第4回
東京大学大学院理学系研究科附属

超高速強光子場科学研究センター

センター長 山内 薫(化学専攻 教授)

超高速強光子場科学研究センターのウェブサイト

はじめに − 強光子場科学とは

近年の,超短パルスレーザー技術の発展は,光の電場を極端に高くすることを可能にしたため,光科学に新たな展開を促しました。光の電場強度が原子内や分子内のクーロン電場の強度と匹敵する程に大きくなると,光によって原子・分子内の電子がゆすられることになります。このとき,もともとの原子・分子とは性質の異なる「物質と光が混ざった状態」が生成します。この新しい状態を研究すること,そして,この状態を利用してさまざまな現象を起こさせそれを利用することが,強光子場科学という学際的な研究分野です。物質と光が混ざった状態は,弱い光では決して実現することができなかったものです。強光子場科学は,この光の役割に関するパラダイムシフトとともに生まれたものなのです。

超高速強光子場科学研究センターは,この学際的研究分野である「強光子場科学」のフロンティアを国際的な連携のもとに開拓するとともに,国際的な研究交流ネットワークの拠点として研究者交流を促進し,国際的に活躍することのできる若手人材の育成を目指して,2005年2月に理学部の附属施設として設立されました。

図1:メタノール分子内で進行する超高速水素マイグレーション過程。コインシデンス運動量画像計測から, 60 fs 以下のきわめて短い時間に水素が分子内を駆け巡ることが明らかとなった

図2:窒素分子のイオン化を用いたアト秒パルストレインの自己相関関数の観測(理化学研究所緑川研究室との共同研究)

図3:ハワイ島で開催されたISUILS4(ポスターと集合写真)

図4:麗江(中国)にて開催されたISUILS5の講演会場

図5:Springer社からの刊行が始まった Progress in Ultrafast Intense Laser Science

図6:CORAL先端光科学実験実習の一コマ(先端企業の研究者・技術者が実験実習を指導)

強光子場で何が起こるか?

強光子場科学の分野における研究対象についての概観を本号の表紙に示してあります。その図において,1 PW/cm2 (1×1015 W/cm2)の強度を中心として,その上下の 3 桁程度の間はクーロン領域とよばれています。この領域では,レーザー電場の大きさが,分子内のクーロン場の大きさと,同程度となるため,分子がさまざまな特異なダイナミクスを示すことが明らかとなっています。たとえば,比較的レーザー電場の低い領域(1 TW/cm2 = 1×1012 W/cm2)において,分子はレーザー電場の方向に向きを揃える配向や配列という現象を起こします。そして,レーザー電場が大きくなり1 PW/cm2 に近づくと分子の構造が大きく変形するようになります。さらに,光電場によるトンネルイオン化現象が進み,分子は多価イオンとなり,クーロン爆発とよばれる現象によってフラグメントイオンに分解します。このような現象は,光が存在している間に「光が存在しないときとは全く異なった性質をもつ状態」が形成されるために起こります。

最近発見された顕著な現象として,炭化水素系の分子における超高速水素マイグレーションを挙げることができます。たとえば,図1は,メタノールについて,その様子を模式的に示したものです。実験結果から,強いレーザー場が存在する60フェムト秒よりも短い時間内に,水素原子が分子内を駆け巡ることが明らかとなりました。平均の速度に直すと,水素(またはプロトン)の移動速度は,光の存在下で,光速の 0.1%に達する程速いのです。

もうひとつの研究の例をご紹介したいと思います。フェムト秒化学という言葉をお聞きになった方は多いと思いますが,このフェムト秒というのは,10-15秒のことです。たとえば,分子の振動運動の周期が100フェムト秒程度です。これまでは,10〜1000フェムト秒のレーザーパルスを用いたポンプ‐プローブ法で,時間領域で起こる動的な現象が追跡されてきました。しかし,超高速水素マイグレーションのプロセスや,原子・分子内の電子の分布の変化などを実時間で追跡しようと思うと,パルス幅をアト秒領域にまで短くする必要があります。アト秒とは,10-18秒のことです。

実は,アト秒領域のパルスをつくるには,強光子場が必要になります。レーザー電場がきわめて大きいと,原子の中の電子は,トンネルイオン化によって原子領域から離れて行きます。そして,レーザー電場の向きが逆向きになると,離れていった電子が,逆に,原子イオンに向かって加速されて原子イオンによって散乱されます。これを電子の再散乱と呼びます。この再散乱のさいに,アト秒領域のパルスのバーストが生まれるのです。図2は,そのようにして発生した320アト秒のパルスの列を,N2分子のイオン化を利用して観測したものです。

強光子場科学分野の研究交流

わが国においては,科学研究費補助金特定領域研究「強レーザー光子場における分子制御」(2002年10月〜2006年3月)による支援を受けて,強光子場科学に関する研究が,物理学,化学,レーザー工学の分野の研究者の学際的な協力と連携によって,活発に,かつ組織的に行われてきました。そして,2004年度に発足した,日本学術振興会の「先端研究拠点事業」(多国間の研究交流事業)のプログラムのひとつとして,「超高速強光子場科学」が採択されると,日本における強光子場科学分野の学際ネットワークが,国際的なネットワークとして広がることになりました。

