分子生物学のフロントを目指して

~坂野 仁教授(生物化学専攻)~

聞き手:村松 彩子(化学専攻 中村研究室 博士課程1年)

今回は、分子生物学者であり、嗅覚神経系をご専門とされる坂野先生にお話を伺いました。坂野先生は、免疫学の分野でキャリアをつまれた後、東大で嗅覚に研究分野を移されています。そのような大きな研究の転換を、なぜ選択されたのでしょうか。また、どのようにしてそれを実現されたのでしょうか。

免疫から嗅覚へ

村松:坂野先生は、大学院を卒業されてから免疫の研究を始められて、その後嗅覚の研究に移られたとうかがっておりますが、いつごろから免疫の研究をなさっていたのですか。

坂野:僕は、大学院は分子生物学が専門で、RNAのプロセシングということをやっていたんです。大腸菌とか大腸菌に感染するファージの研究をやっていて、割と遺伝学に重心を置いた教育を受けたんです。それで、大学院を卒業してアメリカに留学した時、びっくりしたことに、遺伝子のクローニングができるようになったり、DNAのシークエンスができるようになったりしていたんですね。そういう時代になりつつあるところに、日本から留学して、これはもう確実に新しい時代が始まると、思ったわけです。それで、ヒトに近い、高次システムの分子生物学というのを触らないと、次の20年は持たないと確信したわけです。留学して1年くらいのときに、たまたま利根川さんと会う機会があって、それでスイスの免疫研究所に行くことになって、免疫をはじめたわけです。

村松:免疫研究所ではどのような研究をされたのですか。

坂野:抗体遺伝子の多様化のメカニズムを調べていました。高次システムを触らなきゃ、という掛け声はよかったんですけどね、僕自身、大学や大学院で免疫を勉強していたわけでもないし、勉強しなきゃということで免疫の本を買ってきて、一所懸命読んだんですけど、何べん読んでもわからない。まあ自分のバックグラウンドから免疫をみてみようと居直って、でも結果的には非常にうまくいって、Nature誌のアーティクルに4報書くことが出来ました。

村松:免疫系から嗅覚神経系に研究を移されたのはいつごろですか。

坂野:10年くらい前になります。

村松:そのころには、免疫の分野ではすでに、高い評価を受けられていたのですよね。なぜわざわざ、研究対象を変えられたのですか。

坂野:利根川さんとは3年くらい一緒にいて、それからバークレーに移って、自分の研究室を持ってからも、ずっと免疫で来たんですけれども、40過ぎて、まあ、ちょっと考えましてですね。あとこれから25年、これでいくのかということを考えると、やっぱり、どう考えてもそうではないという風に思ったんですね。さあどうしよう、何か新しいことを始めようと思ったわけです。みんなその頃、何らかの形で神経系に入りたいと思ってた時代ですね。利根川先生も免疫やめて神経やっておられますし。

嗅覚系とは

村松:なぜ嗅覚系を新しい研究対象に選んだのですか?

坂野:免疫というのは、星の数ほどある抗原を、限られた数の抗原受容体遺伝子が認識するというシステムなんですが、僕自身の研究が、その遺伝子の数をはるかに超える種類の抗原をいかにして識別するかということを中心にしていたものですから、嗅覚神経系に見られる匂い分子の識別と、いろんな意味で共通点があると。

村松:共通点とは、どのようなところですか。

坂野:われわれの嗅覚受容体遺伝子というのは1000種類くらいありますが、約2000万個ある嗅神経細胞一つ一つは、その中のたった一つの遺伝子を選択的に発現するわけです。ひとつの細胞がにおい分子を識別したときに、レセプターが複数種類あったりすると、何が来たかわからないですからね。それは免疫系も同じで、一つのリンパ細胞が発現する受容体遺伝子っていうのは、やっぱり一種類だけなんです。そこで、僕は分子生物学者ですから、1000種類ある遺伝子の中からたった一つが選ばれて活性化され、かつ残りの遺伝子の発現が抑えられるというメカニズム、言い換えれば、個々の細胞が自分のアイデンティティを持つメカニズムは何なのか、ということに興味を持っていました。

