化学を求めて氷雪の地へ

化学を求めて氷雪の地へ

重松 圭(化学専攻 博士課程3年)

フィンランドの冬は過酷である。平均気温は氷点下,時には吹雪が海をも凍てつかせる。日照時間が短く日の光も弱くて陰鬱である。こんな地に,雪なぞ碌に見たこともないヤツが3ヶ月も研究しに赴くなんて,なんと酔狂なことだと思われるかもしれない。私自身,フィンランドへの留学を決断するにあたり,まず生きていけるのだろうかという心配が決断をおおいに躊躇させた。

私は,磁性元素を規則的に並べて新たな材料をつくり出すことを目指しており,「原子層堆積法」という手法に興味をもっていた。この手法は1970年代にフィンランドで開発され,現在もこの分野におけるフィンランドの存在感は大きい。原理は以下のとおりである。真空容器のなかに原料となる金属化合物を用意し,加熱によって昇華させ,反応ガスとする。別の真空容器に基板をセットし,先ほどの反応ガスを導入して基板最表面での化学反応を起こさせたのち,余分なガスを排気する。ガスの導入・反応・排気を1サイクルとしてくりかえし行うことで,原子層レベルで原子を堆積させることができる。複数の反応ガスを用意すればより複雑な組成の物質も合成できるので,材料開発の場における活用が期待される。この原子層堆積法を通じて,規則的な構造をもつ材料をつくるヒントが得られるのではと思い,冒頭の懸念はあったけれども,アールト大学(Aalto University) のM.カルピネン( Maarit Karppinen) 先生に,研究室への滞在をお願いした。

研究室のメンバーとの集合写真(前列左から2 番目が筆者)

滞在先では,高温超伝導の代表格である銅酸化物を題材に,原子層堆積法でどこまで良い試料が合成できるかという課題設定のもと,装置を1台占拠させていただき研究を行った。反応ガスの原料,それを導入する順番・わずかな温度の差が表面化学反応を左右し試料のクオリティを決めるので,コツをつかむまでに相当苦しめられた。だが,カルピネン先生とポスドク・院生はたいへん親切にしていただき,議論や相談にもいつも快く応じてくれた。酸化物という共通のバックグラウンドがあったこともスムーズな議論の助けになった。原子を思い通りに並べて材料を合成するという目標にも,大きく前進できたと思っている。

さて実際のフィンランド生活はどうだったかというと,まず寒さは案外大丈夫であった。建物の窓ガラスは三重で断熱性抜群,服の布地の厚さも日本とは段違いである。いっぽう,11月に差し掛かると日照時間が3-4時間減るのはじつに体に堪えた。フィンランド語の11月marraskuuは「死の月」と直訳されることからも察するに,現地人にとってもそれなりに辛いのだろう,気分を明るくするために12月にも入らないうちからクリスマスの準備を開始していた。街中にたくさんのモミの木が植えられ,1ヶ月かけてありとあらゆるところに装飾されたイルミネーションを見るに,まさにクリスマスを「待ち焦がれる」という表現が適切である。そうして過ごしているうちに冬の辛さも幾分紛れるから不思議なものであった。

フィンランド鉄道より雪のロヴァニエミ駅に降り立つ。

彼の地での生活で,もうひとつ支えになったのはコーヒーであった。フィンランドはコーヒーの消費量が世界最高水準である。朝の起き抜け,食後の一杯, もちろんディスカッションのお供にもコーヒーは欠かせない。学科の談話室にはたいへん立派な共用コーヒーサーバーがあり,コーヒー党の私も足しげく通いお世話になった。このサーバーの前では,コーヒーを淹れる待ち時間に人々が言葉を交わす。近くにはソファーが置いてあるのでゆっくりとした語らいもできる。こうして研究室を越えた交流が生まれる。さながら活発な研究を支える影の功労者といえよう。このような余裕を感じさせる研究スタイルは,日本にも取り入れられないものかと切望する次第だ。

他にもたくさんの面白い経験を得たのだが,あまりに多すぎて書ききれないことが残念である。異国の地に身を置いて研究をすることはたいへんに刺激的で有意義であったし,むしろ冬のフィンランドという極端な環境を選択したことでかえって得るものが大きかったようにさえ思う。もし読者の中に留学を迷っている方がいるのならば,多少の心配事に怯まず好機を最大限に活かせるよう応援申し上げたい。

PROFILE

重松 圭(しげまつ けい)

2010年 東京大学理学部化学科 卒業
2012年 東京大学大学院理学系研究科化学 専攻修士課程修了
現在同博士課程在籍
2012年~ フォトンサイエンス・リーディング 大学院コース生
2013年~ 日本学術振興会特別研究員DC2