それをなんと絶対音感を持った音楽家達が音程の変化を聴き取る事で証明を試みた,とある。何と大仰な。検証は容易ではなかったということらしい。

ならば,光のドップラー効果の検証はもっと難しかった筈。たとえば秒速30kmで運動する現象でも,かなりの波長分解能を要するし,そんな速度を実験室で実現することは困難であるから,検証は天文現象で行ったに違いない。といっても,検証のためには,速度が既知の発光体を使わねばならない。都合の良い天体は何だろうか,とまた疑問。

現代においては,星のスペクトル線の周期的推移は,連星であることの証明であり,系外惑星の証拠である。調べてみると,こうした「分光連星」の発見は, 1889年にドイツのフォーゲル(H. C. Vogel)や米国のピッカリング(E. C. Pickering)等によるとある。早速文献を当たって見ると,見かけの波長の周期的推移の原因を,星が連星を成していてその公転運動によるものではないか,と仮説として議論している。何と控えめな。

そこで思いつく。太陽なら自転速度は分かっていた筈ではないか。調べると,1870年のセッキ(A. Secci)による,太陽光球の東西縁での太陽の自転によるドップラー効果の検出というのがあり,フォーゲルによる追観測もある。これぞ最初の検証例の様だが,太陽の自転速度程度では波長のずれも10-5以下。セッキの測定誤差は一桁大きかったようなので,これで最初の検証と言えるだろうか,と疑問が湧く。

そういえば,光のドップラー効果については,後に成されたフィゾー (A. H. L. Fizeau) による説明がより適切とされ,その母国フランスでは,ドップラー・フィゾー効果と言うそうだ。あれこれと道草は絶えない。因みに道草を食うとは,馬が道々草を食いながら行くことが語源らしい。が,英語での表現には「道草」に基づくものはないらしい。おっと,ここでまた道草を食い始めたりしたら,編集委員の先生に叱られる。

 

理学部ニュースではエッセイの原稿を募集しています。自薦他薦を問わず,ふるってご投稿ください。特に,学部生・大学院生の投稿を歓迎します。ただし,掲載の可否につきましては,広報誌編集委員会に一任させていただきます。
ご投稿は rigaku-news@adm.s.u-tokyo.ac.jp まで。

 

理学エッセイ>

 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加