染色体っていうのは通常、父親と母親から同じものを1本ずつ受けついているので、同じ遺伝子でも、父方と母方、それぞれに由来する同じものが2つあるわけですね。しかし、ポリモルフィズム(遺伝子多型)がありますから、父方の遺伝子と母方の遺伝子が完全に一緒ではないわけです。免疫系でも、嗅覚系でも、父方と母方の同じ遺伝子なんだけれどもポリモルフィズムによって差があると、たとえば免疫系の場合は抗原に対する特異性が違ったり、嗅覚系の場合ならリガンドとの親和性が違ったり、具合の悪いことになってくる。従って、1000種類のうちから、1種類選んで、なおかつ今度は母方か父方かどちらかひとつだけを発現し、もうひとつを抑えておくという、かなり凝ったメカニズムがあるんですね。今までそういうメカニズムを持っているのは免疫系だけだと思われていたんですよ。それがたまたま嗅覚系の受容体遺伝子でも見つかって、これはますます免疫系に似てるなあと。

村松:なるほど、似ていますね。しかし、免疫系と嗅覚系では、まったく生物の活動における役割が違いますよね。

坂野:免疫系の場合はリンパ細胞という浮遊細胞ですね。抗原が来て、適合するリガンドに抗体が結合して、そのリンパ細胞を刺激して、どんどんリンパ細胞が増えれば、たくさん抗体ができて、病原体をやっつけるという、割と単純なシステムだったんです。

ところが嗅覚系の場合は、嗅神経細胞がそれぞれの受容体を発現して個性を持って、それとマッチするリガンドが来るのを待つ。匂いって複雑ですから、ある受容体にある匂い分子が来て、その結合シグナルがパルスとして脳にいけばそれで何のにおいかわかるといった、単純なものではないんです。

村松:それでは、脳は、どのようにして一つ一つの匂い分子を識別しているのですか。

坂野:実は、脳の前のほう、鼻の奥に、嗅球っていうものがあって、その表面に、ちょうど電光掲示板のように、糸球という構造が約1000個、素子としてならんでいるわけです。どの受容体をリガンドがヒットしたかで、この2次元の掲示板のどこが発火するかということが決まっているんですよ。匂い分子っていうのは普通、ひとつの分子の上にいくつかの側鎖と言いますか、決定基をもっていて、それぞれに対応して受容体がありますから、匂い分子が入ってくると、この2次元のスクリーン上に、ある発火のパターンができる。

村松:2次元のパターンとして匂いを認識しているわけですね。

坂野:そうです。免疫系では1リガンド1受容体という、1対1の関係が非常に厳密に守られていたんですけれども、嗅覚系の場合は、わりとアバウトで、ひとつの受容体に対して複数のリガンド、またひとつのリガンドに対して複数の受容体が対応している。もちろん、強弱はありますけどね。そうすると、電光掲示板の上に、濃淡の広がりを持った画像が出るわけです。1000種類の受容体で、それをはるかに超える種類の匂い分子を画像化するというのが、多分、嗅覚系における多様性識別のからくりだと思うんです。

村松:では、匂いが似ているということは、その電光掲示板上のパターンが似ているということですか。

坂野:そうですね。

村松:発火パターンは、個人個人によって違うんですか?

坂野:それは、遺伝的に決まっていて、それほど個体差はないようです。ただ、1000種類もある多重遺伝子系ですから、個人によって、この遺伝子は持っていないというようなことはあります。ポリモルフィズムの範囲内で、少しずつ違うということがあっても、原則的には遺伝的に決まっている。

ヒトの神経細胞っていうのは基本的に再生しないですよね。ところが、非常に例外的に、嗅覚神経というのは常時、再生しているんです。せいぜい数週間くらいの寿命で入れ替わっている。たとえば、インフルエンザで鼻がやられると、嗅上皮に炎症を起こして、嗅神経細胞がだめになる。もしくは交通事故かなんかで物理的にゴーンと衝撃が加わったときに、嗅神経が切れてしまうわけですね。それでも、ほっとくと、元に配線がつながって、また電光掲示板が光るようになるわけですよ。そういう回路再生のプログラムも、遺伝的に決まっていると言われています。