このプロジェクトでは,東京大学大学院理学系研究科を日本国内の拠点として,先進諸外国の協力のもとに,「強光子場科学」およびその関連分野における学術交流ならびに学際連携体制を構築することを目指しています。そして,日本をはじめとして,カナダ,フランス,ドイツ,イタリア,英国,米国の先進7カ国の,総勢60を越える研究グループが学術交流を展開してきました。本センターは,この先端研究拠点事業「超高速強光子場科学」と連携するとともに,若手研究者の国際交流を奨励し,先端的な光科学研究分野の次世代を担う国際性豊かな研究者を育成することを目標としています。

本センターでは,この先端拠点事業と連携する形で,国際シンポジウムInternational Symposium on Ultrafast Intense Laser Science(ISUILS)http://www.isuils.jp を支援して来ました。このISUILS国際会議は,毎年,おもに海外にて開催されており,本センターが設立されてからは,ハワイ島(ISUILS4)(図3),麗江(ISUILS5,裏表紙)(図4),ピサ(ISUILS6,裏表紙)で開催され,活発な国際研究交流の場と成りました。また,国際的な環境のもとでの若手研究者の育成を目指して,日本国内で短期のシンポジウムや,スクールを開催しています。

さらに,本事業と連携する形で,「超高速強光子場科学」に関する英文総説誌の刊行が開始されたことも特筆すべき成果です。これは,Progress in Ultrafast Intense Laser Science のシリーズとして,ドイツのSpringer社より出版が始められたもので,第1巻が2006年9月に,そして,第2巻が2007年3月に刊行されました(図5)。本先端拠点事業の支援を受けて開催された国際会議や国際研究交流に基づく成果が,具体的な形となって世界に発信されることになったのです。第3巻については本年12月に刊行予定であり,現在,第4巻の編集が進められています。

CORALへの発展

このような本センターを中心とする学際的な研究分野の活動は,物理学,化学,工学にまたがる研究者の研究交流を格段に促進することになりました。その結果,次世代の光科学研究を支え,国際的に活躍できる若手研究者の育成を目指して,文部科学省特別教育研究経費(教育改革)事業として,先端レーザー科学教育研究コンソーシアム(Consortium on Education and Research on Advanced Laser Science;CORAL)が,2007年4月に発足いたしました。

これは,光科学分野の大学における人材教育を目的とした,東京大学を中核機関とする大学院教育プログラムです。本「超高速強光子場科学研究センター」は,このコンソーシアムの中心となり,本学大学院工学系研究科附属「量子相エレクトロニクス研究センター」,「総合研究機構レーザーアライアンス」と連携し,コンソーシアムの事業を推進することになりました。

このコンソーシアムでは,若手人材が,現在の先端光科学の最前線において必要な知識と技術を系統的に学ぶことができる教育プログラムの構築が最重要課題であり,従来分散して行われてきた学部および大学院教育のカリキュラムをフロンティア研究と密接に連携させつつ,系統的に再構築をすることを目指しています。

この事業の特徴は,東京大学における理工連携教育事業であるということのほかに,光科学教育に実績のある電気通信大学と,慶應義塾大学理工学研究科が参加する「大学間連携事業」であるという点にあります。2008年4月からは,東京大学と電気通信大学,慶應義塾大学との間で,単位互換制度のもと,教員・大学院生が本プログラムを通じて交流することになっています。

そして,もうひとつの特徴は,「産学官連携教育事業」であるという点です。応用力・開発力のある人材を育成するために 光科学分野で世界をリードする先端企業各社(2007年6月現在で11社)に参加いただき,企業にて最先端で活躍する研究者に,大学院講義,大学院学生の実験・実習の指導をお願いしています。本年10月にはじまったCORALパイロットプログラムでは,キヤノン株式会社,浜松ホトニクス株式会社,三菱電機株式会社,アイシン精機株式会社,株式会社ニコン,シグマ光機株式会社,株式会社ブイ・テクノロジー,株式会社リコー,横河電機株式会社,富士フイルム株式会社の研究者・技術者が参加しています。すでに,10月よりパイロットプログラムとして,講義,実験実習の講義が進められています。実験室での実験実習の様子を図6に紹介します。

これから

CORAL事業では,国際的な視野をもち,近い将来,大学・企業などの研究において世界をリードすることのできる若手人材の育成を目指しています。そのため,国際スクール,国際学会などを通じて,国内外の大学院学生や若手研究者の交流を促進する予定です。

本センターでは,このCORAL事業と先端研究拠点事業「超高速強光子場科学」を連携させ,国際的な人材育成に資するように努力しています。来年(2008年)1月には,このCORAL事業と,先端研究拠点事業が共催する形で,Winter Schoolが開催されます。