第2回
東京大学大学院理学系研究科附属

地殻化学実験施設

施設長 野津 憲治(地殻化学実験施設 教授)

地殻化学実験施設のウェブサイト

名称の由来

地殻化学実験施設は,昭和53年(1978年)4月に理学部の附属施設として新設されたので,来年で30周年を迎える。「地殻化学」という名称は,口あたりがよく憶えやすい名前であるが,理化学辞典や地学事典に項目として載っている学問分野ではなく,対応する英語名もない。あえて言えば“Chemistry of crust”である。また,当施設の英語名称は“Laboratory for Earthquake Chemistry”であるが,これを日本語に直訳した「地震化学」とも異なる。このような名称が付けられるに至った背景には,創設当時の関係者の苦労が込められている。

当施設の沿革は,創設より5年ほど前の昭和48年(1973年)にまで遡る。その当時,理学部地球物理学教室の浅田敏教授は地震予知を目的とした地球化学研究を日本で始めたいと思い,その意向を受けた放射性同位元素研究室の脇田宏助手を中心に,地下水中に溶存するラドンの研究がスタートした。地震を地球化学的に研究することの目新しさと重要性が世界的に認められた時代で,昭和50年(1975年)7月に出された文部省測地学審議会の「第3次地震予知計画一部見直し」の建議に沿う形で,当施設が田丸謙二理学部長のもと新設されたのであった。名称については,将来研究分野が拡大することを念頭に置いて,当事者は「地球化学研究施設」としたかったが,「地球化学」では対象が広すぎるとの反対があり,「研究施設」では時限がつくということで,現在の名称に落ち着いたと聞いている。しかし,地震が地球の最表層部の地殻より深いマントルで起きていることからも,現在の施設名は体を表していない。地殻を代表として,地球全体の化学的研究を推進するという精神は,発足10年目に作ったパンフレットの表紙(図1)に描かれており,現在の施設はまさにそれが実現している。英語名称は,逆に当時の研究分野を一言でわかるようにしたいという思いで,多少の違和感はもちつつも,“Laboratory for Earthquake Chemistry”としたと聞いている。

施設のあらまし

図1:1988年に作成した附属地殻化学実験施設のパンフレットの表紙

図2:構成員の集合写真(2007年4月撮影)

図3:観測研究の拠点,鎌倉観測所

昭和53年(1978年)発足時には脇田宏助教授と中村裕二助手の2人が専任教官で,地震予知を目的とした地球化学観測網の整備を行うと同時に地球化学の基礎研究にも力を入れた。この頃の研究成果としては,マントル起源ヘリウムの地震断層を通しての放出を明らかにしたこと, 1978年伊豆大島近海地震前に地下水中のラドン濃度異常を検知したこと,活断層では岩石破壊時に水と反応して水素が生成することを示したことなどである。

昭和57年(1982年)以降4回の整備がなされ,平成7年(1995年)には教授2名,助教授2名,助手3名,技官1名(その後の削減で現員はない)となり,現在に至っている。その間に,研究分野は,創設当初の期待通りに,火山化学,海洋底化学,地球深部化学と地球化学のいろいろな分野へ拡大し,地球惑星で起きているさまざまな現象を化学的な側面から解明する,国内外でも特色のある研究教育機関に成長した。

現在の地殻化学実験施設は,教員6名,時間雇用の事務補佐員1名,研究機関研究員1名,研究支援推進員1名と,学振や科研費雇用のポスドク,事務支援員数名から構成されており,大学院生10数名,卒業研究学部生数名が加わる。

図2に本年4月に撮影した当施設構成員の集合写真を示す。学問の性格上国際交流もきわめて盛んで,イタリア,スペイン,イギリス,アメリカ,中国,韓国など10ヶ国以上と共同研究を行い,日常的に外国人の研究者や大学院留学生が当施設で研究を行なっている。

地殻化学実験施設の理学系研究科内での最大の特徴は,親元になる専攻を持たないことである。地球化学が1900年代初頭に地質学と化学との間に誕生したことと符合して,地殻化学実験施設も化学,地球物理学,地質学が融合する学問領域をカバーする研究組織として誕生した。親専攻のないことは,研究面では独自性が保てるなど良い面も多いが,運営面で孤立無援となり,難しい舵取りを強いられることもあった。

教育活動では,平成5年(1993年)の理学部の大学院重点化に際して,地殻化学実験施設は化学専攻の協力Ⅰ講座として,化学専攻の大学院学生定員の算定に加わり,地球化学研究室(野津,鍵)と惑星化学研究室(長尾)を組織した。さらに,化学科の学部教育で講義や実習,卒業研究を分担している。また,地球惑星科学専攻の教育も分担しており,地殻化学実験施設では2つの専攻から入学した大学院学生が一緒に机を並べている。研究室は,化学東館,化学西館,理学部4号館などに分散しているため,能率が悪く,いずれの日か一カ所へまとまることを希望している。このほか,理学系研究科が管理している鎌倉市由比ケ浜の敷地に観測研究の拠点となる観測所を擁している(図3)。

施設の研究者たち

地殻化学実験施設の30年の中で,研究者の入れ替わりを契機として研究課題の変遷があり,現在は大きく分けて4つの研究課題が走っている。それらの最新の成果を表にまとめ,関連する写真や図を裏表紙に載せる。研究活動は6名の常勤スタッフ中心に実施されているが,関連する全国の研究者や世界の研究者との共同研究によっている研究も多く,地球化学研究の拠点の役割を果たしてきた。当施設で行っている研究が,既存の専攻が扱う分野にまたがる学際領域(それぞれの専攻から見れば周辺領域)であるためか,研究スタッフも,出身学科,専門分野,経歴などがまちまちで,ヘテロな集団が組織を作り,組織の活性のもととなっている。その6名を簡単に紹介しよう。