村松:なるほど。再生したときに、以前と配置が違ってしまっては困りますね。

坂野:生物にとって、いい匂いっていうのは、普通は、食べ物の匂い、あるいは異性の匂いですね。悪い匂いっていうのは、身に危険を及ぼす、そういう匂いですね。ですから、嗅覚というのはえさをとる、危険な化学物質から身を避ける、生殖の相手を識別する、そういう生き物として根源的な機能なんです。

僕も聞いて驚いたんですけど、最近、ヒトやマウスのゲノムの塩基配列が全部決まりましたが、せいぜい、3万数千くらいしか遺伝子がないんですね。で、そのうち、嗅覚受容体の遺伝子だけで、全体の3%以上占めているんですよ。これは驚くべきことで、一つの遺伝子系が3%以上占めるのは、やっぱり生き物にとって嗅覚が非常に大事だということですね。その次に多いのは、抗原受容体遺伝子で、これが3%弱です。嗅覚系と免疫系の受容体、ともに化学構造を識別するという受容体で、ヒトのゲノムの6%強を占めているんですね。

村松:化学物質を個別に認識するということは、それだけ生物にとって重要なんですね。具体的には、嗅覚に対しどのようなアプローチをされているのですか?

坂野:まず僕が考えたのは、1000個の遺伝子のプールからどうやって一つを選ぶのか、それも母方と父方、どちらか一方をね。そのメカニズムは、嗅神経細胞にどうやってアイデンティティを与えるか、という問題につながるのでとても重要だと思ったわけです。

嗅神経細胞は鼻の奥にあって、そこから伸びる軸索、まあ電線ですね、それがさっき言った嗅球っていう電光掲示板に入力する。そのとき、どのレセプターを発現している嗅神経細胞が電光掲示板のどの位置に入力するかっていうのは決まっているわけですよ。電話交換手がいる交換機みたいなものですね。レセプターとリガンドの結合情報は、軸索を通るときにはみな同じ電位差のパルスになってしまうわけですから、それを匂いの種類という情報に戻さなければいけないわけです。そのため、どのレセプターを発現している神経細胞のシグナルが、どの部位に入力するかっていう、2次元の位置情報への変換が必要なわけで、これにより、また情報の質が回復するわけですね。従って、一つの神経細胞で一つの受容体遺伝子が発現するっていうことは、非常に大事なことになる訳です。

われわれは、ニューロンとレセプター遺伝子の間の1:1の関係を支える分子メカニズムが何であるかということを解析して、つい最近、Science誌に論文を出しました。この論文を書き始めたときには、まだ全体のストーリーが見えてなかったんですけど、論文を書いているうちにだんだん見えてきて。最初は二つの短い論文だったんですけど、レフリーやエディターの助言もあって、一緒にして書き直してみたら、見えてなかったものが非常に鮮明に見えてきたという、そういう意味では非常にラッキーな論文でした。

村松:十年目にして、嗅覚の分野での新たな仕事が実を結んだわけですね。

東大への移動

村松:嗅覚の研究を始められたのは、東大に移ってこられてからですね。

坂野:本格的には、そうですね。僕はカリフォルニア大学のバークレー校にいたんです。ちょうど10年前、助成金の取得が非常に厳しくて大変だった時期に、免疫の研究で10年のグラントが当たったんです。普通は3年か5年のところを、特別に10年のグラントをつけてもらって、終身教授で。さらに私の居たデパートメントっていうのは、生命科学の分野ではトップクラスのところですから。そこを結果的には辞めたわけで多少迷いもありました。

村松:研究者として、理想的な状況を捨てて、東大にいらしたわけですが、未練はなかったのですか。

坂野:みんな、何でやめるのかと。アメリカ人だってそういうシチュエーションを得るために、がんばっているのに、お前はそういうものをすべて手にした段階でやめるとは、気でも狂ったのかと言われました。僕はね、あそこにいる限りは免疫学もしくは免疫学者っていうものを完全に抜け切れない、と思ったんです。いきなりはしごをはずすのも怖い話だったので、2年くらい両方を併任していたんですが、ここは決心しないとどっちつかずになると思って、向こうをやめて、東大に移って、新しい研究を始めました。

村松:日本に戻られたのは、嗅覚をなさりたいからと。

坂野:そうそう。やっぱりチャレンジ、良くも悪くも自分が20年近く培ってきたものっていうのは、ある意味では、古いものでね、それをどうにかしてそぎ落とさないと、何も新しいことができないと思って。

村松:東大での研究室の立ち上げはいかがでしたか。

坂野:僕が33のとき、スイスからカリフォルニアに移って、さあ、今から始めるって時、やっぱり大変な思いだったですよ。グラントも書かなくてはならないし、研究室には誰もいないし、試薬の注文から機械の発注まで全部自分でやって。それと同じことを東大でやることになったのですが、当時の3号館っていうのは、倒産した中小企業の工場みたいなところで、廃屋のようなものだった。だからそれを少しずつきれいにして、機械を入れて。でもその頃は、アメリカで立ち上げるよりも、幾分楽だろうと思ったんですよ。というのは、今度はまあ歳を取った分、経験もあるし、ある程度、名前も知られているし。でも、実際にやってみると、やっぱり、向こうで立ち上げたときのほうが歳が若かった分だけ楽で、こっちのほうがなんか大変だったような気がしますね。

村松:ご苦労をなされたわけですけど、東大の印象はいかがですか。後悔はされませんか。

坂野:今回の論文は、いろんな意味で、一つ取っ掛かりができたという気がしているんですが、論文を書いてみて、東大にラボを移すという決心が間違ってなかったなと思います。やっぱり、理学部の学生さんが優秀だったということは、大きかったですよ。ここの学生さんのクオリティがなければ、ここまで来られなかったと思いますね。そういう意味で、一緒にやってくれた、特に最初の立ち上げのときから付き合ってくれた人たちに、非常に感謝しています。

研究の実際

村松:免疫をやっていた頃と、今の神経とでは、研究手法は、どういう風に変わっているんでしょうか。たとえば、今はマウスを扱っていらっしゃると聞いているんですけど、免疫の時には、実際にはどういったものを扱っていらっしゃったんですか。

坂野:クローン化された細胞株です。たとえば、リンパ細胞、あるいは嗅神経細胞の場合、天然の細胞を純粋に集めてくる、ということは可能です。しかし、リンパ細胞も嗅神経細胞も、一つ一つ発現している受容体遺伝子が違うので、そういう細胞を材料に、生化学はできないわけです。細胞としては純粋だけれども、不均一な集団ですね。発現している受容体遺伝子という観点から見ても、均一で純粋な細胞の集団が必要なんです。免疫系の場合、そういうものが、リンパ球の癌の細胞として、簡単に手に入る。もしくは、人為的にそういう細胞株を作ることができる。ところが、神経細胞っていうのは一般的に、そういうライン化された細胞株っていうのはないんです。ですから特定の受容体遺伝子に標識をつけて、トランジェニックマウスとか、ノックインマウスとかを作って、まさにねずみ丸ごとでやらなくてはいけない。

村松:大変ですね。

坂野:免疫系はもう何だって細胞株があるわけですから、たとえば、プラスミドのDNAをいじくって、電気ショックでボーンと入れてやればね、何週間かで結果が出る。しかし、ねずみの場合だと、どんな実験一つにしても、常に遺伝子操作マウスを作るということからやらなければならないわけですね。ねずみ一つ作るのにトランスジェニックだと50万円、ノックイン、ノックアウトだと300万から500万。お金はかかるし、時間はかかるし、ねずみができたら、掛け合わせて、増やして、っていうことになりますし、そういう労力もかかりますから、気の遠くなるような話で、ものすごく大変ですね。同じ複雑系ですけれども、材料という意味では、免疫系のほうがはるかに楽ですね。