まずは,執筆している私の自己紹介である。化学科の出身だが,研究者人口の少ない分野でじっくり研究したいと,隕石の同位体を扱う宇宙化学から出発した。その後,火山岩同位体化学,火山の化学観測,活断層の化学と研究テーマをほぼ10年周期で変え,その度に研究対象や研究手段が変わった。このような広く浅くの研究姿勢と正反対なのが長尾教授である。実験物理の研究室で質量分析装置製作のイロハを学び,現在に至るまで希ガスの質量分析一筋で,高感度化,高精度化の中から新しい発見をし,新しい学問を作るのに貢献した。東大転任後の目玉は,レーザーを用いた微小領域,微小試料の希ガス質量分析法の開発で, Eコンドライトのコンドルール中に濃縮している希ガスを発見して,原始太陽系進化過程で強い太陽風照射が起こった証拠を示した。また,マイクログラム程度の宇宙塵一個ずつの希ガス同位体測定を可能にして,その起源を研究している。このような極微量同位体分析の実績により,小惑星イトカワの試料が地球へ回収された際には,初期分析チームの一員として希ガス分析を担当することになっている。長尾教授はフィールドワークもこよなく愛し,カメルーンや南極,韓国,中国,ギリシャ,トルコなど世界中で火山・温泉ガスの試料採取を自ら行い,研究成果を出している。スタッフの中で最年少の角野助教は,化学科の出身でありながら,質量分析装置の改良に力を発揮し,希ガス同位体からマントルの構造と物質循環を論じる研究で成果を得ている。1年間のイギリスでの研究生活を終え,この文章が出版される頃には新しい気持ちで帰国しているはずである。

地殻化学実験施設の中で存在感が際立つのが,鍵准教授である。化学科の出身で,博士課程の途中で工学系の学科に就職したことからわかるように物質科学の申し子でもある。9年前に東大へ着任した後は,鉱物-流体反応の理解を目指した結晶表面の原子レベル観測や不純物元素周辺の局所構造の解明,地球深部での物質の存在状態の解明を目指した高圧下でのスペクトル測定や回折結晶学的な研究を展開し,とくに超高圧下の中性子回折実験によって,地球深部を構成するケイ酸塩物質中に含まれる水の存在状態を初めて明らかにしたことは注目に値する。彼は競争的資金の獲得にも才能を発揮し,超高圧下での中性子科学を推進する学術創成研究が今年度からスタートした。また,東海村のパルス中性子実験施設に地球科学研究に特化した高温高圧実験用ビームラインを建設しようと国内の研究者を組織化しリーダーシップを発揮している。

地殻化学実験施設の中でフィールドサイエンスを支えているのが,地球物理学科出身の森准教授で,国内にとどまらず,世界中の火山の観測に飛び回っている。火山ガスの遠隔分光観測では大学院生の頃から海外の研究者に一目置かれていた(表紙写真)。最近では,自作した装置で火口から出る二酸化イオウの可視化に成功し,噴煙の動態が手に取って見えるようになり,放出量の時間変化を短時間で追尾できるようになった。角森助教もまたフィールドサイエンスを支えている。応用物理学科の出身で,高分子科学から地球化学への転身をはかった。測定装置作りと情報処理が得意で,地震活動に関連した揮発性物質の放出を観測する新しい手段を開発し,そのような現象の基礎となる岩石破壊実験でも成果を得ている。

施設の将来

地殻化学実験施設は,既存の専攻がカバーする研究領域とは一線を画する地球化学の分野で研究教育活動を行ない,実績を挙げてきた。地震の化学的な研究から出発して研究分野の拡大を図りつつ,地球化学の進展に貢献してきたが,これからも,理学系研究科附属の施設としては温故知新の精神で,新たな研究領域を開拓して行く使命を担っている。そのひとつの候補として,2007〜2011年度学術創成研究として採用された「強力パルス中性子源を活用した超高圧物質科学の開拓」を施設としてサポートすることになろう。地殻化学実験施設では2006年度に自己点検を行ない,外部評価を受けた。その結果,現在走っている研究課題については高い評価をいただいたが,施設が将来に向けてどのような方向を目指すべきかについてはいろいろな意見が出された。これらの意見をふまえ,当施設ではさらなる発展を遂げるための方策の検討に入っている。具体的な研究課題は時代とともに変わるが,化学的な手法で地球の現象を研究し,教育するという基本的なスタンスは変わらない。これまで学内外,国内外を問わず多くの研究者が当施設を来訪し,数多くの共同研究が行われてきた。今後はこれまでのアクティビティをより有機的に機能させることができるような組織作りに取り組んでいきたい。

地殻化学実験施設で行なわれている研究と最近の主要な研究成果

地震活動に関連する地球化学的研究
地下水溶存ガス多成分同時連続分析法の開発と地震観測への応用
活断層や深部低周波微動域から放出するマントルヘリウムの検出
火山性流体を用いた火山活動の研究
赤外吸収分光による火山ガス化学組成の遠隔測定法の開発
火山噴火に伴う二酸化炭素拡散放出量の変化の検出
火山噴煙中の二酸化硫黄の可視化法の開発
希ガス元素,同位体を用いた地球惑星化学の研究
原始太陽系星雲での太陽風照射を示すコンドルールの発見
マントル起源物質や火山岩を用いた沈み込み帯での希ガス循環の検証
地球内部の化学現象に関連した物質科学的研究
高圧下での中性子回折による含水鉱物の水素位置の決定
CO2流体包有物のラマンスペクトルからの岩石の深さ起源推定
走査近接場光学顕微鏡の作成とそれを用いた粒間・粒内の残留圧力マッピング