村松:それが免疫系のほうが先に発展した理由ですか。

坂野:そうですね。それもひとつだと思います。神経系というのはつい最近まで、生理学というか、電極を差し込んでどうだ、っていうようなことが主に研究されてきたわけです。そこで今後、遺伝子というものを頭に置いた分子生物学がどう迫るかが問題となりますね。

村松:神経系一般というと、どのくらい研究が進んでいるんですか。

坂野:いろんな切り口から、様々な研究者がチャレンジしているところです。いま主流になっているのは、ショウジョウバエや、もっと簡単な、線虫などでわかることを理解しようという立場です。でも、やっぱりハエでわかってもヒトでわからないこと、ヒトやマウスにあってハエにないことはたくさんありますから、そのあたりがこれからテーマになってくると思います。

学生の指導

村松:普段、学生さんはどのように指導されているんですか。

坂野:なるべく邪魔をしないように、好きにさせています。僕はね、ちょうど、紛争世代の学生で、しかも京都だったんですよ。京都大学の理学部というのは、よく言えば、自由放任ですけれども、悪く言えばまったく何もしないで放って置くというところで。

村松:いきなり放っておかれるのは不安ではありませんでしたか。

坂野:最初はほっとかれると不安ですけど、それに慣れてしまうと、逆に、周りの人から、ああせい、こうせい、とがたがた言われるのはうるさいという、そんなふうになりましたね。どちらがいいのかわかりませんけれども、基本的に、科学というのは好きなようにやっていいんだ、と思っています。

村松:なるほど、先生も放任主義でいらっしゃるんですね。

坂野:そうですね、元気のいい鼻っ柱の強い個性的な人は、放っておいても、良い仕事をしていくんだけれども、そうでないタイプの人もいますよね。わりとおとなしくて、勉強もよくできて、しかしある程度ちゃんと先生が指導したほうがいいというタイプ、こういう人には、僕は非常に申し訳ないと思っているんです。そういう人に対して、必ずしも良い先生ではないと思っているので。

村松:先生の大学院時代はいかがでしたか。

坂野:僕は、大学院に入って最初に、とにかく自分で何か考えてみなさい、そこそこリーズナブルであれば好きなようにやってよろしいと言われたんですよ。そこで一生懸命に論文を読んで、アイディアを先生のところに持って行くと、大抵どこか欠陥があったりね、もしくはそういう仕事はもう三年前に誰かがやってたりして、がっかりして、また勉強して、いろいろ考えて、そのうち、3年先、5年先にフロントになるようなことを考えられるようになった。

村松:今も、学生さんが、自分でテーマを決めることが多いのですか。

坂野:そうですね。でも、僕が知りたいこと、あるいは研究室として、絶対これだけは負けられない、というテーマもありますよね。それに関しては、スタッフの人に、こうやってくれとか、もしくは大学院の学生さんで、ちょうどそれにマッチすることをやっている人に水を向けることはしますけれど。それからはみ出ることであっても、僕は、大学院生に関しては、基本的に好きにさせてます。

村松:たとえば、学生さんが、プロジェクトを進めてきて、うまく行かなくなったときには、どのような指導をされるのですか。

坂野:そうですね。これはプロジェクトの中味にもよるし、その人の能力にもよりますし、要素はたくさんありますからね。それはまあ、適宜、もうやめたほうがいいとか、研究室を変えたほうがいいとか、そういうことも含めて、言わなくてはいけないときには言います。でも、まあ、東大の皆さんは、それはそれなりに優秀なわけですし、何かに才能があることは間違いないわけです。向いてないこと、嫌いなことを我慢してやることはないと思うわけです。

ただ、うまくいかないからやめるとか変えるとかいうのは、問題です。特に東大の学生さん達はずっと優秀で来てますから、満点でないと気がすまない。10やって9うまくいかないと人生終わりみたいに思う人が多くて、そこの教育がなかなか難しいですね。たとえば、研究室の報告会でデータに対して厳しく議論することは、ものすごく大切でしょう。いい加減なデータで無責任なことを学会で言ってたたかれるより、研究室の中で厳しく言い合う方がいいと思う。お互いなあなあでやる方が楽しい、というようなスタイルの人の発表を、これではいかんと思って追求すると、皆の前でさらし者にされているように感じる人が多くて、困ります。しかし、そこは譲れないところだから、慣れてもらわないと。良いものははっきり良いと評価して、駄目なものは何だって駄目なんだと、そういう雰囲気でやってかないと、サイエンスっていうのは、具合悪いと思います。

村松:おっしゃるとおりですが、なかなか厳しいですね。

坂野:実験というのは、10のうち9つ、あるいは10のうち10がだめな場合がほとんどなわけですよ。それがうまくいかないと、休日も夜も働いているのに、何でこうなんだろうと絶望する。でも実は、誰が悪いわけでもなくて、うまくいかない時は、10年やってもうまくいかないし、動き出す時には、あっという間に動きますね。

村松:どういう時ですか。

坂野:僕がスイスにいたころ、1年間一生懸命やってて、結局うまくいかなかったことを、頭を切り替えて、前から暖めていた別のアイデアでやってみたら、1週間で結果がでました。一般的に、10やって6つ7つうまくいけば御の字だと思うものだけれど、うまくいくときというのは、10やって10以上のものが出るんです。

それはなぜかというと、発見というのは、人の論理、人の知恵ではないわけですよ。その段階で、人の論理、人の知恵になっていないことが発見なわけですから。やっぱりね、気持ちが自由であることが大事で、どこかで、自分の考えに風穴が開いていないと、新しいことは出てこない。うまくいくときというのは、10のものを望んで、20どころか、一桁違うものが出てくる。

村松:楽しい瞬間ですね。

坂野:それが、サイエンスの面白みというか。そういう、何が出てくるかわからん未知のものを対象にしているという位置関係を、自分の中にそれぞれのスタイルで持たないと、なかなか大変な商売ですし、いい仕事はできないと思うんですよ。ある意味ではそういうことを、学生さんに語るってことが、まあ最低、僕のできることかなあと、思ってます。それをわかってもらうのは大変ですけど。ほんとの意味でわかってもらうためには、その人がその人なりのプロセスを経て、発見というものに出会わなければならない。ともあれ、十分に優秀な人たちに囲まれて、非常にハッピーですよ。東大に研究室を移して、よかったと思ってます。

村松:今、何人くらいの学生さんがいらっしゃるんですか

坂野:そうですね、大学院の学生さんが15人くらいで、ここの研究室を出て、学位をとって残っている人が何人かいますから、まあ、20人くらいですね。

村松:学生さんは大体、5年間ですか、この研究室は。

坂野:そうですね。5年で学位とる人が3分の1、あとは、6年近くかかりますかね。僕は、6年は、超えないようにしているんですけど。

村松:大体、一人1テーマで、5年間続けられるようなテーマを選ぶのですか。

坂野:そうですね。こういう枠組みで考えてごらんということを言って、学生さん一人一人で勉強してね。修士の2年間というのは、試行錯誤ですよね。自分をどうなだめていくか、自分とどう付き合っていくかというようなことで、一番つらい時だと思うんです。ですから、修士の終わりからドクターの1年くらいにかけて、大変だと思いますよ、メンタルにね。そこをどう超えるかということに関して、周りの人間は、ある程度の手助けはできますけれどもね、それを完全に避けては通れないと思うんですよ。僕も学生のころ言われたんですけれども、いっぺんそのあたりで、地獄の釜をのぞいてこないと、なかなか研究者として一人前になるのは難しいと。それさえわかれば、大学院のトレーニングは終わったようなものだと。

村松:そうですか。ちょうど私も、修士からドクターに上がったところですが…

坂野:僕もね、格好つけて一人でやろうなんて思って、マスターの2年間、一生懸命やったのだけれども、ぜんぜんうまく行かなくて、修論を書くときになって否定的なデータばかりで。毎晩酒食らって、教授や助教授の悪口言って、そういう日々だったですよ。

村松:はは、身に覚えがあるような、ないような。

坂野:まあとにかく何とか修論を書いて、提出した途端に教授に呼ばれて、君もうこのプロジェクトやめたほうがいいんじゃないかと。もう、あわててね、職を探したりしたのですが、そう簡単に職も見つからないし。そこで助教授の先生が助け舟を出して、3ヶ月粘ってみてだめだったらすっぱりやめましょうと教授に言ってくれた。ところが、3ヶ月目にうまく行ったんですよ。

村松:ラッキーでしたね。

坂野:そういうときに働く力っていうのはね、個々人の努力だとか情念だとかではどうにもならないところがある。われわれの知恵を超えたものが、結果的には支配しているという気が、今でも強くしますね。その後も何回かそういうことがありましたけれど、そういう力とか、知恵といったものと、どうやって接点を持つかというところがサイエンスをやることの妙味だと思います。

良いサイエンスとは

村松:サイエンスを続けていく上で、何が重要だと考えられますか。

坂野:忍耐強くあること、そして楽観的であること。自分の経験や、周りの研究者を見ていて思うことは、あるテーマを目指して、こつこつがんばって、これが大事だから何とか理解したい、と思い定めてやっていけば、必ず報いられるということです。3年でうまく行くか、10年かかるか、それはわからないですけれども。そういう意味でチャンスっていうのは、すべての研究者に、非常に平等にありますね。えこひいきはないです。自分が思い、目指したことが、報いられるか、答えが出るかって事に関しては、基本的に裏切られることはないと思ってやったらいいんですよ。

僕が今から振り返ってみて、自分の先生に多少なりとも言ってもらいたかったな、と思うのは、そういうことですね。学生さんが考えるアイデアでも、それから出発して良いんだっていうこと。もしくは自分は学位を取れるんだろうかとか、研究者になれるんだろうかっていう不安に対し、その手のことは、心配しなくても良いと言ってもらう事がすごく力になると思いますね。心配すべきことはそういうことではなくて、本当の意味でいいサイエンスをすることだと。

村松:良いサイエンスとはどんなものだとお考えですか。また、良いサイエンティストとは。

坂野:よく言うんですけど、オリジナリティとアイデンティティ。有名になるとかいうことでなく、とりあえず教科書の1章に書いてもらえるような仕事をすることです。学生さんが、さあ、何をやったら良いだろうと考えるときにですね、いろいろな教科書を見て、この教科書が次に改訂されるときに、何が書き加えられるべきか、という目で見なさいというんですよ。そういうふうに教科書を読み、そのうちのいくつかをやってみて、3年後か5年後に、そこに書いてもらえるような仕事をすればいいんですよ。

村松:研究者に向いている人と向いていない人というのは、いますか。

坂野:研究が好きであれば、何だっていいと思うんですよ。これを知りたいということに対峙できるということ、それに向かって努力できることが大事だと思います。最初を当てるまでは大変ですけど、その後は、もう一度だけで良いから、同じことが起こってほしいと思う気持ちだけでサイエンスできますよ。思えない人は、できないですよね。逆説的ですけど、向いてない人っていうのは、サイエンスの面白みというのがわからない人。しかし、まだ出会っていない人が向いていないかというと、そうではないですからね、

村松:そうですね、出会うまではわからない。

坂野:そうすると、出会うまで我慢できる人が向いているといえるかもしれない。

僕は自分の学生に、始めてしまったんだから、向いているか向いてないかとか、なれるかなれないかとか、そんなこと考えないで、人にいうと恥ずかしいけど、自分は天才かもしれないと思ってやれと、言っているんですよ。だって、最初は、自分しかそう言ってくれる人がいないんだから。それでいいと思っています。

インタビューを終えて

若いころの研究分野の変更は誰にでもあるものですが、教授という地位にありながらそれを行うことは、とても大変なことだということがわかりました。しかし、若いころから果敢に新しいことにチャレンジされてきた坂野先生は、東大に移るという方法によってそれを実現され、新しい分野で見事に成果をあげておられます。研究者は何を目指して研究をするべきなのか。どのようにしてそれを実現するのか。そのようなことに、非常に真摯に向き合っておられる先生の姿に、成功の秘訣を見たような気がします。